Senir Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中"
文:片山恭一
写真・Driver:小平 尚典  AD:東 裕治

Senior Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中" 文:片山恭一

写真・Driver:小平尚典  AD:東裕治

Scene10

アンセル・アダムス

 ヨセミテ国立公園は1984年に世界遺産に登録された。シエラネバダ山脈のなかで最大規模の、もっともまとまった動植物の生息地であり、生物の多様性を育んでいる。アメリカグマ、アライグマなどの哺乳類が約100種類、鳥類が200種類以上。いたるところにマツ、モミ、セコイアの広大な森が広がる。そしてヨセミテ渓谷の顔とも言える、そそり立つ花崗岩の絶壁。ハーフドームやエル・キャピタンといったニックネームが付いている。なかには高さ1000メートルを超えるものもあり、世界でも人気の高いロッククライミング・スポットとなっている。
 この雄大な自然を美しいモノクロ写真に収めた写真家がアンセル・アダムスだ。1902年に生まれて1984年に亡くなっているから、日本の木村伊兵衛(1901〜1974)や土門拳(1909〜1990)と、ほとんど同世代である。
 アンセル・アダムスの写真の特徴は、光の扱いがとてもデリケートだということだ。明暗のコントラスト、バランスが絶妙で、どの写真も時間を忘れて見とれてしまうほど美しい。花やコケや水などを接写したものでは、光そのものが繊細な生き物のようだ。こうした印象が総合されて、写真は独特の静謐(せいひつ)さを醸し出す。そそり立つ岩壁、雪解けの滝、夏の積乱雲……何を撮っても彼の写真は静かだ。風景からあらゆる音を抜いたら、このモノクロの美しい写真の世界になるのではないか。

 そのアダムスが、マンザナー強制収容所の写真を撮っている。収容された人々の日常の生活。防火訓練をする子どもたち、畑で働く人々、野球を楽しむ男たち、収容所内を歩く女性たちの一団。多くの写真の背後に、美しいシエラネバダの山並みが写っている。マンザナーを撮った彼の写真については、当時から賛否両論あったという。愛国的なアメリカ人からは日系アメリカ人に同情的過ぎると非難され、収容所の現実を知る人たちは暗い現実を撮っていないと批判した。
 たしかに記録写真として見れば、いろいろと難癖をつけたくなるだろう。しかしアダムスは、おそらく芸術写真としてマンザナーを撮っている。そのことに私は、むしろ好感をもつ。強制収容所を撮っても、彼の写真は説明的にはならない。そのリアリティをめぐって過剰な押し付けがましさがない。反日でもなく親日でもなく、ただ一人ひとりの人間の顔を撮っている。強制収容所での不自由な暮らしがどのようなものであったかは、実際に体験した人でないとわからないだろう。アダムスの写真に写っている人々は、大人も子どもも老人も女性も、一人ひとりが深い自分の顔をもっていて美しい。

 今日もランチは午後3時だ。サンドイッチというメニューもすっかり定着してしまった。食傷気味のフライドポテトの代わりにコールスローを注文するというワザもおぼえた。薄くて量の多いアイスティにも慣れた。さて、空腹も満ちた。今宵の宿を目指して出発だ。
 ベイエリアのモーテルは高くて、1泊200ドル以上する。そこでボブは少し離れたギルロイのモーテルを予約している。位置的には、ヨセミテのほぼ真西がサンフランシスコだ。ギルロイは、そのやや南になる。地図で見ると、フレズノ(Fresno)のやや北のあたりを通っていくことになる。
 フレズノといえば、私の場合はウィリアム・サローヤン(1908〜1981)という懐かしい名前と結びついている。学生のころ(1980年前後)には、小島信夫訳『人間喜劇』、三浦朱門訳『我が名はアラム』、伊丹十三訳『パパ・ユーア クレイジー』などが出ており、ちょっとした流行作家という感じだった。
 『人間喜劇』はこんな話だ。14歳の主人公ホーマーは、カリフォルニア州イサカの町で電報配達の仕事をして貧しい家庭を支えている。母は未亡人で、兄のマーカスは出征している。ときは第二次世界大戦の最中、彼の運ぶ電報は出征兵士の死亡通知ばかりだ。一通の電報が、息子の帰還を待ちわびる家族や母親を悲しみの底に突き落とす。「ぼくになにができるんだい。くそっ、なにができるってんだぼくに。ただの電報配達じゃないか」(小島信夫訳)。そんなホーマーに、兄マーカスの死亡通知を母のもとへ届けなければならない日がやって来る。


 アルメニア系移民の子として米カリフォルニア州フレズノに生まれたサローヤンは、実際に高校を卒業したあと電報配達などをして生計を立てていたという。『人間喜劇』や『我が名はアラム』には彼の自伝的要素が色濃く反映している。後者の主人公・9歳のアラム少年もアルメニア移民という設定で、舞台は1920年前後のフレズノだ。最近、柴田元幸の新訳が出て、この旅行にも持ってきている。少し引用してみよう。

 僕たちは貧しかった。一文無しだった。一族全体が貧困にあえいでいた。ガログラニアン家は世界でもっとも驚異的かつ喜劇的な貧困の中で生きていた。腹に食べものを入れておくだけの金を僕たちがいったいどうやって手に入れているのか、誰一人、一族の長老たちさえも理解できなかった。だが何より重要なのは、僕たちが正直で有名だったことだ。およそ十一世紀にわたって、僕たちは正直で有名だった。僕たちが世界全体と見ていた場においてもっとも裕福な家族であったときでさえそうだったのだ。僕たちはまず誇り高く、次に正直で、そのあとに善だの悪だのを信じた。僕たちの誰一人、世界中の誰の無知にもつけ込みはしなかったし、ましてや盗みをはたらくなんて論外だった。

(『僕の名はアラム』柴田元幸訳 新潮文庫)

 ちょっと読んでみたくなりませんか? ユーモラスで善良な人たちばかりが出てくる、愛すべきサローヤンの小説、そんな作家を生んだフレズノの近郊を車は走っている。まわりは果樹や野菜の畑だ。アボカド、チェリー、ネクタリン、ブドウ、ジャガイモ、トウモロコシ……。日系人が多く住んでいるらしい。彼らの親や祖父母の世代には、土地を没収されて収容所に送られた人たちが大勢いただろう。
 ボブがiPhoneを車のオーディオに繋ぐ。おお、オールマン・ブラザーズ・バンドではないか。私の大好きなフィルモア・イーストのライブだ。
 「これ、アナログのレコードをそのまま入れてきたんだ。音がいいでしょ?」
 ボブがノッてきたぞ。「エリザベス・リードの追憶」を聞きながら、私たちの車はサローヤンの土地を疾走する。よし、今夜もメキシカンだ。アボカドのディップだ。冷たいビールと美味しいワインだ。旅はつづく。


 次回へ続く…
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 Senior Motor Driveの目次
第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 第十六話 第十七話 第十八話 第十九話 第二十話

文:片山恭一 写真:小平尚典 
アートディレクション:東裕治

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