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BOOK PEOPLE × 本の窓
  • 「いまどきの若いもん」
    解体新書
    第10回
  • 2016.7
橋本保/取材・文
普通の会社員の道を選ばず社会で注目を浴び始めている若者たちは、どんな風に育ち、いま何を考えているのか? 二十〜三十代で震災を経験し、ゆとり世代前後の彼・彼女らの本音と向き合い考察する
名取磨一(32歳)
(月井精密代表取締役)
釣  書
  • Photographs:Chisato Hikita
  • 名取磨一(なとり・きよかず)
    昭和58(1983)年10月15日生まれ
    現住所 東京都
    経歴 
    平成14(2002)年3月 東京都立日野高校卒業
    同年4月 祖父の経営する月井精密に入社
    同年10月 工場拡大のため、会社を現住所に移転
    平成19(2007)年 DMG社の五軸マシニングセンター「DMG DMU50」導入
    平成22(2010)年12月 月井精密が科学技術分野の文部科学大臣表彰者(創意工夫功労者賞)を受賞
    平成26(2014)年2月 タイの現地法人「NATORI HIGH PRECISION(THAILAND)CO.,LTD.」設立
    同年12月 量産品受注のための工場稼働開始
    平成28(2016)年4月 インターネット上での自動見積もりウェブサービス「ターミナルQ」を開始
    年収 「月井精密、NVT(「ターミナルQ」の運営会社)、NATORI HIGH PRECISIONの3社分ですね」
    趣味 ゴルフ、バスケットボール
ネットビジネスも展開する、八王子の『下町ロケット』
 東京・大田区の町工場・佃製作所が舞台となり、テレビドラマは近年稀に見る高視聴率を記録した小説『下町ロケット』。この小説を地で行くように宇宙関連や医療機器向けの部品を作る町工場が、都心から約四十キロ離れた八王子郊外にある。精密機械部品の加工メーカーの月井精密である。
 小説と違うのは、同社を率いるのが名取磨一という今年三十三歳の若者であり、より小規模な零細企業であること。そして自分たちだけでなく他の中小・零細企業の役に立ち、大きく成長したいと夢を持つことである。
 名取は、大学で経営学の教鞭をとる父と、保育士として働く母の長男として昭和五十八(一九八三)年に生を受ける。転機となったのが高校一年生の夏休み。何かアルバイトを考えていたとき、母から祖父・月井廣士の工場を手伝うことをすすめられ、旋盤(金属を削る工作機械の一種)を操作し、機械油にまみれる体験をした。
「もともと機械いじりが好きで、買ったバイクのエンジンをばらして部品を調整し、また組み立てて走りを確かめたりしていました。なので工場の仕事は楽しかった。自然と卒業後は工場で働くことを考えていました」
 両親が教育者であることを考えると大学に進学するほうが自然な流れのように思えるが、母・美佐子は「目的もなく大学に行くなら就職したほうが良いとアドバイスし、最終的には夫も了承しました」と当時を振り返る。
 喜んだのは祖父の月井廣士。彼は原子をも直視できる電子顕微鏡を作る企業として世界的に有名な日本電子(東京・昭島市)に勤め、名取が生まれる二年前に月井精密を創業する。当時は日本製品が世界を席巻する勢いで、祖父のもとには発注元の担当者が一升瓶の日本酒を持ってきて何とかうちの仕事を請け負ってほしいと頼みに来た時代だったとか。けれど日本の製造業は円高、賃金上昇、貿易摩擦、そしてデジタル革命などの影響で衰退の一途を辿った。当然下請け、孫請けの月井精密も厳しい納期、容赦のない値下げ圧力に晒されるようになり、祖父は自分の腕だけを頼りに一人で続けてきた月井精密は一代で終わりと考えていた。そんなときに、孫が事業を継ぐと言いだしたのである。
 そして名取は夢中になって祖父から技術を学ぶ。ただ技術を受け継ぐのではなく、音、匂い、感覚などから、金属材料の性質を知り、最適な方法を選ぶといった熟練工だけが知り得る職人的直感とも触れたのだ。
「大半の材料は性質の違う金属を混ぜ合わせた合金です。その混ぜ合わせる作業は地球の重力下で行なうため、性質の違いからムラができてしまう。わかりやすいのはゴルフのドライバーで、同じものでも個体によって飛びの良いものとそうでないものがありますよね。あれは材料のムラから起こることが考えられる。エンジンの調子が良いものとそうでない自動車ができるのも同じ。
 金属材料が持つ表裏や、布地が持つ目のようなものまで掴んで作業をしないと精密部品は作れない。これは経験そして職人の直感力のようなものなんです」
 夢中になると工場に泊まりこみで作業に没頭することも珍しくなかった。また既成品では飽きたらず、刃物まで自作するなど徹底的に技を受け継いだ。そんな働きぶりを見ていた祖父は自分の体の衰えもあり、二年後の平成十六(二〇〇四)年に月井精密の社長の座を名取に譲る。
 二十歳の年で社長となった名取は、電子制御ができる工作機械を導入するなどして事業拡大に着手し始める。今後は優れた技術だけでは生き残れない。その技術を活かして、発注元の設計者が思いつかないような製品を作れるようにならねばと考えたのである。また作業を自動化できるため熟練工でなくても一定品質のものが作れるようになる。そのため高性能な工作機械が必要と考えた。
 こうした経営者としての先見性もあり、会社の売上は伸びていき、従業員も増えた。二十二歳のときにはドイツの機械メーカー・ギルデマイスター社(現DMG森精機)へ研修を兼ねて遊学する。ここで五軸加工ができる工作機械の導入を決める。刃物側のX軸、Y軸、Z軸に加えて、材料を乗せたテーブル側を傾斜・回転させて複雑な加工を可能にするのが五軸加工で、月井精密の規模で導入するのは珍しかったと名取は振り返る。
↑アルミニウムの塊を削りだして作った、ロケットに搭載するコンピューターの保護ケース。宇宙空間では日向と日陰での温度差が240度以上になる。これに応じて金属が伸び縮みすることを想定したものづくりが必要となる。そのためこのケースには、誤差が1ミクロン単位(1ミリの1000分の1)の精度が求められる。
「日本の工作機械は作業者の経験と勘に操作を委ねる部分があるのですが、ドイツのものは誰もが熟練工のような仕上がりができる設計思想になっている。これに魅せられて導入しました。おかげで若い職人やパートの女性を雇って仕事を増やせました。F1や飛行機など、高い精度が求められる製品の仕事が受注できるようになったほか、この機械を熟練工が使いこなすことによって宇宙関連、医療関連の部品などの仕事が広がりました」
 月井精密は、小惑星探査機「はやぶさ」や国産ロケット「H‐UAロケット」に搭載された部品や、苦痛が少なく会話しながら内視鏡検査が受けられる経鼻胃内視鏡の試作に向けた部品を作るなど、社会に役立つものづくりを裏方で支える活躍をしている。
リーマン・ショックの厳しさを乗り越えて
 こうして順調に発展した月井精密だが、二〇〇八年に起こった世界的金融危機、いわゆる“リーマン・ショック”でかつてないピンチに直面する。
「バブル後の失われた二十年とか言われますが、比較的なだらかな景気後退だったので相応の対処ができました。けれどリーマン・ショックのときには一気に受注が少なくなり、うちは五か月くらい厳しかった。売上も約三割減りましたので、もうダメかと思いました」
 ただ名取が最先端の機械を導入し、若い職人やパートの女性などでも仕事が回る仕組みにしていたことが苦境を凌がせてくれた。さらにピンチをチャンスに変えた。
「仕事が少なくなった時期は社員研修をしたり、他工場の見学をするなど勉強をする良い機会になりました。ただ、同業のなかには売上が半分になるようなところもあり、廃業した会社も少なくありません。自殺してしまった知り合いも何人かいますし……」
 名取は、最先端の工作機械を導入し、難易度の高い仕事を請け負っていたところほど状況は厳しかったと当時を振り返る。たとえば自動車は輸出がストップしてしまったため、発注元に泣きつくこともできなかった。けれどリース契約をしている工作機械や家賃などの支払いは毎月固定的に発生するし、仕事がなくても熟練工に給料を払う必要がある。給料が支払えなければ会社を辞めてしまうし、そうした熟練工がいなければ難易度の高い仕事は受注できないという悪循環なのである。
 さらに、少ない仕事を多くの下請けで奪い合う状況が激しくなった。さすがに発注元が一升瓶を持って頭を下げて依頼しに来る時代ではないが、それまでは見積もりといってもいわゆる“どんぶり勘定”でも済んでいた。しかし、リーマン・ショック以降は馴染みの取引先でも見積書を出さなければ受注できない。しかも複数を比較検討する相見積もりの商習慣が常識化する。
「一日で五百枚の図面を見積もったこともあったくらいです。それでいて成約できるのは二割くらい。見積もりはノウハウの塊であるうえに、利益を出す根幹なので会社全体が見渡せないと作れない。だから同業では社長の仕事は見積もり業務というところがたくさんある。これは何とかしたいとの思いから、事務員の方でも見積もり業務が行なえるインターネット上での自動見積もりウェブサービス『ターミナルQ』を作り、四月からサービスを開始しました」
 このサービスは同業者に向けて月額利用料五万円で提供している。中小製造業ではIT化が遅れており、見積書を紙に手書きで行なう事業所もあります。税法上の都合で提出した見積書は五年間の保存義務が課せられる。工場の現場が一円単位でコスト削減を徹底していても、オフィスで紙を無駄に使うなどしていては利益を生み出すことはできない。そして加工内容、難度、納期など、現場を知り尽くした名取がパートの職員でも正確な見積もり業務が行なえることを目指して作ったものなので、ITベンチャーなどが気づかないことまで製造業目線で作りこまれている。
 また材料の仕入先やメッキ仕上げなど仕事の依頼先は無料で使うことができる。その依頼先が発注側になろうとして別の取引先に見積もり依頼をかける時に「ターミナルQ」の月額料金が発生する。このように発注側は有料、受注側は無料で利用ができるため、便利さがSNSのように広がっていくと名取は説明する。
「祖父から技術を受け継ぐのは何とかなりましたが、見積もり業務はずっと苦労し続けました。町工場の経営者の高齢化が進む中でうまく後継者に引き継げない最大の理由は、見積もり業務がうまく継承できないからと私は思っています。私の場合、二〇一四年に量産品受注のためにタイに工場を作ったのですが、このときは工場長が代わるなどがあり、海外出張をしながら見積もり業務をする必要に迫られました。いまではようやく任せられるようになりましたが、社長が見積もり業務ばかりをしていては新しいことが何もできない。同じような悩みは多くの同業者が抱えている。なので、このサービスでコスト削減はもちろん社長ならではの仕事をしたり、事業継承をうまく行なってもらえたら嬉しいんです」
 厳しかったリーマン・ショックを切り抜け、量産品受注を可能にするタイ工場の設立、そしてITサービスなどへと事業を広げる名取の関心は、更にその先にある。
「シャープを買収した鴻海は、もともとは下請け。ものづくりをしているうちにノウハウを溜めて成長した。私たちも今後何か自分たちの製品を作りたいですね」
 それに向けた課題は人材だ。月井精密の従業員は平均年齢が二十代と積極的に若者を採用している。そして同社ならではの技術を身につけ、独立することも厭わない。
「うちで働いていなくても協力会社として一緒に仕事ができればより大きなことに挑戦できる。あとは人工知能なども含めたITのことなどもわかる人材が欲しい。うちは常に正社員を募集していますから」
 いま日本の製造業は瀕死状態とも言われるが、名取の話を聞いていると、それは大企業に限ったことで、彼の周辺ではベンチャー企業を興して脚光を浴びるチャンスがゴロゴロと転がっているようにも見える。こうしたミスマッチこそが今の日本が抱える最大の悩みなのだろう。
【月井精密とは?】
東京・八王子で精密機械部品の加工を行なう。航空衛星・自動車・医療・光学・計測機器などの分野に、試作から量産まで幅広く部品供給する。従業員は10名で平均年齢が27歳と若いのも特徴のひとつ。本文で触れたとおり、4月からインターネットを利用した製造業向け自動見積もりウェブサービスを開始。今後は製造業のみならず、幅広い業界で展開していきたいと考える。
本社所在地:東京都八王子市大塚637
http://www.tsinc.jp/