Senir Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中"
文:片山恭一
写真・Driver:小平 尚典  AD:東 裕治

Senior Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中" 文:片山恭一

写真・Driver:小平尚典  AD:東裕治

Scene12

スティーブ・ジョブズ(1)

 デヴィッド・パッカードとビル・ヒューレットがパルアルトのガレージで起業した約30年後、今度はスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックという二人のスティーブが出会う。ハイスクールの先輩にあたるウォズニアックは、ジョブズと同じエレクトロニクスの授業をとっていた。何か新しいことをやろうと考えた二人は、シリコンバレーの伝統に則り、ジョブズの実家のガレージで起業する。
 事業をはじめるにあたって会社の名前を考える必要がある。「アップル・コンピュータ」を提案したのはジョブズだった。コンピュータの名前がリンゴ。当時の彼は、果物と、デンプンを含まない野菜しか食べないという、極端な菜食主義を実践していたらしい。リンゴもよく食べていたのだろう。またシリコンバレーの一帯では、もともとリンゴやアプリコットなどの果樹が盛んに栽培されていた。そんなこんなでリンゴ。リンゴのコンピュータ。ジョブズのセンスを感じる。

 僕は果食主義を実践していたし、リンゴ農園から帰ってきたところだったし。元気がよくて楽しそうな名前だし、怖い感じがしないのもよかった。アップルなら、コンピュータの語感が少し柔らかくなる。

(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』井口耕二訳 講談社)



 そのアップル本社を訪れた。広々とした敷地に小綺麗な建物が何棟も建ち並ぶ様子は、会社というよりも大学のキャンパスといった印象。明るく開けた駐車場に車がたくさんとまっている。そして大勢の人。ほとんどは観光客だ。大型バスでやって来た中国人のツアー客などが、ガラス張りのショップでアップル・グッズを買い求めている。
 1960年代から70年代に青春期を送ったジョブズは、もろにカウンター・カルチャーの洗礼を受けて育った。マリファナやLSDなどのドラッグ・カルチャー、ベイ・エリアのビート・ジェネレーションから生まれたヒッピー・ムーブメント、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインなどの新しいロック・ミュージック。バークレーにもスタンフォードにも行きたくなかった彼が選んだ大学は、オレゴン州ポートランドにあるリベラルアーツの私立大学、リード・カレッジだった。学費が高いことでも有名なこの大学は、サイケデリックの導師、ティモシー・リアリーが学食にあぐらをかいているようなところだったらしい。70年代には中退率が3分の1を超えていたというから、アウトサイダーを輩出することに情熱を傾けていたような大学だ。

 ジョブズが若いころ愛読していた雑誌に『ホールアース・カタログ』がある。コンピュータとドラッグ・カルチャーの橋渡しをした人物、スチュアート・ブランドによって1968年に創刊された雑誌の最初のページには、「自分だけの個人的な力の世界が生まれようとしている  ―  個人が自らを教育する力、自らのインスピレーションを発見する力、自らの環境を形成する力、そして、興味を示してくれる人、誰とでも自らの冒険的体験を共有する力の世界だ。このプロセスに資するツールを探し、世の中に普及させる  ―  それがホールアース・カタログである」というブランド自身の言葉が掲載されている。これはジョブズがコンピュータで実現しようとした理念そのものではないだろうか。ちなみにジョブズがのちによく使った「ハングリーであれ。愚か者であれ。(Stay hungry. Stay foolish.)」は『ホールアース・カタログ』の最終号の裏表紙に添えられていた言葉だ。
 禅や瞑想、スピリチュアリティへの傾倒。マリファナやLSDをやりながらディランやバッハを聴く長髪の青年。ちょっと変わり者の青年が、同じスティーブという名前の天才的な電気少年と自宅のガレージではじめた会社が、いまや巨大なIT企業となっている。その本社に、私は奇妙な居心地の悪さを感じていた。
 たしかにアップルの歴史は、シリコンバレーを象徴するサクセス・ストーリーだ。しかしアップル本社を訪れ、いろんな施設を見てまわっても、いまひとつ心が弾まない。整然としたキャンパス自体が、なんとなく空々しく、面白みがないものに感じられる。スティーブ・ジョブズという人間が魅力的なだけに、余計にそのギャップは大きい。

 長居は無用とばかり、早々に取材を切り上げた私たちは、アップル本社をあとにしてロス アルトス(Los Altos)へ向かう。アップルもヒューレット・パッカードも、フェイスブックもグーグルもヤフーもインテルも、ほとんど一つのエリアに集まっている。車だとだいたい30分以内で移動できる距離だ。ジョブズのガレージもアップル本社から10分ほどのところにある。
 「Crist Drive 2066」という住所を頼りに車を進める。あたりは閑静な住宅地。平日の昼下がりで、人通りはほとんどない。目的のガレージはすぐに見つかった。郵便ポストに「2066」と表示してある。その横に「立ち入り禁止」の看板が立ち、「防犯カメラが作動しているからね」という、やや脅迫めいた文言が見える。
 「あまりいい雰囲気じゃありませんね」
 アップル本社とは別の理由で、ここもなんとなく居心地が悪い。たたずまいに、ちょっと冷ややかなものを感じる。
 「写真を撮るのも憚(はばか)られるよな」と言いながら、ボブは小型のカメラで目立たないように写真を撮っていく。さすがは元パパラッチ。私は心のなかで感心するが、これはボブには内緒。「パパラッチ」なんて言うと気を悪くするからね。
 それにしてもヒューレット・パッカードとは、ずいぶん趣が違うじゃないか。一方はアメリカ合衆国がお墨付きを与えた歴史遺産。他方はセキュリティがうるさい私有物。私たち以外には訪れる観光客もいない。ガレージの前で記念写真でも撮ろうものなら、たちまち警備会社のスタッフが飛んできそうな雰囲気だ。でもまあ……。
 「これはこれでジョブズらしいかも」と私はつぶやく。
 ボブは何も言わずにカメラをしまう。世界有数の金持ちにして超有名人となったあとも、ジョブズにはどことなく孤独な影がつきまとう。そこが彼らしくもあり、いまなお多くの信奉者を生み出している要因でもあるのだろう。次回はスティーブ・ジョブズという一人の人間に、もう少し接近してみよう。


 次回へ続く…
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 Senior Motor Driveの目次
第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 第十六話 第十七話 第十八話 第十九話 第二十話

文:片山恭一 写真:小平尚典 
アートディレクション:東裕治

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