BOOK PEOPLE × 本の窓
普通の会社員の道を選ばず社会で注目を浴び始めている若者たちは、
どんな風に育ち、いま何を考えているのか?
二十〜三十代で震災を経験し、ゆとり世代前後の彼・彼女らの
本音と向き合い考察する
井上洋市朗
(株式会社カイラボ代表取締役)
釣  書
  • Photographs:Chisato Hikita
  • 井上洋市朗(いのうえ・よういちろう)
    昭和60(1985)年5月8日生まれ
    現住所 東京都

    経歴 
    平成16(2004)年3月 都立小松川高校卒業
    同年4月 成蹊大学経済学部入学
    平成20(2008)年 日本能率協会コンサルティング入社
    平成22(2010)年1月 同社退職
    同年3月 非鉄を扱う専門商社に入社
    同年12月 同社退職
    平成23(2011)年1月 1年間限定を条件に社会起業大学に就職
    同年12月 社会起業大学を退職
    平成24(2012)年3月 カイラボ社設立
    平成25(2013)年1月 「早期離職白書 2013」を発表
    同年春 ウェブマガジン「プラス・ハンディキャップ」に関わり始める。その後、運営母体の一般社団法人化に伴い、理事に就任
    年収 商社に勤めていた時よりも多いです
    趣味・特技 マラソン
    尊敬する人物 特に無し
生きづらいと感じる若者の良き伴走者
「これまでの取材対象の方に比べると、弊社は規模も小さく世間的な知名度も低いですが、それでも大丈夫でしょうか」
 右のようなメールを送ってきて、自分が本企画に登場することが相応しいのか、と謙遜する姿勢を示す。井上洋市朗は、そんな人柄の若者だ。
 この連載では三十歳前半までで社会に影響を与えそうな若者が、どんな環境で育ち、いま何を考え、何を目指しているかをお伝えしている。いずれの方も起業しているが、同年代の若者の多くは会社勤めをしている。
 井上は、会社で普通に働く若者たちの職場環境を改善できないか、との思いで二〇一二年にカイラボ社を設立した。同社の特徴は、若い社員に向けたアドバイスを企業に行なえること。小売り、介護などのサービス業といった不人気業種の有名企業や、商工会議所を通じて中小企業向けの案件を受注している。
 カイラボが注目されるきっかけとなったのが、二〇一三年一月に「早期離職白書2013 〜3年で辞めた若者たちの本音」というリポートを出したこと。早期離職経験者百名への対面インタビューを行なったことは例がないのでは、と井上は調査の意義を紹介する。
「対面インタビューを通じて見えてきたことは、大半の方は、早期離職を望んでいなかったこと。終身雇用が崩れ、転職することが当たり前になりつつありますが、多くの若者は計画的に早期離職したわけではないのです。また、白書では、退職した企業についての満足度を五段階評価で聞いていて、それを基にポジティブ(肯定的)退職とネガティブ(否定的)退職に大別しました。その会社に悪い印象はないけれど、自分のやりたいことがあるから会社を辞めるというポジティブ退職をゼロにすることは出来なくても、“尊敬できる上司がいない”“五年後、十年後に働いている自分がイメージ出来ない”など悪い印象を持って辞めていくネガティブ退職は工夫次第で減らすことができる。カイラボでは、そうしたことを企業の担当者にお伝えしながら、働くすべての人が生きがいや、働きがいを感じられる社会の実現のお手伝いが出来たらと思っています」
 保健師らの仲間と連携し、二〇一五年十二月に施行された改正労働安全衛生法に定められる「ストレスチェック制度」に基づく検査の受注も手掛ける。「ストレスチェック制度」とは、常時使用する労働者に対して、企業などの事業者が、一年に一度は行なわなければいけない、心理的な負担の程度を把握するために行なう検査のこと。罰則規定はないものの五十人以上の企業には法律で実施が義務化されたため、関連業務の需要が高まっている。
 井上がユニークなのは、企業向けに人材コンサルティングをする一方で、「プラス・ハンディキャップ」というウェブマガジンの運営に参画していること。このウェブマガジンでは、ニート、引きこもり、児童養護施設出身、早期離職、就職・転職活動、病気、難病、LGBT(レズビアンやゲイなど性的少数者)、外国人、ハーフ、スクールカースト、いじめなどをテーマに扱い、さまざまな生きづらさを紹介しながら、そうした悩みを持つ若者に眼差しを向けていること。井上は、理事として裏方の業務に携わりつつ、早期離職などをテーマにしたコラムの執筆も担当する。
「こちらは売上があるわけでもなく、お手伝いで関わっています。本業と時間の配分では七対三くらいの割合でしょうか。自分自身が日本能率協会系のコンサルティング会社に新卒で就職したのですが、二年弱で早期離職してしまったことを伝えたいというのが、最初の動機です。大学時代まで陸上部に所属していて先輩などとぶつかりながらも、ひとつのチームにまとまっていく経験をしたことで、チームの大切さを人材コンサルティングに活かせないかと思って就職をしました。しかし、そこでの仕事を一言でいうなら、リストラのお手伝い。企業に加担して退職者を作っていく仕事に疑問を感じるものの、一緒に仕事をする仲間は積極的に作業を進めようとする。自分の気持ちの整理が出来ずに仕事をしていたある日、打ち合わせ中に涙がぼろぼろと出てきて止まらなくなってしまった。そうした辛い経験がありました」
 この本業の傍らで、生きづらさをテーマにしたウェブマガジンの仕事に関わる。確かに規模は小さく、知名度も低いかもしれないが、いま伸々と活躍する若者と自分の居場所を見つけきれずに悶々とする若者の境界で、井上は人間らしい環境作りに役立てないかと奮闘している。
↑「早期離職白書 2013」の基になった回答用紙。一人ひとりの話を聞き、井上が書き取った。ちなみに本白書では、早期離職者を、3年ではなく5年以内と定義している。今年最新版を発表する予定。
自分自身が辛い早期離職を体験
 井上は、明治の頃から東京中心部である千代田区に住む家庭に生まれた。小学校は番町小学校、中学校は麹町中学校。両校は、政治家や官僚、芸能人の子供が通うことや、私立の一貫校に人気が集まる前は、東大や慶應など一流大学へのエリートコースの入り口の小・中学校として知られている。
 井上の頃はだいぶ雰囲気が変わっていたものの、勉強熱心な雰囲気は変わっていなかったと振り返る。
「低学年のときにはそれほどでもありませんが、五、六年生になると、中学受験を意識して勉強に熱が入ってくる。テストではクラスの大半が九十点以上なのに、私は出来が悪くて得意科目でも八十点台、苦手科目になると六十点だったりもした。物凄い劣等感を味わいました。また経済的に恵まれた家庭の子供が多く、『ファミコン』のソフトは発売とほぼ同時に手に入れたり、当時発売され始めた『プレイステーション』を皆が持っていた。でも、そうしたものを買って欲しいと言い出せなかった性格もあり、仲間に入れない。しかも体が大きいほうだったので、喧嘩をすると負けない。友達がほとんどいなくて、人生で最も辛い時期でした」
 番町小学校卒業後には麹町中学校に進学する。
「中学に行ったら運動部に入りたいと思っていて、消去法で陸上部に決めました。球技が苦手だったので。陸上部で少しずつ結果が出始めると、クラスの中で“陸上部の井上”と認められるようになりました。運動部で活躍すると、スクールカースト(カースト制度になぞらえた学生間で自然発生する人気などの序列)では上位になる。その頃から、自分の居場所が見つかるようになりました」
 その後進学した都立高校でも陸上を続けた。
 ただ途中で怪我をしたことなどもあり、自分で思うような成績が出せなかった。インターハイの出場レベルのタイムは五千メートルを十四分台だが、井上の成績は十八分台。プロを目指しているわけではなかったが、納得の行く結果を求めたようだ。
「大学では、体育系の大学をやめて再入学してきた先輩など、結果を残している先輩に可愛がってもらって成績も伸びました。本当は箱根駅伝に出場したかったのですが、その予選で敗退するようなチームでした。個人競技なので、そうした印象が薄いかもしれませんけれど、陸上部は練習なども含めてチームのメンバーと居る時間が長い。仲間と“彼女といる時間よりも俺達で一緒に居る時間が長いな”という感じですから。なので当然チームワークが大切になる。私を良く見てくれた先輩は、真面目に練習を積み重ねていく方針だったのですが、別の成績の良い先輩を中心にしたグループは楽しく気ままにやったほうが結果が出ると主張していた。そうした対立を乗り越えてチームとなり、目標に向かっていくことは、良い経験になりました」
 大学時代まで続けた陸上は現在も続けていて、数か月に一度の割合でフルマラソンの大会に参加している。
 そして前述のとおり、陸上部などでの経験を仕事に活かしたいと考えて就職する。ただ、具体的な計画はなかったが、いつかは起業したいという思いも、その会社を選んだ理由のひとつだったようだ。
 井上は進路を親に相談しなかったというが、父・照夫は次のようなアドバイスをしたと振り返る。
「私は工業高校を卒業し、当時は井深大さんが社長だったソニーに入社し、二年間はみっちりと勉強しろと工作機械の使い方などを教えこんでもらった。その経験は後にも活きたので、洋市朗には『社員研修がしっかりした会社を選べ』と言いましたね。私自身も転職を繰り返しているので、最初の研修がしっかりしていると後々まで役に立つ。いまは終身雇用の時代ではないので、尚更です。本人は私の話を忘れてしまったんですね(笑)」
 この社員研修の大切さは、井上がカイラボ社で強調しているポイントで、企業に向けてキャリア支援を積極的に行なうことを提言している。そこで培った能力は、他の会社でも通用するとわかれば、勤め先への信頼感につながり離職率は下がるほか、仮に辞めたとしてもポジティブ退職となるので、「あの会社は良いよ」と友人や後輩に勧める可能性が高まるとのシナリオだ。
 井上が就職した日本能率協会コンサルティングは、製造業向けのコンサルティングでは圧倒的な存在で、彼が勤めていた当時は業績も良く、比較的給料も良かった。
 しかし二年目に携わった案件で、躓いた。繰り返しになるが、打ち合わせ中に感情が抑えきれずに涙を流してしまったことが、それが二度あり、その時には精神的にも追い込まれ、命を絶つことも頭をよぎった。
「振り返ってみると、学生時代も就職してからも、納得がいかない行動をする先生、上司、先輩などに従うのが嫌でした。無理に押し付けられると強く反発していました。高校のときには、それが原因で停学になったこともある。もちろん組織としては面倒な存在かもしれませんが、そうした存在にも目配りをしてほしいと思います」
 カイラボで行なっている若者を中心とした人材コンサルティングでは会社に向けて多様な人材を受け入れる寛容性を持とうと訴え、「プラス・ハンディキャップ」で生きづらさを感じる人に向けた情報発信は、社会がマイノリティを受け入れる許容性を持って欲しいということで共通する。
 こうした取り組みは、社会運動などにつなげていこうとするケースもあるが、いまの井上には、そうした傾向が感じられない。今後の展望としては、地方の高卒で就職した若者を活用する方法がないかと、構想を練る。
「ある地域では国立大学の受験に失敗すると大学に進学せず、専門学校に進学するか就職せざるを得ない若者が多いことがわかっています。自分自身の経験から考えて、環境が整えば活躍する場は絶対に見つかると確信している。いま働いている若者の中には学歴は高卒でも、知識を身に付ければ、もっと活躍できる人がたくさんいる。ビジネスを通じてそういう人を支援していくことができないかと考えています」
 一度就職した後でも、再度やり直して新しいチャンスを掴む機会を創出したいという井上の構想は、就職後の若者に新たな進路を切り拓くのかもしれない。
 父・照夫によると洋市朗という名は、大洋に漕ぎ出し、市場、つまり経済活動の場で活躍して欲しいとの思いが込められているのだとか。いまの井上は、その期待に応えきれているとは言い難く、まだ不安定な状況にあり、この先に花が開くのかは未知数だ。ただ生きづらいと悩みを抱える若者と向き合う、井上のような伴走者は社会には必要だろう。本連載に登場する華々しい方々の同世代には、井上のように居場所を見つけるのに必死な若者がいることも頭のどこかで意識しておきたいものだ。
【カイラボとは?】
若者の就業環境改善を得意とするコンサルティング会社。主な業務は、社員満足度調査の企画、実施、集計および分析・報告、離職防止コンサルティング、企業向け研修など。従業員は1名で、今年中に増員することを計画中。保健師などのパートナーと連携し、「ストレスチェック制度」に準拠したサービスの提供なども手掛ける。不人気業種と言われる小売、介護などのサービス業、卸売業などからの引き合いが多い。数年後には売上を億単位にすることが目標。本社所在地:東京都千代田区二番町2番平田ビル1階
http://kailabo.com
  • 本の窓
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「いまどきの若いもん」解体新書 第6回

橋本保
はしもと・たもつ
1967年生まれ、東京都出身。情報誌などでITやモバイル関連の記事を執筆する。機器はもちろんだが、それを使う人々や、トレンドなどの現象を追いかけるのを得意とする。