第六話

 葛城(かつらぎ)と宇陀(うだ)を中心にまわると言いながら、話は奈良盆地からも大和平野からも離れてしまった。旅のつづきに戻ろう。稲の穂が黄金色に実った葛城古道を行く。豊かに穂を垂れる稲の一本一本が、何かを語りかけているかのようだ。田んぼの土手からは、彼岸花がやや唐突な感じで茎を伸ばしている。土筆(つくし)みたいに垂直に頭を突き出し、花火のようにパッと紅い花を咲かせる。土を踏み固めた田の道がつづく。小川沿いの木叢(こむら)のなかで、葛が小さな深い紫の花をつけている。
 つぎにぼくたちが向かったのは葛城一言主(ひとことぬし)神社。名前が面白い。「一言主」とは何ものなのか。看板に神社の謂れが書いてある。ときは四六〇年(雄略四年)、天皇が葛城山へ鹿狩りに行ったとき、赤紐の付いた青摺(あおずり)の衣を着た天皇の一行と、まったく同じ格好の一同が向かいの尾根を歩いているのを見つける。天皇が名を問うと、「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神ぞ」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢の他、官人たちが着ていた衣服を脱がせて、一言主神に差し上げた。一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った。
 この話は『古事記』の下つ巻に出てくる。雄略は第二十一代天皇。人を処刑することが多かったことから、「大悪天皇」というありがたくない別称も残されている。一方で「有徳天皇」とも呼ばれているから、よくわからない。スティーブ・ジョブズみたいな好悪の激しい人物だったのだろうか。ただし、「有徳(うとく)」という言葉には注意が必要だ。天皇たるもの、豊穣の予祝(摸擬して祈願すること)として多くの女性と関係をもつ。この種の行為が多い天皇も「有徳」とされた。いいなあ……。それはともかく『万葉集』の冒頭には、雄略を作者とする歌が掲げられているくらいだから、重要な人物とみなされていたことは間違いないだろう。

   

 さてもさても一言主、恐ろしい神である。「言離」とは難しい言葉だが、「離(さ)く」は「放く」とも書かれることがあるから、「言離く」で言い放つという意味だろう。善いことも一言、悪いことも一言で言い放つ神。そんなことを言い放たれたら、ぼくたちはいったいどうなるだろう。いま以上に善く生きることができるだろうか。それとも生きることの意味を失い、悪に堕落していくだろうか。
 言霊信仰と呼ばれるものがある。言霊とは言葉に宿る霊力のこと。良い言葉を発すると良いことが起こり、悪い言葉を発すると悪いことが起こる。いまでも結婚式のスピーチでは「別れる」「切れる」「終わる」といった言葉は使ってはならないとされる。いわゆる忌み言葉というやつだ。葬儀、告別式、通夜などでは「重ね重ね」や「たびたび」が忌み言葉とされる。こうした俗信と結びついてか、近世以降、一言の願いであればなんでも聞き届けてくれる神として、一言主は庶民のあいだでも広く信仰されるようになったとか。なんでも自分たちの都合のいいように解釈し、利用してしまう名もなき人々。たくましいというか、ちゃっかりしているというか……。
 ところで、ぼくの本業は小説を書くことである。文学。ほとんど死語になりかけている観もあるが、当人は大真面目だ。残りの生涯をかけて本気でやりたいと思っている。文学とは何か? うるさいことを言い出せばきりもないが、それこそ一言で言い放つなら「屁理屈」である。えっ?
 ちょっと脱線するが、説明させてほしい。
 人間にとって現実とは、リアルとは、すべからく屁理屈ではないだろうか。ビッグバン理論から議会制民主主義まで、金融経済から遺伝子まで。ぼくたちは生(なま)の現実に直接触れることができない。言葉を介して触ったものが「現実」なのだ。すなわち生の現実と、言葉によってとらえられた「現実」とのあいだには微妙なズレ、ときには大きな乖離がある。そこに大小の屁理屈が紛れ込む。捏造、でっち上げ、こじつけ、牽強付会、仮想、妄想、幻想、虚言、狂言、迂言、奇言、戯言……言葉を弄して相手を煙にまく、わけのわからないうちに、なんとなく納得させてしまう。というわけで屁理屈。

   

 ヨーロッパのキリスト教社会だけを考えれば、「神」や「自由」や「平等」といった言葉で、ある程度はうまくいっていたかもしれない。ところが七十億もの人間が地球上にひしめき合うようになると、全人類をうまく納得させるための言葉、みんなが「なるほど」と思えるような、汎用性のある屁理屈は存立が難しくなる。キリスト教の神とイスラム教の神をめぐって、果てしない殺し合いが繰り広げられている現状を見れば、「神」が善い言葉であるとは言い切れない気がする。かつては希望であり理想であったはずの「自由」や「平等」は、目下、資本主義や金融経済と結びついて、すさまじい格差や貧困を生み出している。善悪、倫理、真善美……人間が人間としてあるための言葉が、みんな危うくなっているのだ。
 新しい言葉を、世界は待望しているのではないだろうか。その一言にたどり着けば、人間の心が一つになって地上の戦乱が止むような言葉。かつて地上に存在したことのない言葉。それは超クールな屁理屈と言ってもいいだろう。並のクールさではダメだ。世界がひれ伏すような、しびれるほどクールな屁理屈。そんな屁理屈に裏付けられた言葉を求めて、ぼくは文学をやっている、というのも屁理屈だけど。
 古代の言霊信仰において、言葉は仲介者であると考えられていた。言葉をとおして魂が人の身体のなかに入ってくる。素朴な信仰はシンプルな真理を言い当てているのではないだろうか。ぼくたちは言葉によって立つ。ぼくたちの身体は、そのど真ん中を、言葉によって仲介される魂に貫かれている。だから七十億の人類、誰もが口にしたくなるような言葉をつくり出さなければならない。その言葉を口にした瞬間、善いことが立ち現れて、この残酷な世界が革(あらた)まってしまうような言葉を……。
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