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BOOK PEOPLE × 本の窓
  • 自著を語る
    堀江敏幸
    『音の糸』
  • 2017.2
言葉を巻くボビン
 音楽をめぐる記憶は、私の場合、いつもそれを聴いた環境とともにある。ひとつの曲について語ろうとすると、全体の印象は前後のものごとの流れや、その折の心象によって大きくかわってしまう。あるいは、こちらの方がもっと多いのだが、切り取られ、断片化して脳内に四散した音が、ふとしたきっかけでぶつかりあい結合し合って、べつのものに育っていくこともある。歌詞のついた短い曲でさえそうなのだから、クラシックと呼ばれるジャンルの、演奏時間のながい曲目などでは、こうした傾向はさらに強まる。
 私がクラシック音楽に親しむようになったのは、FM放送を通じてのことだった。町のレコード屋には気になるLPがたくさん並んでいたけれど、小遣いで気軽に買えるような額ではなかったし、一枚選ぶにしても、知識と情報がなくては手のつけようがなかった。だから、アナウンサーや解説者による短い説明をまじえた国内外の演奏会ライブ録音放送は、勉強の場としても貴重だったのである。
 郷里の小さな町では、アマチュアの楽団や合唱団の公演をまかなう程度の施設はあっても、名のある演奏家たちを招聘するだけの空間はなかったし、身近にクラシックをやっているような友人もいなかった。プロの音楽家による実演を聴いたのはようやく高校生になってから、母校の隣にある修道院で開かれた小さな慈善コンサートでのことだから、愛好家としてはかなり奥手と言わざるをえない。のち、上京して、大学で知り合った東京生まれ東京育ちの友人から、誰それが振った何々響の何々は、高校生のときどこそこのホールでの何夜目に聴いたとか、彼のピアノは異なるプログラムで二度聴いたとか、むかしからコンサートに行くのが当たり前だったという顔で言われるたびに、本物に触れてこなかった田舎での十代をいくらか情けなく感じたものだ。
 演奏会の聴き手は、その日、その時間にしか起こりえなかった一回性の出来事を記憶の倉庫に収める。会場での数時間は、何十人、何百人かの観客たちと共有した唯一無二の体験として特権化される。これに対して、FM放送を録音したものやレコードの鑑賞者は、おなじ曲をいつでも何度でも再生できるので、選ばれた者しか聴いていないという優越感を味わうことができない。だから出来事としての濃度が薄く、鮮度も悪い。かつては私も、実際の演奏を夢見ながら、否定的に考えがちだった。
 しかし現実は、どうもそうした解釈とはちがうような気がするのだ。会場に出かけた人たちでも、音楽雑誌やパンフレットの文章、当日の仕事の進捗状況や自身の健康状態、途中で偶然会った友人とのちょっとした会話、あるいは直前にとった軽食の味などに影響を受けて、演奏の印象にいくらかバイアスのかかることがないわけではないだろう。むしろそうした些事の方が大切かもしれないのだ。
 おなじことが、録音された放送を聴く場合にも、その番組の録音を再生する際にも起きうる。装置の種類によって音は残酷なほど変わるし、直前になにをしてそのあとなにをしたのか、生活の流れのなかで再生のタイミングを捉え直してみると、人との出会いと同様、ほかでもないその時間に再生したという事実は、なにかひとつ要素が欠けてもありえなかった特別な出来事になる。記憶の全体像は、断片をつなぐ細い糸の質や長さによって一変する。しかもその糸は、見えない音の記憶をたぐりよせようとするこちらの胸の内にしか存在しないのである。
 本書『音の糸』は、ばらばらになった音楽を、ゆるく、またきつく結ぶための言葉を巻きつけた小さなボビンのようなものだ。ただし、糸が最後まで絡まらずにのびえているかどうかについては、何の保証もない。
  • 『音の糸』
    堀江敏幸/著
    定価:本体1,600円+税
    小学館・刊 四六判 176ページ
    1月26日ごろ発売予定
    ISBN 978-4-09-388525-6
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