Senir Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中"
文:片山恭一
写真・Driver:小平 尚典  AD:東 裕治

Senior Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中" 文:片山恭一

写真・Driver:小平尚典  AD:東裕治

Scene17

モーテル・ライフ

 今夜の宿もギルロイ。アメリカでのモーテル・ライフもすっかり板についてきた。少し早めにチェックインするのがコツ。そして近くのスーパーへ買い出しに行く。テイクアウトできる簡単な食事。まずサラダを2種類ほど。ローストした肉(シニアなのでチキンが多い)とチーズを少々。パンは買ったり買わなかったり。この旅では、ドリトスにサルサ・ソースやアボカドのディップをのせて食べるのも気に入っている。まあ、食材はそんなところ。
 つぎに冷たいビール。銘柄によってかなり値段が違う。当然のことながら国産(アメリカ産)のビールは安く、ヨーロッパのものは少々割高だ。ビールは咽喉を潤す程度にしか飲まないので、とくにこだわりはない。冷えてさえいればなんでもいい。しかし私が6本入りのクアーズを手に取ろうとすると、ボブはいやな顔をする。「ケッ、そんなものがよく飲めるな」と言いたげだ。カリフォルニアまで来てハイネケンやベックスでもないので、いつもコロナあたりに落ち着く。
 最後に美味しいカリフォルニア・ワイン。1本10ドル以下という原則を、私たちは守っている。というか6、7ドルのワインで充分に美味しい。高いワインはレストランで飲めばいい。できれば他人のお金でね(^^♪

 そのワインもほどほどに、今日も運転で疲れているボブは自室に引き上げる。私はボトルに残ったカベルネをちびちびやりながら、旅のノートを書いたり、キンドルをWi-Fiに接続してメールをチェックしたりする。それからグーグルやヤフーのニュースをスクロールする。イギリスのEU離脱(ブレグジット)のことが連日のように大きく取り上げられている。移民や難民の問題でEUも行き詰まっている。何より主権がないこと、ブリュッセルでなんでも決められてしまうことに、イギリス国民は我慢ならないのだ、といった論調のものが多い。そうかもしれない。



 午後10時30分。そろそろ寝る時間だが、まだ眠りたくない。モーテルのベッドは例によってキングサイズ、シーツも枕も清潔で気持ちいい。ワインは美味しい。幸せな時間。旅を満喫しているという気分になる。旅行には本を持ってくる。荷物が重くなることも厭わず、いつも多めに持ってくるので、たいていは半分も読めない。それでいいのだ。いろんな本が手元にあるだけで、なんとなく安心。馬鹿だなあ。今回も文庫本を10冊ほど持ってきている。キンドルにはアマゾンで買った電子書籍が20冊くらい入っている。読めるわけがないじゃないか! ほんと、馬鹿だなあ。
 サイド・テーブルに積み重ねた本を、気の向くままに手に取ってページを開いていく。ウィリアム・サローヤンの『僕の名はアラム』、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』、サン=テグジュペリの『夜間飛行』、カーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』。村上春樹の翻訳が多いなあ。なかでもマッカラーズには感心した。日本に帰ったら『心は孤独な狩人』を探してみよう。昔、新潮文庫から出ていたものは、中古でかなり高額な値段が付いている。どうしたものか。
 さすがに眠くなってきた。明日は8時にチェックアウトして、午前中、サリナス(Salinas)のスタインベック・センターというところを訪れることにしている。あとワインを1杯飲んだら寝ることにしよう。サフォーさんはヘンリー・ミラーの『北回帰線』が好きだと言っていた。ヘンな人だなあ。昼にはサリナスを出て、あとはパシフィック・コースト・ハイウェイをひたすらロスへ向かって南下。途中のビッグサー(Big Sur)の近くにHenry Miller Memorial Libraryってところがあるから、立ち寄ってみるといいよとサフォーさん。ますますヘンな人だ。とてもスタンフォードで人工知能について教えているとは思えない。

 部屋の明かりを消して、ベッドに入って目をつぶる。すると大学に入学して、最初に読んだ本がスタインベックの『怒りの葡萄』だったことを思い出した。おお、なんだか『失われた時を求めて』みたいだ。ここはプルースト・スタイルでいってみよう。
 それまで文学作品など、ろくに読んだことはなかった。高校時代は理系で、大学は農学部、いまでいうところのエコロジー志向である。それでも大学に入ったら本を読まなければ、という殊勝な心がけはあったらしい。入学を控えた春休み、郷里の古本屋で文庫本の小説を何冊か買い求めた。ダンボール箱に詰め込まれ、1冊100円ほどで売られていたのではなかったか。1点はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、もう1点はスタインベックの『怒りの葡萄』、いずれも2冊か3冊がひと組の大部なものだった。好みもなにも、ほとんど文学には無知だったから、ただ目についたものを買った、という感じだったのだろう。
 親元を離れ、はじめての一人暮らし。下宿探しと引越しは両親が一緒だった。その親たちも帰ってしまい、三畳一間の部屋に一人きりになると、さすがに寂しさをおぼえた。4月のはじめ、火の気のない部屋は寒かった。四国の温暖な土地に育った者には、北部九州の気候は陰鬱なものに感じられた。大学生協で買ってきた机も、窓に掛かっているカーテンも、なんだかよそよそしい。
 荷物といっても知れている。オーディオだけは高校時代から使っているセパレート・ステレオの中級機を持ってきていた。中学時代からこづかいを貯めて集めたレコードが数十枚。最初に何を聴いたかおぼえていない。たぶんプロコル・ハルムかザ・バンドあたりだろう。気に入った音楽に寂しさを紛らせながら、郷里の古本屋で買った文庫本を開いて読みはじめた。スタインベックのほうだ。小説の読み方も何もわからずに、受験参考書でも読むようにページをめくった。とくに面白いとも思わなかったが、ブンガクとはこんなものなのだろうと納得した。

 その後、ジョン・フォードの映画を見たりして、おおよそのストーリーは頭に入っているけれど、読書体験としては、ほとんど何も残っていない。ただ刑務所を出所したトム・ジョードが、すでに家族の住んでいない家に帰ってきた夜、立ち退きを拒んで居残っている隣人と、兎の肉を焼いて食べるところだけは、なぜか鮮明におぼえている。そしていま、小説の舞台となった土地のモーテルで夜を過ごしながら、もう40年近くも前に、殺風景な下宿の部屋で過ごした夜を思い起こしている。すると焚き火を囲んで兎を焼いている男たちの姿が、暗闇のなかから亡霊のように浮かび上がってくる気がするのだった。
 それからまた別のことを思い出した。何年か前に、中国で私の本を出してくれている出版社の招待で北京を訪れたことがある。紫禁城に近いホテルの部屋は古いけれど、一家族が優に泊まれるくらい広かった。その部屋のことをおぼえているのは、重厚なキャビネットの上に、ひと揃いのアダルト・グッズが常備薬のごとく置いてあったからだ。しかも、かなり潤沢にある。「安全提示」というのがおかしい。さっそくチェックしてみる。パッケージに「安全套」とか「避孕套」とか書いてあるのはコンドームだろう。そのストレートさが気持ちいい。男用精油「激情持久」、女用精油「純情働火」、キャーッ! 一晩中燃えちゃいそう。28元。しかし、男一人でどうしろというのだ。
 いかん。こんなことを細々と思い出していては眠れなくなってしまう。ではみなさん、おやすみなさい(´O`)



 次回へ続く…
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 Senior Motor Driveの目次
第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 第十六話 第十七話 第十八話 第十九話 第二十話

文:片山恭一 写真:小平尚典 
アートディレクション:東裕治

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