第三回「阿武松」うんちく編

コメ

長い歴史の中でも豊作の続いた時代が、「阿武松」の舞台

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「浅草宿六」では、時期に合わせて厳選した産地のコメを大釜で炊く。タネは梅、山ごぼう、葉唐辛子、生姜味噌など日本各地のものを吟味してにぎり、海苔は江戸前を使用する。

大陸から伝えられたコメの栽培が日本で始まったのは縄文後期。九州や青森の遺跡から二千年以上昔の水田跡が見つかっていることからも確かだ。

以後、コメは一貫して日本の主要作物になった。古代から年貢の中心はコメで、江戸時代の経済はすべての物の価値をコメに換算して表す、いわば「コメ本位制」。諸大名の力も持っている米の石高で示された。一石は米俵二・五俵分。ひとりが一年間に食べるコメの量に相当する単位で、因みに「伊達五十六万石」は約五十六万人を養える規模の大藩だったと思えばわかりやすい。

江戸幕府は寛永十一年(一六三四)頃から、しばしば「減醸令」や「新酒づくり禁止令」を打ち出した。その最大の理由は、幕府の経済の根幹をなす米価の調整と農民の統制を図るため。コメの生産は凶作との闘いで、収量は常に消費に追いつかなかった。そのため日本人のコメへの憧れはいよいよ強く醸成され、増産が民族的悲願にもなった。実際、長いコメづくりの歴史において初めて"余剰米"が生じたのは、じつに昭和四十年以降のことだったのである。

さて、落語の阿武松は江戸相撲で六代目の横綱を張った実在の人物だ。噺のなかでは、その凄まじい食べっぷりが語られるが、彼が活躍した文化文政期は日本のコメづくりの歴史の中でも豊作が続いた、きわめて稀な時代だった。各地で大食い競争も盛んに行われた。その白眉に、文化十四年(一八一七)、両国柳橋の万八楼で行われた大食い大会がある。

めし組・うなぎ組・そば組・酒組・菓子組の各部門に分かれて百数十名が大食いを競い合った。結果、「めし組」第一位の栄冠に輝いたのは三河島の三右衛門なる人物で、その数六十八杯。二位は浅草の和泉屋吉臓の五十四杯だった。「酒組」の一位は一斗九升五合を飲み干した鯉屋利兵衛である。これらの数字については江戸趣味人の洒落だとする説もあるが、天保二年にもやはり同様の大食い大会が催されて江戸っ子の注目を集めている。

江戸時代までは兵糧あるいは旅人の携行食は「干飯」と相場は決まっていた。これは玄米を蒸して乾燥させた保存食で、湯や水にもどして食べた。
奈良・平安時代の文書にすでに見える「屯食」が握り飯のこと。この握り飯が干飯に代わって携行食として当たり前になるのは明治以降である。

歴史を遡れば、弥生時代後期のチャノバタケ遺跡(石川県)からは、おにぎりと思われる炭化した米粒の塊も出土している。水を吸わせた米を植物の葉に包んで茹でたものらしく、握った手指の痕跡も残っていたという。

因みに日本最初の駅弁に採用されたのは、梅干入りで黒胡麻をまぶした握り飯。傍に沢庵を添え、竹の皮に包んで、明治十八年(一八八五)七月に栃木県の宇都宮駅で売り出されたものだった。

ところで、ご飯茶碗は誰もが専用の器を持つ。洋食の皿などは家族でも共有するのが普通だが、ご飯茶碗は銘々はっきりと決まっていて、共有することはまずしない。これは大事な器には個人の魂が乗り移るとする、日本古来の考え方に基づく伝統らしい。とりわけ命と同義のコメを盛る茶碗については、その習慣が色濃く伝承されているのである。

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店舗情報
おにぎり「浅草 宿六」
【住所】〒111-0032東京都台東区浅草3-9-10
【電話】03-3874-1615
【営業時間】11:30〜17:00、18:00〜2:00
【定休日】日曜(昼)、水曜(夜)
【価格】おにぎりは1個260円から各種。お好みのおにぎり2個と豆腐の味噌汁・沢庵つきのランチセットは640円〜。
【交通】地下鉄銀座線・東武伊勢崎線・都営地下鉄浅草線・つくばエクスプレスで「浅草駅」下車。徒歩約10分。浅草寺本堂裏手の言問通り沿い。
【URL】www3.ocn.ne.jp/~yosuke/
取材・文/佐藤俊一 撮影/鷹野晃