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BOOK PEOPLE × 本の窓
  • 「いまどきの若いもん」
    解体新書
    第19回
  • 2017.9
橋本保/取材・文
山水画の始祖・如拙の描いた「瓢鮎図」(模本)の前で。同画は「ぬるぬるして捕まえにくいなまずを、つるつるした瓢箪で捕まえる矛盾をどう解決するか」の意がある。良い・心のおみやげ・を届けるには知識や経験が相手にも求められる。が、多くの観光客はサービスと勘違いして京都に来る。この難題と向き合うのは彼の課題。
松山大耕(38歳)
1978年12月4日生まれ
僧侶。妙心寺退蔵院副住職
“坊主丸儲け”“葬式仏教”と偏見を持たれる人生を自ら受け入れ、時代の要求に応えようとする若い僧侶がいる。初詣、お盆、お祭り、クリスマスなどを抵抗なく受け入れる現代人が求める宗教体験とは何か?
Photographs:Chisato Hikita
死後ではなく、現世でのご利益を。
そんな現代人の求めに応じて、
京都から“心のおみやげ”でおもてなしする僧侶
「あぁ、あのイケメンの若いお坊さんね」
 京都のある書店を訪れたときのこと。松山大耕を取材しに来たとカメラマンが伝えると、こんな反応があるほど、京都ではちょっとした有名人である。
 その経歴は華々しい。東京大学大学院農学生命科学研究科を修了し、室町時代に創建された妙心寺の塔頭「退蔵院」を継ぐ家に生まれ、いまは副住職。観光庁のVisit Japan大使を務め、日本の禅宗を代表して前ローマ法王に謁見したり、世界経済フォーラム(ダボス会議)に出席するなど、国境や宗教の垣根を越えて活躍する。
 身近なようで、身近とも言い切れない、そんな感覚を持つ日本人の宗教観を、一人の宗教者はどう見ているか。
「人々が伝統宗教に無関心な傾向は、ヨーロッパでも、イスラム圏でも起きていて、日本独自の現象ではないんです。ただ、お寺に求められる役割は変わってきている。
 よく葬式仏教と言われますが、これだけ寿命が伸び、皆さんも経済的に余裕がなくなり、家の概念も変わっているのですから、葬式を立派にやろうとならないのは当然で、その意味でお寺の存在は薄くなり、仏教離れもしています。その一方で、座禅をしたい、お坊さんの話を聞きたいという若い人や外国人などは増えている。
 もともとブッダはお坊さんに、葬式は他人にまかせ、自分たちは修行しなさいと教えたんです。もちろん葬式や弔いは非常に大事な宗教行事ですが、私たち禅宗から見ると、一丁目一番地のようには思えない。
 私は宗教に求められる根幹は不安の解消と思う。誰にも死ぬことは避けられない。これは宿命です。この死が原点となり、死から不安が生まれる。宗教は、この人の持つ不安と真正面から向き合います。
 そして人は、心がある限り迷う。ただ昔と今とでは迷い方が違う。昔の人はお墓とか、戒名とか、地獄はどんなところかなど、死んでからのことに興味が強かった。でも今は死後よりも、どう生きるかに関心が向き、そこから逆説的に不安が生まれる。
 そうした不安や迷いに私たちが応える必要があるのに、従来のままでいたら仏教離れは進んでしまう。そう考えると、法事法要を商品化したことが仏教界で問題視されたAmazonの件は自業自得やなという側面もあると思います。
 仏教界の四十歳より下の世代は、絶対に葬式仏教で食っていけないことはわかっている。だから新しいことに取り組んだり、人々が何を求めているかに敏感な人が比較的に多い。その一方、五十歳よりも上の世代は葬式仏教で逃げ切れそうなので、波風立てず、このままでと思っているようです。このように世代間に境目があるようで、壁として立ちはだかっている感じもあります」
 死後よりも、現世に関心が移るなかで、宗教都市ともいわれる京都には、多くの観光客が訪れる。松山が毎日を過ごす退蔵院も例外ではない。そこで松山は人々の求めに、どう応えているのだろう。
「いまから三、四十年前の観光は見る、言いかえればseeingが中心で“金銀清水、二条城”をできるだけ効率よく回り、写真を撮るという団体旅行が中心でした。それがだんだん成熟し、体験をするdoingに変わった。京都なら舞妓さんになったり、和菓子を作ってみたりと、自分自身でやってみる。そうすると団体旅行から、グループや個人の旅行に変わる。そしていまは、自分はなぜ生きているか、自分の存在は、など、精神性を旅に求めているように思う。つまりbeingですね。面白いだけなら旅以外にもたくさんありますから、なぜ自分は働いているか、幸せとは何かなど、本当に自分の心の支えになるような“心のおみやげ”を届ける必要がある。
 繰り返しになりますが、宗教は心を扱うので、“心のおみやげ”については色々と用意がある。京都の神社仏閣に求められるのは、そうしたことと私は考えています。
 オリンピック招致がきっかけで“おもてなし”が良く言われますけれど私は、おもてなしとサービスを勘違いしているんじゃないか、と思うことがある。サービスの語源はサーブで、一般的には高いお金を払えば、それ相応のものを受ける権利があると考える。だから主客でいえば、サービスを受けるお客さんのほうが上です。
 でもおもてなしは、お金を介さず、その人と、その場面で、その一瞬だけにということと、主客対等という三つが前提です。とくに客側が、そうした気構えや、知識、経験がなければ、良いおもてなしは成立しない。だからサービスとおもてなしを混同すると、本当はもっと深みのある機会なのに、準備がないゆえに、それを逃してしまいかねない。おもてなしを受ける気持ちを持つと、より豊かな“心のおみやげ”を持って帰れると思います」
三日で消えた東大ブランド。
挫折を経て、成長した
 松山は祖父から「字がうまい、お経がうまい、話がうまい」が備わってから、他のことをやれと言われて育ったとか。確かに取材をしているうちに、いつの間にか法話を聞いているような雰囲気に引き込まれる。もう少し俗っぽい自身の経歴についても聞いてみた。
「高校時代なんかは、『お前、何で勉強してんねん、坊さんになったらええやないか』と言われたり、自分の将来が決まっているのがすごく嫌だった。ただ東大で二年生になると、みんなが司法試験や公務員試験の予備校に通い始める。それを見ていて、ふと『これは自分でやらなくても、あいつらがやっておけばいいな』と思ったんです。私はこの寺に生まれて、いろんな人の世話になり、大勢の人に継いでほしいと言われている。いまの世の中で、そんな仕事を見つけるのは難しいですから。
 あと、心の底から尊敬できるお坊さんに出会ったことも大きかった。その方は、冬は三、四メートルも雪が積もる長野の飯山というところで、托鉢だけでお寺を護持していた。本当に立派な方で、いつもニコニコしていて、ときどき本質的なことをズバっと言われる。駅前には生きているうちから銅像が建っていたんです」
 本人は詳しく話さなかったが、その人物は二〇一五年に入寂した妙心寺派正受庵第十二世住職の原井寛道和尚。斎藤茂吉らから直接指導を受けた歌人の古田十一郎は、原井和尚を題材にして、

  朝の街に寛道さんの托鉢の
  
声透りくる底深き声
  托鉢の声聞こゆればこの町に
  
住む安心のおのずから湧く

 という歌を詠んでいる。松山もこの歌に感化されたのか、自分の役割は、安心を届けることと考えている。
「ある大学で講演したとき学生から『SNSがやめられない。どうしたら良いですか?』と聞かれたんです。その方は、SNSをやめたら、世間から置いていかれそうで不安だと。そのときは私の修行時代の話をしました。
 修行中は、テレビ、ラジオ、ケータイ、新聞などの情報が遮断され、本すら読んじゃいけない。そういう生活を三年半もすると、浦島太郎状態じゃないですか。当時はすでに情報化社会ですから、私も不安でした。東大の修了式のとき、学長が『東大ブランドは三年で終わる。問われるのは、どこの大学を出たかではなく、君たちが何をしたかだ』といった話をしてくれたんですが、私はその三日後に道場に入った。つまり私の東大ブランドは、三年どころか三日だけ。で、入ってしばらくしてから、先輩に『風呂の薪に火をつけてこい』と言われたんです。私もアホじゃないですから、最初は新聞紙に小枝を入れて火をつけ、次に細い枝、そして太い枝と順番にやっていくくらいのことはわかったんですが、そうやっても火がつかない。薪が切られたばかりで若くて水分を持っていたからと思います。しばらくして火がつかないものだから先輩がやってきて、『お前、東大を出ているのに薪に火もつけられないのか』と言われて、ガーンとなった。学歴なんかなんぼあっても薪に火がつけられなかったら何の意味もないですから。そのときに周りの友だちの姿が目に浮かんだんです。給料良いんやろうな、美味しいものを食べているんやろうな、休みで彼女とデートしているんだろうななどが、ばぁ〜っと。逃げたいとはならなかったですが、他の道もあったかな、とは思いました(笑)。で、翌年春、満開の桜の下で薪を割っていたときに、檀家の方が通りかかって、『こんな満開の桜の下で薪を割っていられるって、最高やね』と私の姿を見ておっしゃった。そのときにハッとしたんです。確かにおれは睡眠時間もなく、好きなこともできない。ただ、この二十一世紀に、こんな満開の桜の下で何も考えずに薪を割れるって、ある意味で幸せだな、と。いま、この瞬間を楽しまなかったらあかん、と。その一言をもらってから修行に集中できるようになりました。その後修行が終わって娑婆(仏教用語。釈迦が衆生を救い教化する、煩悩や苦しみの多いこの世)に帰って学生時代の友だちに会うと、置いていかれるどころか、みんな不安に駆られる生活をしていた。三年半の道場生活のほうが密度が濃く、充足感のある良い時間だった。
 だからSNSがやめられないという学生には、自分の経験を話して、『そんなもの、やめたらええ』と言っておきました。SNSに書かれていることを真に受けていたら、世の中みんなが幸せな生活をしているってなりますよね。美味しいものを食べて、子どもが生まれて、結婚して、こんなきれいなところへ行ったんだって。そんなことはありえないですから。あんなにキラキラしていたら、それと同じだけ影も濃くなっていると思いますよ」
↑松山のFacebookページ。「このページは自分が何をしたかの備忘録。あと、皆さんが何を悩んでいるのかを考えるヒントにしています」
 早熟している印象を受けるかもしれないが、実は人間臭い失敗もしている。離婚経験があるのだ。相手が有名人だったことが災いし、心に大きな傷を負った。
「それまで人生ででかい失敗って一度もなかったです。離婚の原因は別に変な理由ではないのですが、あれは失敗でした。当時坊さんを辞めなきゃいけないかなど、かなりへこみました。家族や友人らに支えてもらって助けられ、そういう失敗をした人にしかわからない感覚を経験しました。そして、あの経験を通じて、困っている人や悩んでいる人の感覚を、心の底から共感できるようになりました。なので、いまは宗教家としては大事な要素だったなと思っています。人間は誰でも失敗するという意味でひとつの安心をお渡しできますから。あの人(=松山)もそうだったんだってね(笑)。失敗したときには、そういう気持ちにはなれなかったですが」
 日本人の宗教観について松山は昔から“ほんのり染まる”感じと捉えている。どっぷり染まって社会と軋轢を起こすような人もいるが、“ほんのり染まる”なら、毒にならず妙薬になるかもしれない。そうしたことを、彼のような若い僧侶が掬い取れれば、人々の心は安らぐだろう。彼の活躍は、これからもっと求められるはずだ。
まつやま・だいこう
  • 東京大学大学院農学生命科学研究科修了。埼玉県新座市の平林寺専門道場で3年半修行。2007年より退蔵院副住職。9歳からお盆のときには檀家回りをした。「高校生のとき、ある檀家さんが和菓子と抹茶を振る舞ってくれた。私の母は古田織部のお兄さんの家系で、ご主人がそれをご存じで、織部好み茶碗を用意してくれていた。私はそれを知らずにお茶を飲んでいた。そのときに、おもてなしは自らも心構えが必要なことを知りました」