こんな"旦那"がいたら・・・
そんな芸人の気持ちが作り上げた理想の旦那像が描かれてます

公演中の柳家喬太郎(1) 公演中の柳家喬太郎(2) 公演中の柳家喬太郎(3)

実在した江戸相撲の六代目横綱阿武松緑之助の出世物語を描いた噺。大飯食らいのため、自分を破門にした親方と土俵で対決する。「あまり泣かせる人情噺にせず、大飯食らいを魅力的に描きたい」。

『阿武松』は相撲取りの噺ですけどね。相撲はぜんぜん知らないので、あんまり言えないんですよ。まったくといっていいほど相撲は見ない。というか、スポーツというものに一切興味がないんです、ええ(笑)。

でも、噺家には相撲が好きな人が多いし、相撲の噺もたくさんありますよ。『花筏』『佐野山』『大安売り』『鍬潟』とか、みんな相撲の噺です。講釈にも多いし、浪花節にもある。芝居にだってある。だから、相撲はみんなが非常に身近に楽しめるものなんでしょうね。

この『阿武松』って噺自体は面白いですよ。主人公はやたら大飯喰らいで「相撲とりにでもなれ」といわれて江戸に出てくる。ところが、あまりに飯を食うので、最初の親方のところは破門になるわけです。それにしても、飯を食う量は頭抜けてますよね。毎朝、釜のお焦げをさらって赤ん坊の頭ぐらいのお結びを17〜8個ぺろりと平らげる。それから朝食で、何杯食うかわからない。そんなに食ったら、親方もかなわんでしょう(笑)。

結局、こんな大飯食らいはどうしようもないと首になる。村にも帰れないから、いっそ、死のうというところを旅籠の旦那に助けられて、新しい親方に紹介もしてもらう。そこへ行ったら「相撲取りが体つくらないでどうする、食う分にはいくら食ってもかまわない」といってくれるわけですね。助けた旦那も「コメだったら、いくらでも送る」という。この旦那さんは、本当に相撲が好きな人なんですね。相撲とりに対する愛が凄くて、応援はするけど、押し付けない。このへんは、とっても気持ちいいですよね。このあたりを前面に出して、人情噺風にもっていくこともできるんでしょうけど、それをしつこく泣かせに持っていくような感じがしないのが気持ちいい。いい意味でのタニマチって感じがしますよ。ああ、"旦那衆"ってこういうものなんだなあと思います。

この噺はもとは講談で語り継がれてきて、そこから落語に転じたようですけどね。「こんな旦那がいたらいいなあ」という、芸人の無意識の気持ちが、こうした人物像をつくりあげてきたんじゃないか、そんな気がします。

噺に出てくる「おまんま」は、
江戸っ子の情を表すのにも使われますね

よく「俺はおまんまッ食いだから」ってふうに言いますけど、…よくは言わないか。柳家ではよく言うんですけど。おまんまってホントいいですよね。何にでもあいますから。

この噺の阿武松もそうですが、オカズなんかなくたっていい。沢庵のふた切れもありゃ、おまんま食えるんですよね。『さんま火事』には、さんまの匂いだけでおまんま食おうなんて台詞が出てきますよ。

そのおまんまで、江戸っ子の情みたいなことをいった小噺もありますよ。長屋暮らしの夫婦がいて、隣の旦那が具合が悪くて仕事に出かけられないのかな。で、コメが買えないから、子供が泣いてるのが可愛そうだと、御飯をあげるんですけどね。「芋食べてんのよ、可愛そうに。おまんま炊いたからあげてきちゃったわよ」「そうか、芋食ってんじゃ可愛そうだ、食わしてやれ、食わしてやれ。いいことをした。じゃあ、うちも飯にしようか」「あげちゃったから、ないわよ」「芋でも食おうか」(笑)

相撲の噺でマクラによく使われるのは<一年を十日で暮らすいい男>という川柳ですかね。昔はひと場所が十日で、それで相撲取りは飯が食えたと。それからもうひとつ、相撲の噺のマクラの常道として<お相撲さんにはどこ良て惚れた稽古帰りの乱れ髪>、男の色気をうたった都々逸かな、これをふっておいて、ついでにお相撲と噺家を対比する。<お相撲さんにはどこよくて惚れた・・>、まあ、女も惚れますなあ。その点、我々はだらしがなくて。<噺家さんには愛想がつきた稽古帰りの間抜けづら>(笑)。そんなふうに、マクラではよく使いますよね。あとは、ご祝儀の話。お相撲さんの祝儀にはこんな厚い札束がきて「ごっつあん、です」。これでおしまい。われわれは、こんなこともやって、あんなこともやって、あんなことも、こんなこともやって、ご祝儀は・・!?(笑)って対比の仕方です。

写真は「浅草宿六」のおにぎり。創業は昭和二九年。おにぎり専門店としては東京で一番古い歴史を持つ。おにぎりそのものの歴史は弥生時代に始まっている。

ところで、いま「阿武松」って相撲の親方もいますよね。もとの四股名は益荒男(ますらお)で、引退して阿武松になりましたって。それ聞いて「へえ!、ホントにある名跡だったんだあ」って思ったんですけどね。
聞いたところでは、この噺の主人公の阿武松緑之助というのもホントに実在した相撲取りで、江戸の文政年間に横綱になっているそうで。ずいぶん人気があったらしいですよ。噺では敵役の武隈親方も実在したようですけど、こちらは阿武松が相撲取りに入門する前にとっくに引退していたので、その点は噺とは違います。

聞き書き・取材・文/佐藤俊一 撮影/鷹野晃

演目あらすじ

「阿武松」とは?

能登の七海村の長吉が江戸に出て、相撲取りの武隈文右衛門に弟子入りをする。しかし、あまりの大飯喰らいのために部屋を追い出されてしまう。郷里に帰ろうとしたが、それも面目なく、いっそ身投げをして死のうと思う。その前に、せめてお腹いっぱい「おまんま」を食べてからに死ぬことにしようと決め、板橋の旅籠に投宿して此の世の食い納めをすることに。あまりの食いっぷりのよさに感心した主人の善兵衛は、長吉の話を聞いていたく同情。根っから相撲好きの彼は「コメの心配はするな」といい、根岸の親方・錣山(しころやま)喜平次を紹介してくれた。ここで小緑の四股名をもらった長吉は番付もどんどんあがって大出世。入幕をはたして四股名も小柳長吉にあらためる。そして、ついに「おまんまの敵」の旧親方の武隈と土俵で対決する日がやってきた。