第二話

 『万葉集』が成立したのは八世紀後半と推定されている。この時代の日本について、少し調べたことを書いておこう。朝鮮半島の百済から日本に仏教が伝来したのが、一応、五三八年ということになっている。もちろん仏教だけでなく、儒教や暦法、医術、易をはじめとする種々の卜占法なども入ってくる。仏教経典や漢籍とともに、本格的な文字文化が日本に入ってきたわけだ。漢字そのものは、もっと早く入ってきていたのだろうが、書記というかたちで文字が使われるようになったのは、この時代からと考えられている。
 最初はもっぱら渡来系氏族の手で文字は記されていたらしい。もちろん彼らは漢文をそのまま記していた。つまり文法も、漢字の読み方や書き方も、中国式であったわけだ。やがて漢字の音だけを利用して、古代の大和ことばを表記するということがはじまる。これが万葉仮名と呼ばれるものだ。たとえば「こひ(恋)」は「古比」「古非」「古飛」「故非」「孤悲」などと表記された。「こころ(心)」は「己己呂」「己許呂」「許己呂」「許許呂」といった感じである。『万葉集』の冒頭部分に出てくる、額田王(ぬかたのおおきみ)の有名な熟田津(にきたつ)の歌を見てみよう。

 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(一・八)

 これは後代の人たちが、漢字仮名交じりの表記に直してくれたもので、オリジナルの『万葉集』では、「熟田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許芸乞菜」となっている。うっひゃ〜! まさに暗号といった感じ。送信したメールが文字化けしたようなものだ。こんな調子で、すべての歌が表記されている。長歌も含めて四千五百首! しかも「題詞(だいし)」と呼ばれる、いつ誰がどんな状況でつくった歌か、という但し書きまでついている。これらの内容が、ほとんど意味不明の漢字の羅列によって表記される、といった恐ろしい世界が展開しているのだ。とても普通の人が読める代物ではない。現代のわれわれにも読めないが、昔の人も読めなかったらしい。

   

 ただ『万葉集』が大切な書物であるという認識は共有されていた。なにしろ歴代天皇の歌をおさめている。いわば神聖な書物だったわけだ。そこで『万葉集』の解読作業がはじまる。村上天皇の勅令だったらしい。十世紀中ごろ、平安時代中期のことである。つまり『万葉集』の成立が八世紀後半として、二世紀後には、すでに当時の人にもわからないものになっていたということだろう。
 考えてみれば、これは当然である。漢字が使ってあるからといって、正当な漢語文であるわけではない。漢字本来の読み方は、ほとんど無視されている。漢字を無理やり日本語化してしまったというか、もとからあった日本語、大和ことばを、主に漢字の音だけを借用して表記していったわけだから、かなり強引なやり方と言っていい。それだけ大陸文化への憧れ、漢語を自分たちのものにしたいという性急な欲求が強かったのだろう。これが後世に大きな問題を残した。
 先ほどの熟田津の歌にしても、「熟田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許芸乞菜」を、どう読めば五七五七七になるのか。さらにこの歌のなかには、「世武登」や「可奈比沼」といった万葉仮名による表記に混じって、「船」「乗」「月」「潮」のように、本来の漢字の意味を大和ことばにあてはめたもの、つまり現在の訓にあたるようなものが見られる。ここには発想としてすでに、漢字を音訓両用で使い、文字表記は漢字とかな文字を用いるという、その後の日本語の方向性があらわれている。こうした複雑な表記法が、解読を一層困難にしていたと言える。
 とにかく漢字で表記されたものを日本の大和ことばに戻してやる、という気の遠くなるような作業がはじまった。この作業は平安時代だけでは終わらずに、江戸時代の国学者たち、契沖、賀茂真淵、本居宣長などによっても引き継がれる。また明治以降も、斎藤茂吉、折口信夫、佐佐木信綱といった人たちが新たな解釈や解説を施している。それでも未解決な部分は残っていて、現代もなお解読作業はつづいている。まさに民族をあげての一大事業。それほど『万葉集』は謎に満ちた、難解な書物なのである。

   

 少し中身に入っていこう。全二十巻におよぶ『万葉集』には、様々なタイプの歌がおさめられている。天皇や宮中の貴族がつくった歌もあれば、宮廷詩人のようなプロの作者によるものもある。また一般の庶民や農民の歌が多くおさめられていることも大きな特徴だ。ジャンル的には、儀礼的なもの、叙事詩的なもの、個人の感情をうたった叙情的なもの、自然描写に重きを置いた叙景的なものまで、非常に多岐にわたる。
 七世紀中ごろから八世紀中ごろにかけての、およそ百年間につくられた歌がおさめられている、というのが定説のようだ。この前後の日本は、激動の時代といってもいいくらい、変化の激しい時期にあたっていた。冒頭でも少し触れたように、中国から様々な文化が流入してきたからだ。このため日本の社会は、無文字の状態から漢字・かな文字による独自の表記法の確立まで、また氏族共同体や部族国家の段階から律令制のもとでの中央集権的な朝廷王権の誕生まで、きわめて短い時間にめまぐるしい展開をとげることになった。こうした事情が、『万葉集』に一種独特の活気というか、ダイナミズムを与えていると考えられる。
 一方で、それは『万葉集』という書物を複雑なものにもしている。百年ほどのあいだにつくられた歌のなかでも、初期のものには古い氏族共同体の伝統的な習俗などがうたい込まれており、時代が下って新しいものには、平安期の貴族階級の生活感情や、中国文化の影響を受けた美意識、価値観などが色濃く反映しているからだ。こうした重層的な構造も、『万葉集』の解釈を難しくしている一因になっている。

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