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BOOK PEOPLE × 本の窓
  • 「いまどきの若いもん」
    解体新書
    第18回
  • 2017.8
橋本保/取材・文
定綱が働く紀伊國屋書店二子玉川店で撮影。彼らが幼い頃には『心の花』の編集作業のために俵万智が佐佐木家を訪れていた。「絵を描いてくれる優しくてきれいなお姉さんという印象で、僕は初恋ってよく覚えていないんですけれど、そういうもやもやした気持ちって、もしかしたら俵さんが初めてかも」(頼綱・写真右)、「明るくて、よく遊んでくれた女の人」(定綱・写真左)と憶い出を語る。
  • 佐佐木定綱
    (31歳)
    1986年5月19日生まれ
    歌人、書店員
  • 佐佐木頼綱
    (37歳)
    1979年10月2日生まれ
    歌人、編集者
歌人の家に生まれた兄弟が昨年続けて短歌専門誌の賞を受賞した。兄が社会や歴史など大きな物語と向き合うのに対し、弟は同世代に切実な日常や人間の闇を歌う。まったく違うテイストの作品を発表する二人に歌人として歩み始めたきっかけや、結社の魅力などについて聞いた。
Photographs:Chisato Hikita
歌人の曽祖父や父を持ち、
兄弟で短歌界に挑む二人。
ネットで気軽に短歌を発表できる時代に、
結社が存在する意味とは?
 曽祖父は明治期に時代を画す『万葉集』研究で実績を残し、短歌革新運動でも一翼を担った佐佐木信綱、父は肉体と精神の健康を前面に出した作風や、俵万智の師匠として知られる佐佐木幸綱。こんな歌人の家に生まれた兄弟、佐佐木頼綱と定綱が歌人として存在を現し始めている。
 まずは弟の定綱が、二〇一六年に五十首連作「魚は机を濡らす」で第六十二回角川短歌賞を受賞した。

  自らのまわりに円を描くごと死んだ魚は机を濡らす
  突っ伏して嘔吐を始めるお客様ありがとうございました大丈夫ですか?
  男性の吐瀉物眺める昼下がりカニチャーハンかおれも食いたい

〈シニカルの出し方が露悪的で、自身に対する批評とか批判がない。自分に対するリスクとかダメージがない感じで歌っているところが非常に嫌な感じ〉(東 直子)という意見がある一方で、〈ある種の力を持って向き合っているという歌い方。こういう人はめったにいない。傷を含めて作者としての大きさを感じますね〉(島田修三)などと意見は割れたが、将来の歌壇を担う逸材を輩出する同賞の創設目的も考慮されて、受賞が決定した。
 露悪的表現について定綱は次のように考えている。
〈ぼくは露悪的なことをあまり悪いことだと思っていない。現実はきれいなものも汚いものも同時に存在するし、良いことも悪いこともある。(中略)ある人を心の底から愛するかと思えば、ある人を心の底から殺したいと思う。(中略)和歌は雅なもので、汚いものは歌わなかった、と教えられた。現代短歌も色濃くというほどではないが、その流れは汲んでいる。というか詩歌を作るのにわざわざ汚いものをいれなくても、という気持ちもわかる。/が、ぼくは露悪的なものも必要だと思うのだ〉(『短歌』角川文化振興財団、二〇一六年十二月号)
 弟に先を越された感の頼綱も、三十首連作「風に膨らむ地図」で昨年十一月に第二十八回歌壇賞に選ばれる。

  広げれば風に膨らむ地図を抱き闘牛鑑賞バスに乗りゆく
  やはらかに首を傾け描かれし日より銃爪引くメヒコ兵
  侵略を受けし故郷よわがこととしてポケットに拳汗ばむ

 こちらも選考委員の意見は分かれたが、社会や歴史を扱う新しさが評価された。三枝昂之と水原紫苑は、〈三枝──歴史とか社会を歌う歌の蓄積、歴史があるが、最近はなぜ遠ざかっているか。やはりそういうものは切実な課題としてうまくうたえないからだろう。/水原──でも、今、切実になっていると思います。/三枝──その通りだと思うけれど、だから最後の七首(引用注:前述の「やはらかに〜」。同首は、マネの『皇帝マキシミリアンの処刑』がモチーフ)、思想詠、社会詠の表現史を学んだ上で、チャレンジしてほしかった。僕はこういう世界には期待が大きいから厳しくなるのかな〉(『歌壇』本阿弥書店、二〇一七年二月号)と、外の世界と向き合う姿勢は認めつつ、今後への注文も隠さなかった。
 頼綱は受賞のことばで、旅が好きでバイト代や給料の大半を旅行代に使うなかで、現代の日本に育った人間が、旅先での様々な人との出会いや、「もしこの村で生まれていたら」「傷を負わせて生きてきた人間だったら」「マネだったら」などと馳せた想いの先で触れた叙情や、自分との融和点を作品にしたい、と語っている。
肉体を通して出てきた言葉で作品を作る頼綱
受け継いだものを後世に伝えたい
 頼綱は、歌人への道を歩むまでに、だいぶ廻り道をした。学生時代からユートピア思想などに強い関心を持ち、歌を作り始めたのが二十代後半。そのきっかけは、早逝した夫・治綱に代わり、並々ならぬ努力で戦前戦後の結社の運営を支えた祖母・佐佐木由幾からの問いだった。
「僕はおばあちゃん子で、すごく優しくしてもらったんです。そのおばあちゃんの体が弱り始め、弟が大学に入るなど家族の形が変わるなかで、“頼綱は短歌を作らないのかい?”と言われた。おばあちゃんを喜ばせようと短歌を作り始めました。短歌が個人の叙情ばかりを詠っていることに引っかかりがあり、僕はみんなの幸せや平等に暮らせる社会がなぜ実現しないのかに関心があった。でも歌人として生きることを意識したのはおばあちゃんと、(原爆詠で知られる)竹山広さんのお葬式のとき。歌人の一生って誇らしいと思ったときでした」
 いまは歌人の家に生まれたことが、子や孫へ自分のことを残せる歓びに変わったが、昔の頼綱には重荷だった。
「信綱を研究するなかで歌へのスタンスや、何を表現するかなどを随分と教えられました。また曽祖父(信綱)の作品のなかで僕の父(幸綱)が出てくるんですね。ハイハイをしている父を曽祖父の視点から見ることができて、ああ作品を作り続けるというのは、一人の人間以上の命だなと思うことがある。それは信綱がいて幸綱がいるから、息子や孫に歌が残せる。昔は自分の文才が心配だからとか、自分が背負いたくないからと、自分、自分でしたが、いまは受け継いだものを後世に残したいという感覚が強い。歌の仕事は人の大事な部分に関わる作業なので、やりがいや愉しみのような感覚もあります」
 父譲りで肉体への関心も強い。キックボクシングをしたり、筋トレで汗を流す。これらが歌作りにつながる。
「自分に落ち着きがないからかもしれませんが、机の上で歌を作るのではなく、暑いとか、痛いとか、退屈とか、肉体を通して出てきた言葉で歌を作りたい。その意味でボクサー、たとえばマイク・タイソンやモハメド・アリなどの名言はすごい素敵です。また筋トレをしている人たちが、背中全体を意識するのではなく、ここの筋と対話すると話すのを聞いて、専門の人には専門の理論があって面白い。あと旅に出たとき、砂漠だとイスラムの言葉、ジャングルならヒンドゥーの言葉が合う気がする。体で感じたことを短歌の伝統的な形で表現してみたい」
似た境遇の同世代に共通する
「のんびりした、ゆるい絶望感」を歌う定綱
 定綱が歌を作り始めたきっかけは、いまの若者が漠然と持っている不安や、不安定な状況と無縁でない。
「大学院修了時点で就職も決まらず、将来の不安が募っている時期のはけ口的な感じで、短歌を始めました。歌人としては、この先死ぬまで止めちゃいけないと思うとやりたくなくなるので、気負わないようにしています」
 いま定綱は書店の非正規社員として働く傍らで短歌を作ったり、エッセイを寄稿している。

  十年後存在しないかもしれない本と言葉と職種と我と
  給料は「いくら」と問うてくる君に「二十八」だと年齢答える

 この二首は、二〇一五年の角川短歌賞で次席になったときの作品。この受賞がきっかけで短歌専門誌『短歌』の短期連載を始め、そのなかで〈実際に非正規として働いていると、のんびりとした、ゆるい絶望みたいなものを感じる〉(二〇一六年十月号)と心情を綴っている。その〈のんびりとした、ゆるい絶望〉について聞いた。
「このまま行っても先がないってやつですね。とりあえず若いうちは非正規で働いていても、そのまま普通に生きていけますけれど、このまま昇進もなく、四十歳、五十歳になったとき、同じ給料で同じ仕事をしているのかなぁ、っていうのは、本当にのんびりとした、ゆるい絶望じゃないかなと。それは同世代の非正規雇用の人はある程度思っていて、その日暮らしに遠からず、近からず。いまは体力もあるし、生きていけますけれど、これがこのまま続くと思った瞬間に暗くなる。いまの大学生の就職率が良くなっているようなので、(就職氷河期を経験した)僕らの年代だけでしょ、こういう感覚って」
 大学院を修了しながらも正規社員としての働き口が見つからない。そうしたやり切れなさが〈シニカルの出し方が露悪的〉になるゆえか。そして、それを言葉にできてしまうことが、また辛いのかもしれない。すらすらと吐き出すように綴るエッセイに、そうしたものを感じる。
 定綱は、若者が政治や社会について発言しないことについて、次のように考えている。
「一般論的なところになってしまいますが、われわれの世代って、効率化、効率化と言われて育っているので、エネルギーを変なところに使いたくない。いちばん大きくエネルギーを使うのは喧嘩ですから。また、互いの意見や価値観を認める多様性もあるので、お前の意見がそれだったら、それでいいよというところで終わる。
 顔の見える友だち同士では話すけれど、ネットなどではうるさいので言わないところもあるんです」
 けれど「お互いに深いところまで掘り下げて、限界まで言い合うと、相手のことは認めないけれど、ああそうなのか、と知って、寛容になれる」と人間同士の触れ合いについては悲観していない。たとえば短歌の同人が集う結社の存在について、定綱は肯定的評価を持つ。
↑毎月1回行われる「心の花」東京歌会での二人。結社誌『心の花』は明治31(1898)年創刊され、来年創刊120周年を迎える。現在の会員は約800人で、発行部数は約1000部。
「いまネットに短歌を投稿する人が増えています。高野公彦さんが、時間が経っても忘れられない作品を作るには、あらゆる世代の視点の意見を超えないといけないと言っていて、僕も共感する。その意味で、結社は十代から八十代まで幅広い年代で、一つの作品について様々な視点の意見を出すので、時のフィルターに耐えうる作品を作る際には有効ではないかと僕は思っています」
 明治以降の近代短歌の結社は、基本的には同好の士が集い、雑誌を発行し、発展(ときには分派、分裂)してきた。佐佐木家が深く関わる『心の花』は「ひろく、深く、おのがじしに」を信綱が提唱し、佐佐木家が主宰として伝統を受け継いでいる。頼綱は、結社に集うことの利点として、作品の寿命が飛躍的に伸びることを挙げる。
「(『心の花』などの)雑誌は同時代の人の歌が一覧できるのが違う。また、うちに限らず結社に所属していると、誰々の流れを汲んでいるという形で読まれることもある。たとえば僕も後世では“心の花系”ということで信綱や幸綱の系譜で発掘されると思うし、結社に所属していれば、誰々に師事した、誰々の美学を継いだという流れのなかで発掘されるので、作品の寿命が伸びる。僕も信綱研究をするなかで古い『心の花』を見ていると、歌集も出していない無名のおばあちゃんの歌や、戦争に行った息子の歌があって結構いい。ノートに書くだけだったり、SNSだけでは、そういう出会いは生まれない」
 歌人としての評価は今後の創作活動次第だが、家の伝統を受け継ぐ継承者としての兄弟の歩みは始まっている。明治時代から続く結社の文化と、新興のネット文化の橋渡しなど、彼らに期待を寄せる声は少なくないようだ。
ささき・よりつな
  • 東京都生まれ。2003年、青山学院大学卒業。その後、教員免許状取得を目指す傍らで、世界約30か国を旅する。大学ではフーリエなど初期の社会主義経済学を学ぶ。2005年に短歌専門出版社のながらみ書房へ就職。
ささき・さだつな
  • 東京都生まれ。2013年、成城大学大学院修士課程修了。その後、学生時代からアルバイトしていた書店に勤務する。万引きをネタにした短歌や、物腰柔らかで礼儀正しい人が激しい差別本を買うことを綴るエッセイなども発表している。