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BOOK PEOPLE × 本の窓
  • 連載対談
    中島京子の
    「扉をあけたら」
  • 2017.2
少女マンガの金字塔ともいわれる名作『ポーの一族』。四十年ぶりにその新作を発表した萩尾望都氏の創作の源泉をたどりながら、時代を超えファンを魅了する萩尾作品の魅力の秘密に迫ります。
第九回
萩尾作品は
女の子を解放する
ゲスト 萩尾望都
(漫画家)
Photograph:Hisaaki Mihara
萩尾望都(左)、中島京子(右)
日本の少女マンガは
「少女」を発見した
中島 私は子どものころから萩尾さんの作品の大ファンなので、今日こうしてお話しできるのをすごく楽しみにしていたんです。
萩尾 あら、それはうれしい。ありがとうございます。
中島 私は一九六四年生まれなのですが、当時の家庭ではよくあったように、自宅でマンガを読むことは禁止されていたんです。
萩尾 「マンガは教育上よくない、悪書だ」と、敵視されていた時代もありましたね。
中島 今から考えると、なぜ?って思うのですが(笑)。でも私が小学校の高学年のころ、三歳年上の姉がその禁を破って萩尾さんの『ポーの一族』をこっそり買ってきたんです。それまでの少女マンガといえば、ちょっとドジな女の子が恋をして、クラスで一番格好いい男の子と結ばれる、というようなおきまりのラブストーリーが多かった。でも『ポーの一族』は、永遠の命を持ったバンパネラ(吸血鬼)の美しい少年たちの物語。私はそれまで体験したことのない不思議な世界観に圧倒されながら、夢中になって読んだ記憶があります。
萩尾 連載開始が一九七二年でしたから、単行本になったものを読まれたんですね。
中島 はい。私は中学生のときに初めて小説のようなものを書いたんですが、思い出してみると完全に萩尾さんの影響を受けていて。詳しいストーリーは忘れてしまいましたが、エドガー(『ポーの一族』の主人公)のような外国の美少年が出てくる話でした。
萩尾 それは、読んでみたかったわ。でも、中島さんの処女作に私の作品が関わっていたとしたら光栄です。
中島 中学生のお遊びのようなものですから、とても小説と呼べるような代物ではなかったと思います(笑)。でも紅毛碧眼の美少年が自分のまわりにいたわけではありませんから、きっとそういうフィクションの中に自分の居場所を求めたんでしょうね。
萩尾 私は団塊の世代なのですが、マンガだけじゃなく小説もだめ。子どもは、教科書だけ読んでいればいい、という教育方針の中で育ったんですよ。
中島 えっ。小説も禁止ですか?
萩尾 しかも女性は、結婚して家庭に入ることが当たり前の時代でしょう。一九七〇年代になって女性の自立が叫ばれ始めても、「三食昼寝付きでいい身分なのに、何をわがままなことを言っているんだ」という、まったく変わらない社会の空気にすごく居心地の悪さを感じていたんです。
中島 私も「大きくなったら、いいお嫁さんになりなさい」と言われることはなかったのですが、世の中が要求している女の子像とはフィットしないような違和感は常にありました。いったいどこに向かって歩んでいけばいいのだろうと悩んでいたときに出会ったのが萩尾さんの作品だったんだと思います。「見つけた! ここには私の居場所がある!」という感じで、萩尾ワールドの虜になってしまいました。ひとつお聞きしたいのですが、私の中では女の子である息苦しさから解放されるのと、小説を書く、つまり自分の表現を持つということが、どこかでつながっていたのですが、萩尾さんも創作の過程でそういうカタルシスのようなものを感じていらっしゃったのですか?
萩尾 『ポーの一族』を描いていたころはまだ若かったので、ただマンガを描けるだけでうれしかったんです。ずっとそういう気持ちで突っ走ってきたのですが、二〇〇八年ごろに、あるイベントでアメリカの大学で教鞭をとっていらっしゃる徳雅美さんという先生と対談する機会を頂きました。美術教育と児童描画について研究されていて、アメリカで少女マンガ関連の展示なども手がけていらっしゃる方です。そのときに「日本の少女マンガとは何だと思いますか」と根源的な問いかけをされて、思わず「少女を発見しました」と答えたんです。
中島 「少女の発見」。「少女」。「少女」とは、何者なんだろう?
萩尾 男の人はいつも「自分の中には永遠の少年がいる」と、少年賛歌をやっているでしょう。大人がプラモデルに夢中になっていても別に悪いことでも何でもない。逆に、その人のピュアな部分を表していると好意的にすら捉えられる。ところが女性の場合は、いつかはお母さんにならなくてはいけない。少女時代は一過性のものであって、あっという間に過去のことになってしまうんですね。そこで男の人に「少年」というカテゴリーがあるんだったら、女の人に「少女」というカテゴリーがあってもいいじゃないか。いつまでもなくならない「少女」の部分が自分の中にあってもいいじゃないか。そういったものを、少女マンガも発見したんじゃないかなと思ったんですね。松田聖子さんに『永遠の少女』というタイトルのアルバム(一九九九年発表)があるのですが、まさにそのイメージ。聖子さんは、お母さんになっても、いつまでも少女の部分を大切にしていて、好奇心旺盛できらきらしています。
中島 母にならない部分、大人になるときに捨てなければならないとされてた部分が「少女」であると。『11人いる!』のフロルみたいに、ちょっと両性具有のイメージもあります。ところで萩尾さんのお描きになる「少女」は、ぜんぜん「型にはまった女の子」ではないですね。
萩尾 小学校のときから微妙にはみ出していて、よく「萩尾さんは変わっている」って言われてきました。でも本人はみんなと同じにしているつもりだから、何が変わっているのかよくわからない。マンガを描き始めてから「ああ、こんなところが変わっているんだ」と自分でようやく気がつきました(笑)。
中島 私たちの中にも、ちょっとずつはみ出した部分があるんでしょうね。時代や社会や友だちや家族、何かにフィットしないような感覚をいつも持っている。萩尾さんの作品はそのはみ出した部分に触れてくるから、そこには自分の居場所があるような気がするんですね。萩尾さんの作品が私たちを解放してくれなかったら、女の子たちはもっと生きづらかったでしょうね。
原発事故を
風化させてはいけない
中島 二〇一一年の震災の後、萩尾先生は『なのはな』というタイトルで、原発事故後のフクシマの少女とチェルノブイリの少女の交流を描かれました。
萩尾 『なのはな』は『月刊flowers』(小学館)の二〇一一年八月号に掲載しました。アメリカのスリーマイルでもチェルノブイリでも原発事故は起こっていたけれど、やはり外国のことなので正直いって実感はありませんでした。もちろん、日本でそんな事故が起こるはずはないと信じていました。
中島 日本に原発ができてからずっと、政府も学者も技術者も、「日本の原発は安全です」といい続けてきました。第一次安倍政権のときに、「原発の電源が喪失したらどうするんですか」という質問に対して、安倍首相は「すべての電源が喪失することはない。大丈夫」と断言していますよね。
萩尾 以前SF関係の人に、原発で事故が起こったという想定で小説を書いたらどうだろうという話をしたら、鼻で笑われましたもの。ところが、あっという間に……本当にショックでした。今、アトムはどこをさまよっているのだろう、と。
中島 しかも、それが起こってしまったら、ほとんど永遠に近いような時間、放射性物質と付き合っていかなくてはならなくなる。
萩尾 震災のあと、これから日本は大変な事態に直面するのに、私はどうしたらいいのかと、呆然としていました。そんなときに、作家の長嶋有さんから「お花見をしませんか」と誘われたんです。こんなときにお花見なんて不謹慎かなとも思ったのですが、何かをしようとしてもまったく手に付かない状態。ならば、と参加したんです。その席で誰かが、「チェルノブイリでは土壌改良のために、なのはなやひまわり、麦などを植えているらしい」と話していたので、帰宅後調べてみたんです。すると、非常に長い年月はかかるが、植物が土の中の放射性物質を吸収してくれると書いてあった。それなら福島になのはなを植えたら希望が持てるかなあと思って、ネーム(マンガの設計図に相当するラフスケッチ)を描いて担当編集者に打診したんです。時期が時期ですからNOと言われる可能性もあったのですが、無事掲載できました。『なのはな』の発表後、他社の編集者から「よく掲載できましたね」と言われました。
中島 出版社が違っていたら、『なのはな』は世に出なかった可能性もあるんですね。同じ時期に、プルトニウムが絶世の美女になる作品もありましたね。
萩尾 『プルート夫人』(『月刊flowers』二〇一一年十一月号に掲載)ですね。『なのはな』を描いているときに、放射性物質の歴史を調べていったんです。そうすると、キュリー夫人がラジウムを発見したとき、最初は人体に影響があるものだとはわからなかった。平気で放射性物質をポケットに入れて持ち運んでいたようなのです。その物質が入っていた部分だけやけどをしたという記録も残されていました。そのうちに、核分裂で大きなエネルギーが生まれるということがわかって、第二次世界大戦が始まる前あたりから各国で原子力の研究が始まります。その結果、日本に二発の原爆が投下される。そしてスリーマイル、チェルノブイリ、福島の原発事故。他にも内緒にしているものもいくつかあるらしいのですが……。現実として原発事故を体験したいま、科学者たちが放射性物質という新しい可能性にのめり込んでいく様子が本当に怖かった。まるでグラマラスな美女に惹きつけられて、悪いことだとわかってはいても手を出さずにはいられない男たちのように思えてきて……。
中島 『プルート夫人』は、そういうメタファーから生まれたんですね。プルトニウムが美女の姿になって登場するという設定自体斬新でしたし、コメディー作品に仕立てられたのも面白かった! またすごいことをおやりになったなぁと驚き、改めてフィクションの可能性を感じました。私も原発事故後、これまで自分の信じていた世界のメッキが全部剝がれてしまったような気がしました。それまで政治に対しては無頓着な方でしたが、自分ができ得る限りの手段で情報を集めたり、草の根運動的にでもいいから声をあげていかなくてはいけないような気持ちになりました。
萩尾 原発事故の事実とそれが未来に残した傷だけは、永遠に風化させてはだめですね。でも、人間はすぐ忘れちゃうから。こうしてマンガとして残すことで、その悪夢のような傷跡を少しでもみんなの心に刻めたらいいなと思います。
『ポーの一族』
新作の舞台は、
第二次世界大戦下
中島 昨年『月刊flowers』七月号に、『ポーの一族』の続編『春の夢』が掲載されました。四十年ぶりに『ポーの一族』の新作が読めるなんて、掲載予告を聞いたときから、もううれしくて、待ち遠しくて……。ずっと封印していた作品をふたたび描かれたのには、どんな経緯があったのですか?
萩尾 きっかけは、夢枕獏さんです。お会いするたびに「萩尾さん、『ポーの一族』の続きが読みたいなあ」と言われ続けていた。何度も何度もおっしゃるものだから、獏さんをよろこばせたいなという気持ちが芽生えてきちゃったんですね。
中島 昔描いた作品と向き合って続編を描くという作業は、ものすごいエネルギーが必要だったと思います。しかも、もしかしたらファンを裏切ることになるかもしれないでしょう。怖くはなかったですか?
萩尾 もう四十年前のままのタッチで描くことはできませんから、キャラクターの顔も変わってしまう。『ポーの一族』を求めているファンの方々は、それは絶対に許してくれないだろうと思って描くのをためらっていたのですが、獏さんなら許してくれるだろうと(笑)。
中島 ファンを代表してお礼を言わなくちゃ。夢枕獏さん、ありがとうございます! そして、『春の夢』は、『月刊flowers』三月号(一月二十八日発売)から連載が続くのですよね。ほんとうに楽しみ。ところで今回の舞台は、第二次世界大戦の時代ですよね。
萩尾 まず私の中に、ナチスはなぜ台頭したのだろうという疑問があって、ドイツの歴史を調べていました。そんなときに、ケン・フォレットが第一次世界大戦からベルリンの壁崩壊までを描いた歴史三部作『巨人たちの落日』『凍てつく世界』『永遠の始まり』に出会ったんです。イギリス、ドイツなど各国の情勢とその時代を生きる人々が見事に描き出されていた。そして政権の移り変わり、身分の移り変わり、戦争にいたるプロセスなど、フィクションと事実を絡めながら複雑かつ激動の歴史を非常にわかりやすく書いているんです。それまで内容が理解しにくかった三島由紀夫の『わが友ヒットラー』やヴィスコンティ監督の映画『地獄に堕ちた勇者ども』も、ケン・フォレットの三部作を読んだ後だといろんなピースがピタッとはまるように理解できたんです。それが、ちょうど夢枕獏さんに背中を押されて『ポーの一族』の続編を考えていたときだったので、この時代を描いてみよう、と。うまく描ききれるかどうか、自信がないんですけどね。
中島 ナチスの時代に興味を持たれた理由のひとつとして、現在の世相も関係していますか。世界中で極右の政治家が台頭してきていますよね。日本も、かなり危うい空気があると思うのですが。
萩尾 もちろん、それもあります。日本は、戦後「憲法第九条」をもって戦争を放棄するのですが、それ以前の軍国主義時代は「八紘一宇」つまり世界をひとつにするというスローガンを掲げ、戦争によって領土を広げていったわけですね。国の歴史は、同じことを繰り返すと言われますから……。
中島 憲法改正を念願とする安倍さんに世の中が引きずられていくようなのが不安だし、何よりその背後に復古主義的な国家観があるのが怖い気がします。
萩尾 あのときの日本も、一九四〇年に東京オリンピックを開催しようとしていたわけでしょう。しかし国際連盟を脱退して、真珠湾を攻撃する。少しずつ四面楚歌になることで、悪い方に進んでいったんです。あの戦争は、避けようがなかったのか。例えば、満州から撤退していたらどうだったんだろう。日韓併合をしなかったらどうだったんだろう。そんなことをついつい考えてしまいます。
中島 歴史にifはないと言われますが、失敗から学ばなければ歴史を知る意味はないですものね。でも、最近になって、やっぱりあまり学んでいないんだということも感じてきて……。
萩尾 そういうことを再認識する上でも、『ポーの一族』をあの時代で描くことは大切なんだなと、プレッシャーを感じています。
中島 最初のお話を読んだだけでも、この先どうなっていくのか楽しみで仕方ないのですが、今回はこれまでの『ポーの一族』のイメージとはすこし異なった、すごく意志的な女の子が出てきますよね。
萩尾 ブランカですね。これまでは、メリーベルやメリーベルが投影されたような、可憐ではかない感じの女の子ばかりでしたからね。
中島 敵対するイギリスとドイツの間で、幼い弟を守っていくんだという強い意志を持ったブランカのキャラクター設定には、もしかすると、いま『月刊YOU』(集英社)で連載されている『王妃マルゴ』の影響もあるのかなと思いながら読んでいたんです。
萩尾 『王妃マルゴ』の舞台である十六世紀のヨーロッパはもう本当にすごい時代で、カトリーヌ・ド・メディシスやメアリ・スチュアートなど強烈な個性を持った女性が登場します。ブランカの性格も、その影響は受けているかもしれませんね。
中島 今回『ポーの一族』の新作が発表されたことで、四十年前の作品も読み返されていると思います。私たちが萩尾作品と出会って自分の居場所をみつけたように、いま壁にぶつかって未来が見えずに悩んでいる女の子たちもきっと萩尾作品に触れることで明日への扉を開いていくのでしょうね。
萩尾 そんなに期待されると困っちゃう。まだ、スタートしたばかりなんだから、あまり焦らせないで(笑)。
構成・片原泰志