第二回「目黒の秋刀魚」うんちく編

サンマ

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歌川広重『名所江戸百景』から「目黒爺々が茶屋」。落語『目黒のさんま』で野駆けに出たお殿様がサンマを初めて食べたのが、この絵に描かれた風景のなかだ。

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「茶屋坂」は将軍家光が鷹狩りのたびに立ち寄った「爺々が茶屋」があった坂道。現在の目黒区三田2丁目あたりになる。ここから望む富士の眺めがことに秀逸だった。

江戸初期に紀州で始まったサンマ漁。
庶民が食べ出したのは中期から

サンマの塩焼きは日本の秋を代表する味覚だ。しかし、その食の歴史はさほど古いものではない。庶民がサンマを食べ出したのは、江戸も中期頃からである。

あま塩のさんまといふ魚、明和(1762〜72)頃迄は喰うもの多からず。しかるに安永改元(1772)頃、「安くて長きはさんまなり」と壁書きせしが、その頃より大いに流行(はやり)出して、下々の者、好みて喰らう事と成りたり
(『梅翁随筆』)

サンマの名は、その細身の魚体から「狭真魚(サマナ)」と呼んだことから出たという。正徳三年(1713)の『和漢三才図会』はサンマを「佐伊羅(さいら)」の名で記して

魚中の下品(げぼん)なり

としている。

裕福な町人のなかにも、サンマを好んで食べる者が出てくるのは寛政年間(1787〜1800)になってからだ。それでも、旗本などの武家の多くは、サンマを下世話な魚とみなして依然として食べることはしなかったという。その意味では、落語『目黒のさんま』のお殿様の噺も、まったく故なきことではない。

地域によっては、サンマをサヨリとも称した。天保二年(1831)に刊行された魚河岸の見聞録『魚鑑』には

京都ニテさよりト称フ

とある。サンマとサヨリはどちらも約35cmの細身の魚体で、背びれと尻びれの位置が尾に近く、生息する海域や餌にも共通点が多い、いわば親戚筋の魚でもあるが、さて――。

サンマ漁は江戸初期に紀州熊野灘から始まった。サンマは水温15〜18℃の海域を好むが、当時は寒流が今よりかなり南下していたらしい。先の「サイラ」は紀州の方言のサヨリが訛ったものという。あるいは大漁祈願のための供物を意味する「祭魚(サイラ)」が、その語源ともいう。サンマの学名もサイラである。

漢字で「秋刀魚」と書くようになったのは、明治の中頃から。江戸時代は「三馬」の字をあてることも多かった。栄養豊富なサンマは食べると馬力がつくことを体験的に知っていたからに違いない。明治の文豪・夏目漱石も『我輩は猫である』のなかで"三馬"の字を使い、主人公の我輩に「おさんの三馬を偸んで返報してやったから、胸のつかえが下りた」といわせている。

ところで、江戸時代の目黒には徳川家の御狩場があった。三代将軍家光が鷹狩りに訪れる折、そのつど好んで立ち寄ったといわれるのが、後に歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれる、百姓・彦四郎の「爺々が茶屋」。以後、家光に倣って目黒へ御成りの歴代将軍は、この茶店で休憩して銀一枚を与えるのが恒例になった。十代将軍家治は、ここで団子と田楽を食したという。そんな将軍家の逸話が『目黒のさんま』の下敷きにあるとみていい。

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店舗情報
「駒八」目黒店
住所:東京都品川区上大崎2-13-35
電話:03-5420-3945
営業時間:月〜金は11時30分〜14時(ランチ)、17時〜23時30分。土・日曜は16時〜23時。
定休日:祝日と年末年始
交通:JR目黒東口徒歩2分
URL:http://www.komahachi.com/sanma.htm

「駒八」では落語『目黒のさんま』に因んだ新さんま料理を供する。時期は7月〜11月末。「つみれ汁」(左上)と「刺身」(右上)は各680円。手前の「焼霜新さんま一本寿司」は780円。いずれも注文を受けてから調理する。

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「目黒のさんま祭り」は毎年9月の第一もしくは第二日曜に行われる。主催は品川区・目黒駅前商店街振興組合。場所は目黒駅近くの誕生八幡神社(品川区上大崎)周辺。岩手県宮古から直送の6000匹の新さんまが振舞われる。「目黒のさんま寄席」も恒例だ。

取材・文/佐藤俊一 撮影/鷹野晃
参考文献/
塚田 國之著『さかな物語』(大日本絵画)
『浮世絵名作選集 名所江戸百景U』(山田書院)
『落語と江戸風俗』(教育出版)