連載第十七回:画家・八代亜紀の描く やさしく懐かしい世界

 卓抜した歌唱力で、さまざまな心模様を歌い上げる演歌歌手の八代亜紀さん。
 ときには秘めた想いを吐露するように、あるいは心の叫びをしぼりだすような熱唱ぶりで人々を魅了します。
 艶やかな風貌から、歌手・八代亜紀には、情念のような激しい世界が似合いますが、画家として過ごす時間は、安らぎのひとときなのでしょうか。好きな画家のこと、ご自身の作品の主題や描法について、終始、穏やかな笑顔で語ってくれました。まさに素顔の八代亜紀さんとお会いできたという感じです。
 そんな彼女は、独特なタッチの静物画で、幾度となくフランスのル・サロンでの入賞を果たしています。
 歌手としてだけでなく、画家としても活躍を続ける八代さんが、なぜ、『きいちのぬりえ』について語ってくださることになったのか。
 じつは、八代さんが画家としてつむぎ出す世界と、蔦谷喜一のぬりえの世界には、意外な共通点があったのです。
『きいちのぬりえ』などを眺めつつ、「私たちの子ども時代、ぬりえは、そう簡単には買ってもらえなかったんですよ」。

木登りの得意な活発な女の子だった

「この三頭身の女の子、可愛いですね。懐かしい題材を扱っているのも共感できます。障子はりに蚊帳つり……、自分がまだ幼くて、親の庇護のもとで幸せに暮らしていた時代を思い出します」
 喜一の描いた少女絵の印象を八代さんはこんなふうに語ってくれました。
 では、幼い頃の八代さんは、どんな少女だったのでしょうか。
元気いっぱいの女の子でした。木登りが得意で、男の子に負けないくらい速かった。いったん登り始めると、どこに手をかけて、次にはどこに足を乗せてなんて考えなくても、本能的にパッパと体が動いて、気づいたら木のてっぺんにいたという感じ。
 忘れられない思い出としては、台風の日の木登りね。
 強風で木がしなって危ないから、男の子たちは怖がって登ろうとしない。そんななか、スルスルと登っててっぺんに到達したのは亜紀ちゃんだけだったの(笑)」
 男の子顔負けのおてんば少女との印象ですが、 ケガをしたり、危険を感じたりしたことはなかったのでしょうか。
「一度だけありました。木登りと同じくらい得意だったのが、鉄棒の上を綱渡りのような感覚で歩くこと。低い鉄棒から高い鉄棒へと進み、最後は自分の身長よりも高い鉄棒の端まで行ったら、Uターンしてくるという遊びです。
 いちばん低い鉄棒まで戻ってきたとき、鉄棒がゆるんでいてクルクルと回っていたことに気づかなかった。足を踏みはずして落下し、口元を切ってしまって……。親にひどく叱られました。今でもそのときの傷がうっすらと残っているんですよ」

雨雨ふれふれ、もっとふれ……

 それでも、おてんばをやめなかった“亜紀ちゃん”ですが、いっぽうで、現在の仕事につながるような遊びもしていました。それは、自ら芝居の脚本を書き、友だちを集めてみんなで演じること。
「いい時代でした。いまのように多種多様なおもちゃがあったわけではないし、たとえあったとしても、大人たちにはそれを買い与えるような経済的余裕はありません。だから子どもは工夫して遊び、おもちゃを持っている子がいたとすれば、それをみんなで共有するのが当たり前でした」
 毎日、野山を飛び回って遊んでいたようですが、外で遊べない雨の日もまた、楽しかったと八代さんはいいます。雨の日には、お絵かきの楽しみが待っていたからです。
「女の子の絵をよく描きました。『きいちのぬりえ』にあるような、ドレス姿も好んで描きましたが、ただし、すその広がったドレスではなく、マーメイドスタイルの大人っぽいもの。不思議なことに、それは、のちの八代亜紀のステージ姿そのものだったんです」
1998年、伝統あるル・サロン展に初入選した作品。タイトルは「思い出」で、懐かしいおもちゃをモチーフに、画面中央には5歳の頃の八代さんが。「夢見ていたときの私と、夢を実現しつつ、さらなる夢に向かって進む今の私。時は流れたが、その本質は何も変わっていない」といいます。  また、彼女はクラスで人気の漫画家でもありました。当時、漫画雑誌は、けっして安いものではありませんでしたから思うようには買えない。そこで、八代さんが描く漫画を楽しみに待つクラスメートは多かったのだそうです。
 お絵かきから漫画へ、そして、いつしか絵画の世界に興味を抱くようになります。
「歌手になってからも、ずっと絵は描き続けていました。どんなに忙しいときも。
 熱中するあまり、気づいたら夜が明けていたということも少なくありませんでしたね。“本業の歌に支障をきたすことのないように”と当時マネージャーだった、いまの夫からたびたび注意を受けるのですが、それでも顔に絵の具をつけて仕事場に現れる始末。
 このままでは体を壊すとの配慮からでしょう。絵を描く日がスケジュールに組み込まれるようになりました。
 12〜13日、コンサートやテレビの仕事をしたら、3日間、箱根のアトリエにこもって絵を描くというペースです。ですから絵に専念できるのは1か月に6日間。これは私にとって貴重な時間なので、一度カンヴァスに向かうと、5、6時間は、大好きなコーヒーすら口にしない。それほど集中しますね」

“心を癒す作品を描きたい

 以前は水彩で、おもに風景を描いていた八代さんですが、20年ほど前、油彩に切り替えたのをきっかけに静物画に転向。主題も大きく変化しました。
「野の花を摘んできて陶器にさしたとき、そこにできる光と影。これを表現するのがとても面白い。ふだんは見向きもされない野の草が、主役になるのも素敵ですし。“そういえば、子どもの頃に野の花を摘んだ……”と幼い日を懐かしむ方もいらっしゃるかもしれませんね。
 誰もが触れたり、親しんだり、感じたものをモチーフにすることが多いんです」
 そういう目で作品を拝見すると、画面には、紙風船、剣玉、シャボン玉に折鶴のほか、バスケットや麦わら帽子など、子ども時代に慣れ親しんだものがたくさん描かれています。
東京・目黒区の閑静な住宅街にあるミリオンアートスペース「八雲ギャラリー」にて。ここには八代さんの作品が展示されています。 「大人になるといろいろとつらいこともあります。でも、無邪気で幸せだった子どものときの記憶は誰にもあると思うのです。当時を懐かしみ、一瞬でも幸せの感覚を取り戻してもらえたら……。それが作品に込める私の想いです。数分でもいい。その時代を取り戻せたら、“明日からまたがんばろう”という気持ちにもなりますね。
 私にとって絵を描くということは、何よりの楽しみで、心のマッサージにもなっている。だから観てくださった人々の心も癒したいと思うのです」
 画面に描かれたいつまでも消えないシャボン玉に、人はどんな想いを重ねるのでしょうか。
懐かしさで心を癒すという点で、『きいちのぬりえ』と共通する部分がありますね。それにぬりえは、幼子からおばあちゃまやおじいちゃままで、誰もが楽しめる、とてもやさしい題材だと思います。
 小さな子どもに“ほら、気をつけて、はみ出さないようにぬってごらん”というと、子どもは集中してがんばりますね。ぬりえには、心を癒すと同時に、集中力を育んだり高めたりする力もあるのではないかしら」
 これからも歌手として、画家として表現し続けたいと語る八代さんに、今後の抱負についてもうかがってみました。
「80歳を過ぎたら、私を歌手ではなくて、画家として知っている人が多くなっているかもしれませんね。そこで突然のコンサート情報にみんなが驚くの。“画家の八代亜紀って、もとは歌手だったらしいよ。今度、コンサートを開くんだって”。
 そしてコンサート当日、ロビーには、私の歌手時代を知らない若者があふれている……。そんな未来を想像することもあるんですよ(笑)」
 幼い頃、マーメイドドレスを着て歌う将来の自分を予知していたように、このイメージも現実のものとなるのでしょうか。
 彼女の歌う名曲の数々が、あと20年ほどで忘れ去られるとは思えないのですが、そんな八代亜紀さんにも出会ってみたいような気がします。
「八雲ギャラリー」では、毎週、絵画サークルを開催。八代さんが指導にあたることも。
八代亜紀 1950年、熊本県八代市生まれ。1971年にデビューし、「なみだ恋」「愛の終着駅」「舟唄」など、数多くのヒット曲を生む。1980年、「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞・大賞を受賞。2012年10月10日には、初の本格ジャズアルバム「夜のアルバム」を発売。また、幼少期から絵画を趣味とし、1985年、銀座三越にて初の個展を開催する。1995年、画家の市川元晴氏に師事し、3年後には欧美国際展(ドイツ、オランダ、ベルギー展)入選。同年、フランス ル・サロン展でも初出品作で初入選。ル・サロン展には5年連続入選を果たし、永久会員となる。