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  • 連載対談
    中島京子の
    「扉をあけたら」
  • 2016.7
昨年可決された安保法案の論議で、私たちは「憲法とは何か」ということを考えさせられました。七月の参議院選挙の結果次第では、安倍政権は憲法改正も視野に入れているといいます。私たちはどうやって憲法と付き合っていけばいいのか。憲法学者で首都大学東京教授の木村草太さんにお聞きしました。
第三回
憲法のトリセツ
ゲスト 木村草太
(憲法学者・首都大学東京教授)
Photograph:Hisaaki Mihara
憲法は、国家権力に対するお説教
木村草太(左)、中島京子(右)
中島 これまで憲法というと、しかめっ面をした校長先生のような、近寄りがたいイメージを持っていました。しかしテレビなどで木村さんのコメントをお聞きしていると、私たちはもっと積極的に憲法に関わっていかなくてはいけないんだという気持ちになります。
木村 ありがとうございます。私は憲法によって生まれるコミュニケーションを大切にしているので、そう言っていただけるとうれしいです。
中島 木村さんとは初対面なのですが、じつは憲法学者の方とお会いすることじたい初めてなんです。どんなお話が聞けるのか、楽しみにしています。まず、憲法学者になろうと思われたきっかけを教えてください。
木村 中学時代、私たちの上の学年がすごく荒れていたんです。締め付けも厳しくて、少しでも校則に違反すると先生に呼び出され叱責される。学校生活に息苦しさを感じていました。そんなとき、たまたま入った書店で平積みされていた小学館の『日本国憲法』という本を手にとったんです。パラパラめくってみると、そこには「自由だ、自由だ、自由だ」と書いてあった(笑)。なんだかうれしくなって、もしかしたら憲法は抑圧された自分を自由へと解放してくれるものなのではないかと、興味をもったのが最初です。
中島 中学生で憲法! 運命の出会いですね。木村さんの心を捉えてしまった「憲法」とは何か。小学生にひと言で説明するとしたらどういう感じでしょう?
木村 小学生にですか(笑)。お母さんやお父さんに、「あなたはここに気を付けなさい」といわれていることがあるでしょう。簡単にいうと、それの国バージョンが憲法です。たとえば、「夜十一時まで起きていると、翌朝機嫌が悪くなるのだから夜十時までには寝なさい」とか「オレンジジュースを三杯以上飲むとおなかを壊しちゃうから、二杯までにしておきなさい」など、あなたが過去にやってきた失敗を繰り返さないように、お母さんがルールを決めてくれているわけです。そのルールを破ると、お母さんにも叱られるし自分も大変なことになる。「あなた」を「国」に置き換えて、国家権力が過去にやってきた失敗をリスト化して、繰り返さないようにしようと明示しているのが憲法なのです。
中島 国に失敗させないためのリスト!
木村 子どもが集まると騒ぎだすのと同じで、国家権力も放っておくと暴走して独裁を始めます。無謀な戦争をやって、人権を侵害します。
中島 憲法は権力の暴走を抑止するためのものでもあるんですね。
木村 そうです。国家権力に対するお説教ですから、権力者が憲法を嫌いなのは当たり前でしょうね。
中島 木村さんは比喩がすごくうまくて、著書を読んでも面白い表現がもりだくさん。難しい憲法の話がすっと頭に入ってきます。たとえば、集団的自衛権の行使について「全く違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいる」と反論した菅官房長官の発言に対して、「ネッシーがいると信じている人を探すのは、ネッシーそのものを探すのよりは簡単だという現象に近い」。憲法論議でいきなりネッシーが登場したので、びっくりするやらおかしいやらで……。
木村 比喩というのは構造を完全に理解していないと成立しないんです。ネッシー論を集団的自衛権にあてはめると、議論の前提として憲法第九条があります。つまり日本は「戦争と武力の行使は永久に放棄する」と憲法によって定められている。その上で、集団的自衛権の行使を認める法律を制定しようとすると、憲法第九条の例外を認める根拠を見つけてこないといけない。しかし憲法のどこを探しても例外はない。となると、憲法違反ではないという学者を見つけてきたほうが早い。まさにネッシーと同じです。
中島 一方で、集団的自衛権は合憲であると主張する安倍首相のたとえ話は、突拍子もないものが多いですよね。「安倍くんを殴ろうとやってきた不良が、一緒にいた麻生くんに殴りかかったとしたら、安倍くんは麻生くんを助けることができる」「アメリカ家の母屋から出火した場合、日本家は消火活動をすることができないが、近くにあるアメリカ家のはなれが燃えて日本家に延焼しそうになった時には日本の消防士が消しに行くことができる」。何を言いたいのかよくわかりません。
木村 構造を理解しているかどうか以前に、戦争を火事にたとえること自体が逃げですから。戦争は、意図を持って行われる殺し合いです。火事には敵も味方もありません。
中島 お話を伺って、私たち小説家と表現の方向は違いますが、法律家も言葉の専門家なのだと感じました。政治家も本来は言葉の専門家のはずなのですが(笑)。
「存立危機事態条項」は、「カルマラポッチョ」だ
中島 昨年九月にいわゆる安保法が成立しました。しかしその審議の過程はわからないことばかり。とくにたくさんの法案をひとまとめにして審議したでしょう。戦争に関する大切なことなのに、なんと大雑把なことか、と腹立たしくて……。
木村 安保法案(平和安全法制)に関しては、改正される十の法案(「自衛隊法」「国際平和協力法」「重要影響事態安全確保法」「船舶検査活動法」「事態対処法」「米軍等行動関連措置法」「特定公共施設利用法」「海上輸送規制法」「捕虜取扱い法」「国家安全保障会議設置法」)と新規制定される「国際平和支援法」が審議されていました。このうち十の改正法案をひとまとめにして審議したのです。つまり安保法案の審議方法は、全部のせラーメンだったんですよ。
中島 また、おもしろい比喩が出てきましたね。
木村 メンマは食べたくない。コーンはいらないとはいえない。ラーメンを食べたかったら、全部食べるしかないという、ある意味ずるいやり方ですね。
中島 しかも九割以上の憲法学者が違憲だといっている集団的自衛権をむりやり盛り込んでしまいました。
木村 これまでは、自衛隊が武力行使できるのは「日本が武力攻撃を受けている場合に限る」。つまり個別的自衛権だけが認められていました。
 しかし今回の改正では「日本と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けて、かつそれによって、わが国日本の存立が脅かされる場合」という項目が付け加えられた。それが「存立危機事態条項」です。アメリカが攻撃されたら、日本も一緒に戦いますという集団的自衛権の行使を認めるものです。憲法第九条に照らせば明らかに違憲です。
中島 その、「存立危機事態」っていうのが、いくら説明されてもわからないんですよ。
木村 国会でも話してきましたが、私は憲法第九条違反である以前に、「存立危機事態条項」が意味不明だから違憲だという立場をとっています。
 法律は、適法と違法を区別するためにつくります。それを区別できない法律は、意味をなしません。「カルマラポッチョを犯した人は死刑」という法律があったとします。これはなぜ違憲だかわかりますか。
中島 カルマラポッチョ……ですか? 初めて聞きました。それは、どんな犯罪なんですか?
木村 わからなくて当然です。私がつくったデタラメの言葉ですから(笑)。「カルマラポッチョ」が何なのか、誰にもわからない。わからないから「カルマラポッチョしただろう」といわれても「していません」と否定できないんですね。まるで星新一のショートショートに出てきそうな摩訶不思議なやりとりですが……。
中島 木村さんは、国会の中央公聴会で、政府のいう「存立危機事態」は「漠然不明確ゆえに違憲」と指摘されたんでしたね。つまりカルマラポッチョだと。
木村 日本の存立が脅かされるということは、日本も同時に武力攻撃を受けている状態だ、と読めます。しかし日本に対する武力攻撃があるなら、個別的自衛権で対処できます。安保法を改正する必要はありません。
中島 しかし、政府は「ホルムズ海峡が機雷で封鎖されて石油の価格が高騰したら日本は存立危機に陥る。だから集団的自衛権は必要だ」と説明していましたね。
木村 オイルショックで、なぜ存立危機になるのか意味がわからない。
中島 まさにカルマラポッチョだ(笑)。
木村 もし「カルマラポッチョのときには、武力行使できる」という法律を制定しようとしたら、誰もが第九条違反かどうか検討する前に、意味不明だから反対だというでしょう。
 ところが、賛成派の人たちは何といったと思いますか。「意味不明だけどしかたがない」という趣旨の発言をしたのです。
中島 えっ、国会で、ですか!
木村 これは立派な自白です。「万引きしましたか」と問われて「はい、しました」と答えたのと同じです。さらに法の番人である内閣法制局長官もこの法律は実際使うことは「まずない」と発言しています。なぜ使うことのない法律をつくるのか。これもまた意味不明です。
中島 集団的自衛権の行使を認めることに関して、安倍政権が憲法の解釈を変えて閣議決定をしました。時の政権によって憲法の解釈を変えてもいいんだということにすごく驚きました。
木村 個別的自衛権は認めるけれど、集団的自衛権は認めないというのが、歴代政権の解釈でした。
中島 ところが安倍政権は、あっさり変えてしまいました。
木村 憲法第九十六条で、憲法改正には衆参両院の三分の二の賛成を得た上で国民の承認を経なければならないとされています。憲法改正は大変な重労働です。しかし憲法を解釈変更しての法律制定なら、閣議決定と衆参両院の可決で成立できます。
中島 憲法の解釈が政権ごとに変わると思うと不安です。
木村 ただ、法律はすべて憲法にのっとって施行されますから、憲法違反の法律はつくれません。少し専門的な話になりますが、憲法第九条の一項については、全ての武力行使を禁じているという解釈と、国際紛争を解決するための武力行使だけを禁じていている、という解釈があります。ただ、二項で、軍・戦力・交戦権を認めないとしているので、結局、九条はあらゆる武力行使を禁じていると解釈するのが一般的です。今回の解釈変更も、第九条は武力行使一般を禁じているものだということを前提にしていて、九条解釈については、これまでの政権と安倍政権の考えに大きな相違はありません。
中島 武力行使一般を禁じているのに、なぜ個別的自衛権は認められると解釈されてきたんですか?
木村 たとえば私が歯医者に行って、歯を削られますね。これは刑法二百四条でいう傷害罪にあたります。
中島 歯医者さんは罪を犯していることになる。
木村 なぜ捕まらないのか。刑法三十五条に正当業務行為の場合は違法性を阻却して犯罪にはならないとあります。歯医者さんの場合は治療行為だから罪には問われないのです。
 個別的自衛権と自衛隊の問題も同じです。憲法第十三条に、国民の生命、自由、幸福追求の権利は、国政の上で最大の尊重を必要とするとあります。たとえば日本が攻撃されたとき、どうぞ国民を殺してくださいという態度を政府がとってはいけない。国民の安全を守る義務があります。しかし第九条は武力行使禁止ですから、戦ってはいけない。
 憲法はどの条項も平等ですから、第十三条の義務を果たすためには、第九条における武力行使禁止の例外を認めなくてはいけない。だから個別的自衛権と自衛隊は認められると解釈できるはずだ、というのがこれまでの政府解釈なのです。
 なかには第十三条は例外規定ではないとする、第九条絶対主義の人もいます。それが自衛隊違憲説、個別的自衛権違憲説です。旧社会党は長い間、自衛隊を認めていませんでした。
中島 なるほど! 憲法はそうやって読むんですね。
木村 ところが集団的自衛権に関しては、外国の防衛を手伝う義務があるなど、第九条の例外を認める主旨の条文がどこにもないのです。
中島 しかし、安倍政権は集団的自衛権を合憲だとしています。
木村 私もどういう論理で来るのだろうと興味をもっていました。すると、憲法第九条については、武力行使一般禁止説をとるが、第十三条の範囲のなかに集団的自衛権も含まれるというとんでもない論理を展開したのです。国民の生命、自由、幸福追求の権利を守るためであれば、個別的自衛権以外に集団的自衛権を行使してもいいのだと、政府はいいだしたのです。
中島 超拡大解釈というか、無理がありすぎますね。
古典を読んで、選挙に行こう
中島 七月の参議院選挙では、憲法改正も争点になりそうですね。
木村 日本国憲法制定から七十年間、ただの一度も改正が行われていません。憲法は絶対不可侵なものではなく、時代に合わせて修正していくことも必要です。ただ、憲法改正を主張する人たちのなかには、アメリカから押し付けられた日本国憲法は敗戦の屈辱の象徴である。そこから免れるために改憲したいというルサンチマン(怨霊)にとらわれている人も多い。安倍首相の思いは比較的そちらに近いと思います。
中島 改憲の内容ではなく、とにかく改憲することに意義があるのだという考え方ですね。安倍首相の祖父である岸信介元首相も改憲論者でした。おじいさんができなかった憲法改正を自分の手で成し遂げたいという思いもあるのでしょうね。木村さんは著書のなかで、改憲論者たちのルサンチマンを、『雨月物語』を引いて説明されていました。
木村 『雨月物語』の「白峰」ですね。保元の乱に敗れて讚岐に流された崇徳上皇が怨霊になって西行法師の前に現れる話です。
中島 自分を追放した後白河天皇を打倒するのは当然だとする崇徳上皇の怨霊を西行法師が諭すのですが、怨みつらみを延々と語るときに崇徳上皇が発する言葉が、押し付け憲法論者の論理と重なって非常に面白かったんです。
木村 「今、事を正して罪をとふ、ことわりなきにあらず。されどいかにせん」
中島 要するに「理屈はあなたのいう通りだ。でも、わたしのこの気持ちはどうしたらいいんだ!」という駄々っ子のような発言です。
木村 改憲論者のルサンチマンは崇徳上皇とおなじで、敗戦の屈辱論。もしかすると憲法改正なんて実はどうでもよくて、この怨みを何とかしてくれという心の叫びなのかもしれません。
中島 ルサンチマンによる改憲論者も、自分は崇徳上皇なんだと思うと、少し冷静になれるかもしれませんね。でも、なぜ七十年もたった今、敗戦の怨念のようなものがむくむく顔を出してきたのでしょう。
木村 崇徳上皇しかり、太平洋戦争しかり。いつの時代にも新しい体制ができるときには、必ず敗れた側がいる。彼らは体制への反発の気持ちを、その怨霊に仮託するわけです。今の体制を破壊したいという破壊主義的な欲望を、過去の霊を連れてきて象徴させるから、怨霊が今でも力を持っているように見えるのです。敗戦の事実は変えることができません。その怨霊は、時の権力者のなかにずっと潜んでいたのだと思います。
中島 しかし怨霊と戦い、乗り越えていかないと、未来の扉は開きません。
木村 だからこそ私は憲法を使いこなすために、古典教養が大切だと思っています。坂本龍馬や勝海舟など明治維新の志士はみな四書五経を読んでいる。もちろん実学も身につけていましたが、古典教養のなかから人間的観察力を鍛えた人たちでした。
 今、憲法問題が解きにくくなっているのは、実学主義では解けない問題だからでしょう。人文的教養が問われるのが、憲法問題なのではないかと思います。憲法が気に入らないから変えたいというのは、技術論ではなく感情論なので、論理的にアプローチしても議論が噛みあうはずがないんです。
中島 怨念に惑わされないためにも、古典を読んで、人間理解を深めて選挙に臨む。自民党憲法改正草案を読む前に、『雨月物語』を読もうということでしょうか。日本が抱える憲法問題は、文学の課題と深くかかわっていると言えそうですね。木村さんのお話を聞いて、憲法をもっと深く知りたくなりました。
構成・片原泰志