第五話

 『万葉集』には、春菜摘みの歌が数多くおさめられている。もともと草摘みは、天候の安定や豊作や村落の平穏無事などを祈願するために、共同体的秩序のもとで行われる予祝(模擬して祈願すること)的な神事だった。この予祝は、神との約束を一定の条件のもとに満たすことによって成就されると考えられていた。その条件として、標(しめ)という標識を立て、神縄などを結び渡して、神域としてその地を表示したらしい。つまり「標結ふ」ことからして、すでに何らかの願望のために神に働きかける魂振り的な行為であったと言える。そうした文脈から、つぎの歌を読んでみよう。

あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る(一・二〇)

 この額田王の有名な歌を、「なんて大胆なことをなさるの、私に向かって袖を振るなんて。野の番人に見られたら大変じゃないの」と恋歌ふうに解していいものかどうか。むしろ懸命に草摘みをする乙女に悪戯をしかける男(天皇)を、やや遊戯的な気分で軽く戒める歌、というくらいに受け取ったほうがいいのではないだろうか。標野で草を摘む女性は、神事にたずさわっているわけだから、一時的に禁忌(タブー)の状態にある。いかに天皇であろうと、そのような女性に袖振る(モーションをかける)のは不謹慎な行為であったはずだ。
 同じように、山部赤人(やまべのあかひと)のこれまた有名な歌。

明日よりは 春菜摘まむと 標(し)めし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ(八・一四二七)

 この歌も、たんに「草摘みができなくて残念だ」という意味にはならないだろう。雪が降って草摘みができないということは、祈願が成就しないということだ。共同体の将来がかかっているわけだから、大変なことだったはずだ。たんなる自然愛好家の歌というよりは、やはり何か霊的な交感が詠まれていると解すべきだろう。

   

 草摘みが神事的儀礼であったことを示す歌としては、つぎのようなものの方がはっきりしているかもしれない。

いざ兒等 香椎(かしい)の潟に 白たへの 袖さへ濡れて 朝菜摘みてむ(六・九五七)帥(そち)大伴卿

時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干(しおひ)の浦に 玉藻刈りてな(六・九五八)大弐(だいに)小野老(おののおゆ)朝臣

往き還り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見むよしもなし(六・九五九)豊前守(とよくにのみちのくちのかみ)宇努首男人(うののおびとおひと)

 大宰府の長官であった大伴旅人が、大納言に任ぜられて大宰府を去り、奈良へ向かうときに詠んだとされる歌である。香椎宮に参詣したあと、一行は近くの香椎潟で海藻を摘んだ。その一首目に、「さあ皆の者、袖の濡れるのも気にせずに、朝餉の藻を摘もうではないか」といった解釈をあてていいのかどうか。現在でも、下関市の住吉神社と北九州市の和布刈神社では、陰暦の大晦日から元旦にかけて、夜中の干潮時に神官が海に入ってワカメを刈り、神前に供えるという神事が執り行われている。旅人たちの歌に詠まれているのも、これに類することではなかったかと思われる。おそらく道中の安全を祈願し、都への帰還を確実にするための、予祝的意味をもつものだったのだろう。
 折口信夫は「国文学の発生(第四稿)」のなかで、「呪言はもと、神が精霊に命ずる詞として発生した。自分は優れた神だということを示して、その権威を感銘させるものであった」と述べている。折口が「ホ」の音に着目したことは、よく知られている。「ほぐ(祝ぐ)」や「ほむ(褒む)」など、「ほ」を語幹とする動詞は、もともと神が精霊に向かって働きかける動作を意味していた。「ことほぎ(寿ぎ・言祝ぎ)」の詞に感応して、稲に宿っている精霊が「ほ(穂)」を出す。これが「よごと(寿詞)」や「のりと(祝詞)」の古い形式であった、と折口は考える。
 最初は神の一方的な託宣であったものが、しだいに神と精霊の問答として様式化されてくる。つまり神の言葉に答えて、精霊のほうも何か言うわけだ。もちろん実際の神事では、神に扮した人間と精霊に扮した人間との問答になる。それが神に扮する人間と神を接待する村の処女との問答になり、さらには村の男と女の掛け合いになっていった、というのが折口の説である。おそらく穂を出す、実をつけるといった自然現象は、生殖行為とのアナロジーによって、神に扮する男と精霊に扮する女のやりとりに転化しやすかったのだろう。こうした過程を経て、五穀豊穣を祈願するための神事が、「うたがき(歌垣)」のような男女の性欲的な問答へ発展していき、さらに時代が下ると、相聞に見られる恋愛詩的なものになっていったと考えられる。

   

 白川静も同様のことを述べている。氏族共同体の時代には、神事的な習俗として行われていた草摘みが、共同体的紐帯の弛緩とともに、私的な予祝行為として行われるようになった。『万葉集』に見える草摘みの歌は、そうした時代のものだというのだ。豪族勢力が伸長し、地域的政権が成立するなかから、王朝的な統一政権が樹立されるにおよんで、古い共同体は解体していかざるを得なかった。律令制的な新しい国のしくみのもとで、社会構造は変質し、古代的な共同体の秩序は失われていく。それにともない、元来は氏族共同体的な神事として行われていた草摘みが、しだいに個人的な動機によって行われるようになったということだろう。

君がため 浮沼(うきぬ)の池の ひし摘むと 我が染めし袖 濡れにけるかも(七・一二四九)柿本人麻呂

君がため 山田の澤に ゑぐ摘むと 雪消(ゆきげ)の水に 裳のすそ濡れぬ(十・一八三九)不詳

妹(いも)がため 菅(すが)の実採とりに 行く吾を 山路にまどひ この日暮らしつ(七・一二五〇)柿本人麻呂

 これらの歌で「ヒシ」や「ゑぐ(クワイ)」や「官(ヤマスゲ)」の実を採ることは、「あの人に差し上げるために」ではなかったはずだ。そのような現物贈与のために採集が行われたのではなく、先の春菜摘みの歌と同様に、神々との約束を果たすことによって自分の魂を相手の魂に合一させようという、魂振り的な行為だった。こうした「君がため」「妹がため」という発想をとる歌は、『万葉集』のなかには非常に多く見られる。いわば紋切型の常套的表現と言っていいだろう。「片歌(かたうた=五七七形式の歌)」や「旋頭歌(せどうか=五七七五七七形式の歌)」の古い形式が、類型は類型のままに個人的な契機の方へ引き寄せられていった。そして徐々に相聞的な予祝の歌に転化していったということだと思う。
 それにしても、歌に込められた真実味という点ではどうだろう。あまりにも類型的というか、ただ雛型に適当な言葉を入れただけのような歌に見えないこともない。これらは本当に恋愛詩なのだろうか。ある特定の一人の相手を念頭において詠まれたものなのだろうか。たしかに「君がため」「妹がため」とうたわれてはいるのだが、どこか外面的、形式的な感じを拭えない。当事者でなくても、誰か第三者でも、容易につくれそうな歌である。個の表現というよりも、なお集団的な表出行為という側面が強いようにも感じられる。

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