第一回「孝行糖」うんちく編

飴写真1 飴写真2

<金太郎飴>
「金太郎飴」は江戸時代に大阪で流行った元禄飴の福助・おかめの絵柄にヒントを得て、金太郎本店の初代が明治初期に考案した。直径2cm、長さ25cmの中棒で1本315円。切り飴もある。

水無くして飴を作らむ。飴成らば吾必ずほう刃(ほうじん)の威をかりずして、さながら天下を平らげん

神武天皇が東伐の戦の折、大和高尾において天下統一を祈願して飴をつくったという記載が『日本書紀』(720)に見える。もっとも、これは神話の時代に遡った伝承だが、古代から"飴"があったことは間違いない。

古代の飴は米などを原料にした水あめで、蔓草の樹液を煮詰めてとる「あまずら」と並ぶ貴重な甘味料。神への奉げものであり、薬としても長く珍重されてきた。

平安時代や室町時代には飴が売られていたという記録もある。飴が一般に身近なものになるのは江戸時代だ。太閤秀吉も口にしたといわれる大阪摂津の「平野あめ」や京都東福寺門前の菊一文字屋の飴が江戸で"下りあめ"として大いに評判を呼んだ。元禄・宝永の頃(1688〜1711)には、浅草の浅草寺境内で「千歳飴」が売り出されて人気を博した。これは平野あめの製造者が江戸に出て新たに考案したものという。江戸中期には飴の種類も増え、縁日で細工飴も売られるようになった。まだ飴がやわらかいうちに和鋏や棒で成型、干支の動物などを細工してみせたのである。

江戸で人気を博した飴は、土平飴、唐人飴、あまいだ飴、櫻飴、肉桂飴、だるま飴など様ざま。その飴の名はいずれも売り声にちなんだものらしい。彼らは奇抜な衣装と鳴り物で客を集めた。飴が売れると常磐津を唄い聞かせたり、狐の扮装で踊ってみせたりする飴売りもいたのである。なかでも一番人気はお萬が飴売り。独特の節回しで唄うようにして「可愛けりゃこそ神田から通う・・お萬が飴じゃ、一丁が4文」と売り歩いたが、この飴売りはもとは屋根職人だった男が女装したもの。その突飛さが物見高い江戸っ子に受けて、お萬が飴は大あたり。天保10年(1839)には中村座の4世中村歌右衛門が春狂言で、お萬が飴の扮装を真似、常磐津で踊ってみせたことから、いよいよ大評判になった。

なお、落語で与太郎が売る「孝行糖」も、弘化3年(1846)頃から江戸で実際に売られていたという。

金太郎飴の作り方

飴の製作工程1 飴の製作工程2 飴の製作工程3 飴の製作工程4
店内の様子
店舗情報
「金太郎飴本店」
住所:〒110-0003東京都台東区根岸5丁目16-12
電話:03-3872-7706
営業時間:9:00〜18:00
定休日:日曜・祝日(土曜不定休)
交通:地下鉄日比谷線「三ノ輪」駅2番出口から徒歩1分
URL:http://www.kintarou.co.jp

写真は金太郎飴の制作風景。水飴と砂糖を煮詰めて色づけした顔のパーツを組み合わせてゆく。

聞き書き・取材・文/佐藤俊一 撮影/鷹野晃