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BOOK PEOPLE × 本の窓
  • 自著を語る2
    水野仁輔
    『幻の黒船カレーを追え』
  • 2017.9
カレーの謎
 カレーが日本の国民食と言われるようになって久しいが、日本で生まれた料理ではない。生まれ故郷はインドである。胸を張ってそう言ったら、「そのくらいは誰でも知っているよ」とバカにされそうだ。
 カレーはインドから直接やってきたわけではない。こう言ったらどうだろう。「イギリスからでしょう?」と切り返せる人はそれほど多くないはず。
 では、イギリスから日本にやってきたカレーはどんなものだったのだろうか。どんな姿をしていてどんな味わいだったのだろうか。実は、驚くべきことに、このことについて正確に知っている日本人は一人もいないのだ。
 今からおよそ二百五十年ほど前、インドを支配し、東インド会社を置いて香辛料貿易の拠点としていたイギリスは、自国にインドの食文化を持ち帰った。複数種類のスパイスをブレンドしたカレー粉を発明し、ブリティッシュカレーなる料理を生み出す。
 それから百年後の明治初期に、カレーライスは黒船に乗ってイギリスから日本にやってきた。文明開化の流れと共に。または、イギリス海軍から学んだという説もある。いったいどんなカレーだったのだろう。
 ひょんなことから生まれた小さな疑問は、みるみるうちに巨大化し、私の日常生活を蝕む怪物へと成長した。
 いてもたってもいられなくなり、日本全国十か所の港を巡った。海からやってきたカレーライスを求めて。洋食メニューのひとつとして伝わった可能性のある五つの商用港と海軍食として伝わったかもしれない五つの旧軍用港を訪ねたが、どこにも足跡は残されていなかった。
 日本最古の西洋料理レシピ本と言われる『西洋料理指南』や『西洋料理通』に書かれたカレーを再現してみたが、やけに味気ない。『海軍割烹術参考書』のカレーにも挑戦したが、この手の文献には大きな価値は見いだせなかった。
 老若男女、誰からも愛されている国民食のルーツが曖昧模糊としている。このまま見過ごしてたまるものか。
 私は、二十年ほど続けたサラリーマン生活に見切りをつけ、妻と三人の子供を日本に残してカレーのルーツを探る旅に出た。行き先は、ロンドンである。
 三か月間の滞在で、ロンドンじゅうのパブやレストランを調べ尽くしたが、“黒船カレー(=ブリティッシュカレー)”は見当たらない。大英図書館に足繁く通って昔の文献を紐解き、いにしえのレシピを再現したが、納得のいく体験とはならなかった。イギリスが生んだカレー粉は、ヨーロッパ大陸にも渡っている。パリのスパイスショップやベルリン発祥のカレーソーセージの屋台を訪ねたが、手がかりは掴めなかった。ロンドン滞在を終えて帰国し、途方に暮れた。二百五十年前、確かにイギリス国内に存在したはずの黒船カレーは、おそらく廃れて消えてしまったのだろう。過去のレシピを再現する限り、黒船カレーはおいしいものとは思えない。
 じゃあ、イギリス人が捨ててしまったカレーがなぜ、日本で国民食になるまで成長したんだろうか。イギリスから日本にカレーが来たのは百五十年ほど前、インドから日本にカレーが来たのは、九十年ほど前である。インドカレーは知らないがカレーは知っているという時間が六十年間もあったのだ。その間、日本人は、カレーとどう向き合ってきたのだろうか。もしかしたら、日本のカレーには、日本人の執着心や探求心が眠っているのかもしれない。そのことに確信を持つために、やはり私は、黒船カレーを見つけて食べてみなければならない。
 最後の手がかりを頼りにアイルランドへ。五年にわたって探し続けた黒船カレーがそこにあったのである。
  • 『幻の黒船カレーを追え』
    水野仁輔/著
    定価:本体1,500円+税
    小学館・刊 四六判 272ページ
    大好評発売中
    ISBN978-4-09-388569-0
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