連載第十一回:日本のKawaiiものたち

 明治から大正、昭和へと受け継がれたロマンあふれる挿し絵の世界や、少年少女の文化に切り込んだ展示で人気を集める弥生美術館。東京・文京区にあるこの美術館では、今回も大人たちの心をゆさぶる展覧会が開催されています。
 題して「大正から始まった日本のKawaii(カワイイ)展」(〜7月1日)。若い女性たちのファッションやメイク、アニメなどに代表される日本の可愛らしさは、今や世界が認め、注目されているとか。そこでカワイイ展では、おしゃれ小物やインテリア雑貨、文具、おもちゃなど、女性の身辺を彩ってきた、いわゆる“ファンシーグッズ”と呼ばれるものを中心に展示して、徹底的に可愛さを検証しています。
 きいちのぬりえの原画も展示されているとのことで、さっそく、カワイイの“仲間入り”を果たしたきいち作品を見るために、弥生美術館へ出かけてみることにしました。
左:千代田線・根津駅から徒歩7分ほど。閑静な住宅街の一角に建つ弥生美術館。右:1階では人気のオリジナルグッスなどを販売。「きいちのぬりえ」も購入できる。
弥生美術館

カワイイの起源とは

 私たちにとって、カワイイという形容詞は、今やなくてはならないものといえるでしょう。日に何度もこの言葉を発することも少なくありません。愛らしさを表現する際に使うのはもちろんのこと、素敵なもの、好みのもの、美しいもの、男性に対する愛情表現だって、カワイイのひと言で十分な場合もあります。
 そもそも、この言葉がこれほど多岐に使われるようになったきっかけは、どこにあるのでしょうか。
 これについては、今回の展覧会を企画した学芸員の中村圭子さんが、興味深い証言をしてくれました。
「日本初のファンシーショップを開いたのは竹久夢二といえるでしょう。
 大正3年(1914)、夢二は東京・日本橋に港屋絵草紙店を開き、若い女性に向けて自らデザインした千代紙、封筒、木版画、半襟、浴衣や帯など、さまざまな商品を販売します。そのときに夢二が重視したのが、カワイイという感覚。
 開店時の挨拶状には、たしかに次のように記されています。“いきな木版絵やかあいい木版画やカードや絵本や、詩集や、その他日本の娘さんたちに向きそうな絵日傘や、人形や、半襟なぞを商う店でございます”。
 当時、生活雑貨を扱う場所に小間物屋がありましたが、まだ客の性別や年齢層に応じた店作りはされておらず、男性客向けの商品も扱っていたのです。ですが、港屋絵草紙店は客を若い女性にほぼ限定し、そこが新しいやり方でした。
 また夢二はこの店の商品デザインにアール・ヌーヴォーなど西洋の美術様式を取り入れ、従来の小間物屋の商品にはなかったモダンなものを販売しました。ですから、女性たちに大人気となったのは当然のことですね」
 人気店にもかかわらず、商品の補充が十分でなかったことに夢二の恋愛問題もからんで、港屋絵草紙店はわずか2年で閉店してしまいます。けれども、この店がファンシーショップのさきがけとなり、誕生した斬新なデザインの数々は、多くの図案家に刺激を与えました。
 日本のカワイイ文化がここに芽生えたということに疑いの余地はありません。
上:竹久夢二のコーナーでは、その多才ぶりと先見性に感心させられる。下:イチゴを最初に図案化したのは夢二だった。

日本独自のカワイイ文化の変遷

 さらに中村さんは、夢二から誕生したカワイイ文化の変遷についてもわかりやすく説明してくれました。
「イラストレーションの変遷で考えると理解しやすいでしょう。
 まず、夢二の描く女性の大きく丸い瞳に注目してください。今見ると、夢二の描く目はそれほど大きく見えませんが、当時世間は夢二を“大いなる目の人”と呼びました。
 それまでは丸い大きな目より、切れ長の目のほうが美しいとされていましたが、明治末期から大正にかけて、西洋文化に触れることで日本人の美意識が変化し始め、夢二はそれをいち早く作品に取り入れていたのです」
 さらにデフォルメして、より瞳の大きな女性を描いたのが中原淳一。彼が描く目を実際の人間に当てはめると、ありえない大きさになります。
 中村さんによれば、淳一は、現実の女性の美しさと、二次元世界、つまり自分の描く女性の美しさは別物であってかまわないと最初に考えた人だということです。
「こうしたイラストレーションの世界にさらに革命を起こしたのが、中原淳一に師事した内藤ルネです。ルネの描く女の子はハイヒールをはいていますから、おそらく中学生か高校生。それなのに体は三頭身、顔は赤ちゃんの比率で描かれています。デフォルメすることによって、少女に未成熟の魅力をもたらしたのです。
竹久夢二の絵葉書「日本の浅春」より
 内藤ルネが登場した昭和30年代、日本の社会は大きく変化し、少女たちのあり方も変わっていった時代でした。
 それまで女の子は大人を助けて働いたり、弟や妹の面倒をみたりしなくてはなりませんから、いつまでも子ども気分ではいられなかった。また“産めよ、育てよ”という風潮のなか、とにかく早く大人にならなければいけなかったわけです。ところが、昭和30年代になると経済的にも人々は豊かになり、女の子は急いで大人にならなくてもよくなった。未成熟であることを容認する時代が訪れたのです。ルネ独特の可愛さは、その空気感を敏感に察知したうえで誕生したということができるでしょう」
 これが、いわゆる“天才”のなせるワザなのでしょうか。
少女雑誌の付録にも可愛さは不可欠だった。
内藤ルネは数多くのファンシーグッズでも少女たちを魅了した。

きいちのカワイイを分析

 ルネの描いた少女が三頭身なら、きいちの少女も三頭身。
 両者とも、カワイイという点では共通ですが、テイストはかなり違います。
「きいちの魅力は、純真無垢なところ。あどけない表情としぐさは、“愛らしい”のひと言に尽きます。さらに、どこかに“日常”を感じさせる。絵にリアリティーがあるんですね。
 たとえば今回は、カラーで描かれた原画を中心に展示していますが、なかにおとぎ話のお姫さまを描いた作品があります。そのドレスの柄を見ると、昭和30年代に、どこかの生地屋さんで売られていたような布地を連想させます。昔を思い出して、“たしか、こんな模様のワンピースや着物を着たような”と微笑んでしまう……。
 そう、まるで学芸会のためにおかあさんが縫ってくれたようなドレスだったりするんですね。すると、家族の絆が見え隠れしたりして、そういう味わいが、きいち作品の魅力といえるでしょう」
 こうしたカワイイ世界に新風を吹き込んだのが、水森亜土だったと中村さんは続けます。
「軽いキスを交わす男女や、ちょっぴりエッチなポーズやヌードなど、カワイイにいわゆる“お色気”を盛り込んだのは、水森亜土が最初です。それまで、カワイイ世界に、セクシーさはタブーとされていました。ところが、カワイイとセクシーの見事な融合によって、カワイイに幅が出た。ここから、カワイイとさまざまな要素とのコラボが始まり、“エロカワイイ”“シブカワイイ”“キモカワイイ”へと広がっていくんですね」
 とくに日本人は、人物に限らず植物でも動物でも、いろいろなものをデフォルメしてカワイイ雰囲気を出すのが得意なんだとか。
色鮮やかな原画は、きいちのぬりえを入れる袋用に描かれたもの。
ぬりえのほか、きいちのきせかえも展示されている。
“エロカワイイ”の元祖・水森亜土のイラストは、ありとあらゆるグッズを飾った。
 今回の展覧会には、このほかにも見所がいっぱいで、そういう目で館内を眺めてみると、懐かしいだけでなく、“なるほど”と感心させられる点がたくさんあります。
 カワイイものに囲まれている今だからこそ、改めてそのルーツを知り、変遷をたどってみてはどうでしょうか。
大正から始まった日本のKawaii(カワイイ)展 〜ファンシーグッズを中心に〜