Senir Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中"
文:片山恭一
写真・Driver:小平 尚典  AD:東 裕治

Senior Motor Drive

'Singularity'

"ただいまカリフォルニアを走行中" 文:片山恭一

写真・Driver:小平尚典  AD:東裕治

Scene7

オン・ザ・ロード

 マンザナー収容所を出たときには、すでに午後2時を過ぎていた。気温は華氏103度。摂氏に直すまでもなく暑い。ビショップ(Bishop)という町まで走って昼食をとることにする。途中、インディペンデンス(Independence)という西部劇にでも出てきそうな小さな町を通る。「独立」なんて、すごい名前だ。自分たちの街に、こういう名前をつけるセンスって、どうなんだろうと思うけれど、砂漠の真ん中に取り残されたような町、「独立!」というくらいの気概がないと生きていけないのかもしれない。
 ふと、和辻哲郎の『風土』のことを思い出した。人間が生きている自然環境を、和辻はモンスーン地域と砂漠と牧場という3つに分類する。地球全体で3つというのは、いくらなんでも大雑把過ぎるけれど、部分的には当たっているところもある。日本は言うまでもなくモンスーン地域である。一年を通して雨が降り、自然災害は地震と台風くらい。基本的に気候は穏やかで自然の恵みは豊か。里山や雑木林を周囲に配した村落のなかで人々の生活は営まれてきた。だからアニミズムと呼ばれるような、一種の自然崇拝が発達し、鎮守の森みたいなものが心の拠り所となったのだろう。草木国土悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)といった考え方などもしっくりくるのだろう。
 一方、砂漠の自然は厳しい。ぼんやり、のんびり、呑気にしている者は死に至る。人間は常に知恵を絞って自然と闘わなくてはならない。本邦では、ときに荒ぶる自然は、お供えをしたり神楽を舞ったりして宥(なだ)める。物腰は宥和と懐柔。しかし砂漠の自然に話し合いの余地はない。徹底抗戦あるのみ。地震は収まるのを待つ。台風も通過するのを待つ。待っているうちに自然はもとの穏やかさを取り戻す。砂漠では待っていると手遅れになる。独立!

 独立心の旺盛なやつらが、ぎりぎりの生存をかけて生きている環境では、「和をもって貴しとなす」(聖徳太子『十七条憲法』)みたいな悠長なことは言っていられない。モーセの十戒を見てもわかるように、『旧約聖書』の神は「殺すな、犯すな、奪うな」という禁止と戒律の神である。砂漠の宗教であるユダヤ教や、それを継承したキリスト教やイスラム教には、過酷な自然のなかを生きねばならない人々を律する厳しさがある。ヨブが遭遇した神などは、理不尽なまでに横暴だ。どこか寛大で、ときにユーモラスでさえある日本の神々とはえらい違い。どちらが良いというものではないのだろう。ただ彼我の違いは明らかだ。

遠山に日の当りたる枯野かな(高浜虚子)
秋風や模様のちがふ皿ふたつ(原石鼎<せきてい>)
永き日のにはとり柵を越えにけり(芝不器男<ふきお>)

 どれもいい句だし、こういう世界が私は好きだが、砂漠の厳しい自然のなかでは、ちょっと生まれようがない文芸だと思う。いい時代だったのかもしれない。いまやグローバル経済のなか、私たちの暮らしも1%と99%と言われるような富の偏在と格差のなかに投げ込まれ、砂漠化しつつある。弱肉強食、生き馬の目を抜くような熾烈さが日増しに強まっている。この世界、この時代にあって、どのような文学が要請されているのだろう。そんなことを、ふと考えてみる。

 午後3時、ようやくランチだ。サンドイッチとアイスティ。いつものようにサンドイッチは種類の違うものを注文して二人でシェアする。ボブはチキン、私はローストビーフだ。これまた例によってたっぷりのフライドポテト。アイスティは薄くて不味くて量だけが多い。文句を言ってもしょうがない。ここは砂漠を生きる人々が作り上げてきた町。たっぷりのフライドポテトも、薄くて不味くて量だけ多いアイスティも、生きるために必要だった……のだろうか? サンドイッチが美味しいので、とりあえず幸せな気分になる。
 明日はヨセミテに入るので、ボブは最寄りのマンモス(Mammoth)という町のモーテルを予約している。「独立」のつぎは「巨象」ときたか。Bishopは「司教」だしなあ。アメリカ人って、やっぱちょっとヘンなんではないだろうか? 「今日は独立を通過し、司教で昼ごはんを食べました。これから巨象に泊まります」みたいなメールを日本の家族に出したら、なんのことかって思うだろうな。ドイツ軍の暗号みたいで面白いかも。
 ここでちょっとしたアクシデントが起こる。ボブはExpediaでモーテルの予約をしてくれていたのだが、その日時が1日ずつ先送りになっていたのだ。今日は21日なのに、予約は22日になっている。3日ほど先の予約まで、同じように1日ずれている。時差のせいである。海外へ行くときは、この時差の扱いがややこしい。つまり、こういうことだ。私たちが羽田を飛び立ったのは6月20日の午前00時05分。ところが時差の関係で、ロスには6月19日の午後6時25分に着いていることになる。ここから勘違いが生じる。

 まあ、しょうがないか。明日以降の予約を取り消して、今日の宿を探すことにしよう、と口で言うほど簡単にはいかない。キャンセルといっても、Expediaから手続きをしなくてはならない。私たちはヨセミテの足元まで来ている。モーテルのおやじは不親切で、緊急事態だというのにWi-Fiさえタダで使わせてくれない。有料のWi-Fiを使えと言う。日米の友好関係に小さなひびが入る。
 背に腹は変えられない。ボブはお金を払ってノートパソコンをオンラインにし、モーテルのコインランドリーの片隅からExpediaにアクセスする。ようやくつながったSkypeの音声状態は悪い。日頃は温厚なボブの口調は険しくなる。Skypeの向こうで応対しているのは、言葉遣いからして中国人らしい。コストの問題である。グローバル経済である。おそらく日本語の堪能な学生でも雇っているのだろう。するとなにか? カリフォルニア州マンモスから発信されたボブの声は、細い電話回線のなか遥かな旅して日本へ送られ、そこから北京かどこかへ転送され、中国人のオペレーターの声が、再び日本経由でここへ届けられるということか? よくわからないけれど、そういうことらしい。
 とりあえず予約はキャンセルした。あとはのんびり今夜の宿を探せばいいのだが、マンモスのモーテルは「一昨日来やがれ!」って感じでどこもいっぱいだ。
 「ビショップまで引き返せってさ。あそこなら空いているって」
 このあたりは町から町までが、だいたい15マイルほど離れている。約24キロで30分、ビショップまで引き返すとなると1時間はみておかなければならない。他に選択の余地はなさそうだ。私たちは再び車中の人になる。

 次回へ続く…
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 Senior Motor Driveの目次
第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 第十六話 第十七話 第十八話 第十九話 第二十話

文:片山恭一 写真:小平尚典 
アートディレクション:東裕治

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