連載第二十回:ほんのり、フワフワ……、パステルで表現されたひと味違うきいちの世界を楽しんでみませんか?

 きいちのぬりえのファンの年齢層は幅広く、子どもの頃にぬりえを楽しんでいたという女性に限りません。とくにクリエイティビティーを発揮する仕事に就いている人には男性が多いようです。グラフィックデザイナーの佐藤晃一さんもそのひとりで、1970年代、佐藤さんはきいちのぬりえやきせかえなどをモチーフとしたポスターを制作しました。たとえば、1971年の青年座の舞台「抱擁家族」のポスターには、きいちのきせかえの中の家族が、佐藤さんの美意識によってアレンジされて登場しています。また、佐藤さんは、78年に資生堂ザ・ギンザで開催されたきいちのぬりえ展のポスター制作を担当された方でもあります。この展覧会が開催されたのは、ぬりえブームの衰退によって忘れ去られたきいちの名前が再び注目された時期で、この頃のことを「第二次きいちブーム」と呼んだりもします。
 あれから約30年が経った今、再び、佐藤さんがきいちの絵をモチーフとした展覧会を開催中とのこと。展覧会にお邪魔して、今回の試みやきいちの魅力などについて伺ってみることにしました。
上:展覧会会場にて。燦(さん)≠ニいうテーマにふさわしく、展示されている印刷物はどれもきらめきを放っている。下:「喜一さんとはお会いできなかったけれど、実際にお話したら、きっと共通点がかなりあっただろうと思うんです」と佐藤晃一さん。

印刷技術によってやわらかな光を放つ少女たち

 訪れたのは東京・文京区にある印刷博物館P&Pギャラリーです。きいちの少女たちが起用されている「グラフィックトライアル2013」という展覧会は今回で8回を数え、そのテーマは「燦(さん)」。佐藤晃一さんを含む4人のクリエーターの方たちが参加されています。「グラフィックトライアル」とは耳慣れない言葉ですが、ひと言でいうなら、グラフィックデザインと印刷表現の関係を深く追求して、新たな表現を得るための試みとのこと。テーマである「燦」という言葉の意味どおり、「きらめき」「鮮やかさ」「美しさ」などの実現に向け、印刷技術を駆使して輝くような存在感のあるグラフィック表現を目指そうというものです。
「燦というテーマを聞いた時、蛍光インキを使おうと思いました。彩度が高くても濃度の薄い蛍光インキを使う場合は、2回、3回と刷り重ねることが多いのですが、このインキをもっと薄めたらどんな色が出るのか、蛍光インキによるパステル表現の可能性というこの未開拓のテーマに挑戦してみようと考えました」と佐藤さん。そこで、もっともふさわしいモチーフとして思いついたのが、1969年から70年代にかけて佐藤さんがコレクションしていたきいちのぬりえだったというわけです。きいちのぬりえの袋に描かれた絵を使って、さっそくトライアルが始まりました。
 単に蛍光インキを使っただけでは、喜一さんの作品のままということになってしまいます。そこで佐藤さんは、ふたりの合作としての表現を実現するための方法として、パステルカラーと黒い色面を組み合わせ、さらにこの組み合わせを効果的にするためにぼかし≠入れることを着想しました。ぼかすといってもただピントを甘くすればいいだけではなく、ぼかした画像にシャープな画像を重ねるなど、そこには佐藤さんがこれまでに培ってきたテクニックが生かされています。
 こうして完成した少女たちの姿は、ふんわりと浮きあがって、それでいて輝いて見えます。まさに燦≠ニいった雰囲気。きいちのぬりえといえば、赤や緑などの原色の色使いという印象が強いのですが、佐藤さんはそのイメージを打ち破ってパステルカラーの少女たちを生み出しました。きいちファンの人たちには、ぜひ会場を訪ねて、新鮮な魅力を湛えたこの少女たちに会ってほしいと思います。
5枚のポスターは、それぞれホワイトで薄める割合を変え、徐々に白くなっていくように仕上げられている。背景などの一部を黒くしたのは、画面を引き締めて少女たちがより輝いて見えるようにするための演出。同じ絵を変化させるのではなく、5枚とも違う絵柄を用いて表現しているところに佐藤さんのこだわりとサービス精神が感じられる。

「小石川の良寛様」とぬりえ

「僕はファインアートを目指す天才少年だったから油絵を描くのに熱心で、きいちの世界とは無縁な少年時代を過ごしました」と言って笑う佐藤さん。幼い妹や近所の子どもたちがぬりえを楽しむなか、ひたすらカンヴァスに向かう佐藤少年の姿が目に浮かぶようです。
 そんな佐藤さんが、なぜ、きいちのぬりえと出会ったのでしょうか。
「60年代後半から、戦後のモダンデザインからこぼれ落ちたような正統派とは考えられていなかった土着の技術や表現に興味を持った時期があって、それできいちのぬりえとか駄菓子のパッケージとか、マッチのラベルなどをコレクションしていたのです」
 ある日は、アンディ・ウォーホルの作品を観(み)に美術館に出かけ、ある時は、近所の駄菓子屋できいちのぬりえを買うという、そんな時期があったと言います。
「僕の中にアンディ・ウォーホルと蔦谷喜一が共存していました。多くの人にとって喜一作品はなつかしい≠ニいうものでしょうが、僕にとっては違う。大人になってから突然、正面からやってきて衝撃にも近い感覚を与えられたものです。当時は、きいちのぬりえを部屋中に貼り、それが玄関にまで溢れていたので、子どもたちが駄菓子屋と間違えて入ってくるというのが日常茶飯事でした」
 佐藤さんは、そういった子どもたちを歓迎して、一緒にぬりえで遊んだり、リクエストに応じてぬりえをプレゼントしたり、こうした日々を送っていたため、いつの間にか住んでいた地名を冠して、「小石川の良寛様」と呼ばれるようになったそうです。ちょうどその頃に生まれた息子さんにも「記一(きいち)」と名づけました。 「あれからずいぶん経ちますから、喜一さんのことは忘れたつもりでいたのですが、今回の展覧会の準備に際し、すぐにあの少女たちを思い出したということは、僕の引き出しのどこかにしまってあったのでしょうね」
コレクションしていた「きいちのぬりえ」について楽しげに語る佐藤さん。愛用のバッグをさり気なく飾っているのは、きいちの缶バッジ。

グラフィックデザイナー蔦谷喜一

 今回の展覧会に当たり、佐藤さんは若い人たちにきいちのぬりえを見せて、その反応を確かめたそうです。
「僕の事務所には時々学生たちが遊びに来るので、彼らにきいちのぬりえを見せたところ、とてもビビッドに反応して興味を示したので、これをモチーフにすることに間違いはないと思いました」
 デザイナーとして常に時代を読む佐藤さんは、蔦谷喜一という人に対しても、ほかの人とは違った観点から眺めています。
「喜一さんにお会いしたくて何度かコンタクトをとろうとしてみたのですが、連絡先がわからず、結局、お会いすることはできませんでした。ですから喜一さんは僕にとって私淑するぬりえ作家ということになります。でも、お会いしなくても作品を見ているとわかることがあって、それは、彼がグラフィックデザイナーとして、自分が描いたものと印刷とのコラボレーションを楽しんでいたに違いないということです」
 晩年の喜一さんは、「若い時は日本画家を目指していて、本当はぬりえなんかやりたくなかった。ぬりえという仕事にコンプレックスがあった」と語っていましたが、佐藤さんはそれをこう分析します。
「たしかにぬりえを始めた当初はそんな思いもあったかもしれません。ぬりえの袋絵の真っ赤な色は発行元の要望だったようで、これについても、もっと上品な色でまとめたかったことでしょう。でも、ぬりえが売れて大人気になると、こうした色合いもまんざら悪くないと思ったはずです。同じ絵でも印刷によって印象が変化する面白さを実感したことでしょう。その証拠に喜一さんの絵から「楽しい」という思いが伝わってくるのです。
きいちのぬりえの袋に描かれた絵は、バックを赤にして印刷されることが多かった。きいちの少女には華やかな赤が似合い、売れ行きもよかったからだ。
 たとえば、袋絵に必ず描かれた書き文字であるぬりえ≠フぬ≠フ文字は、江戸時代に流行した千社札から発想した文字ですが、画家だったらおそらくこんな発想はしないはず。さらに喜一さんは、このぬりえ≠フ文字の前に人物を置いて、平面的な空間を重層的に表現していますが、この点についても、やはり画家だったら、あいているところにきれいに収めようとするでしょう。こういう点から判断しても、喜一さんはグラフィックデザイナーとしての視点で色や構図を考えていたと思うのです」
 さらに「喜一さんの絵には、江戸時代の浮世絵版画の伝統が息づいている」とも評する佐藤さん。なるほど、そういう普遍性をきいちのぬりえに見出し、その魅力を冷静に分析できる佐藤さんだからこそ、今回の展覧会が実現したといえるのでしょう。
佐藤さんが指摘するように、どのぬりえの袋にも千社札の文字で「ぬりえ」と描かれ、平面的な画面を立体的に見せるために、ぬりえの文字を人物で隠すというテクニックも頻繁に用いている。
佐藤晃一(さとうこういち):グラフィックデザイナー。1944年、群馬県高崎市生まれ。東京藝術大学美術学部卒業。資生堂宣伝部を経て、71年に独立。東京ADC最高賞、毎日デザイン賞、芸術選奨文部大臣新人賞受賞。ニューヨークの近代美術館(MoMA)ポスターコンペ一席をはじめ、多数の国際ポスターコンペで受賞。作品は国内外の美術館に所蔵されている。
GRAPHIC TRIAL 2013   テーマ  燦(さん)2013年8月4日(日)まで 印刷博物館P&Pギャラリーにて開催開館時間10:00〜18:00 (月曜休館) 入場無料