第九話

 どうですみなさん、はじめにも申し上げたように、食べ物やお酒の話が出てこないでしょう? 旅も終盤というのに、ぼくたちはまだ温泉にも入っていない。かなり知的に、学術的に話を進めている。画期的である! いや、これぞ本来のぼくたちの姿である。フォトグラファーのことは知らない。小説家は昔から、歴史に文学に、さりげなく蘊蓄を傾けることになっているのだ。それでこそ文士。もちろん酒、食、女というケースもあるだろう。そっちは小平さんにまかせよう……なんちゃって。
 阿騎野は現在の宇陀市大宇陀、天理市からは車で小一時間の距離だ。途中、雄略天皇の泊瀬(はつせ)朝倉宮があったとされる白山神社に立ち寄る。もちろん伝承地で、「たぶんこのあたりだろう」と考えられているところである。境内には桜井市教育委員会の説明板のほかに、「萬葉集發耀讃仰碑」というのが建っている。揮毫者は『日本の橋』などで有名な文芸評論家の保田與重郎だ。調べてみたら、彼は桜井市生まれで『万葉集』にかんする著作も何冊かある。なるほど。雄略天皇の巻頭歌にちなんで「発祥の地」ということだろうか。ちょっと手前味噌な感じもするが、でもまあ、これも屁理屈、大いに結構ということで……。

   

 宇陀市に入ったのは昼前。最初に旧松山町の町家を見学する。城下町から商家町として発展した交通の要衝、「宇陀千軒」とか「宇陀の松山」と呼ばれ、宇陀地域の政治・経済の中心地として賑わっていたところだ。近くの古城山には宇陀松山城の跡が残る。町並みは宇陀川と古城山のあいだに広がり、薬問屋、紙問屋、菓子屋、酒屋、醤油屋など、江戸後期から昭和戦前にかけての町家が数多く残っている。どの家も保存状態が良くて感心させられる。さらに多くの商家が、いまなお現役として商いをつづけているのが嬉しい。道の両側には水路が走り、とてもいい風情だ。幾つかの店を見学させてもらった。酒屋では試飲も。かなり淡麗で辛口、独特の風味の酒が多いと見た。ゆっくり吟味したいところだが、ここは仕事優先のシニア二人組、先を急ぐ身だ。
 松山西口関門という立派な門を抜けて宇陀川を渡る。川の土手にはムラサキシキブが咲いている。いや、花ではなくて実だな。小さな紫の実をたくさんつけている。可憐である。小平さんは橋から身体を乗り出すようにして写真を撮っている。
「ところで、いま何時?」
「二時です」
「お腹空いたねえ」
 日本酒の試飲をしたり、醤油屋で醤油を舐めたりしただけで、昼ごはんを食べていない。
「何か食べましょうか」
 そこは食にうるさいフォトグラファー小平。ちゃんと情報を仕入れていた。
「このあたりに、うまいそば屋があるはずなんだ」
 なんでも県庁を退職した人が、そば職人に転じてそばを打っているとか。
「そそられますねえ」
 スマホで検索してお店を見つけた。そこは小学校の近くにある普通の民家。ご夫婦が二人でお店をされている。奥の座敷に案内される。お昼の時間帯を過ぎているので、客はぼくたちだけだ。
「なんだか達人の匂いがしてきますねえ」
「だろう?」

   

 とりあえずビールをたのむと、そばが茹で上がるまでに時間がかかるからと、奥様が胡瓜の古漬けを出してくださる。もちろん手製である。これがじつに美味い。さらにシシトウを油でさっと炒めたもの。こちらも絶妙である。フォトグラファーは涙を流している。
「泣くことはないでしょう」
「辛いんだよ」
 その辛さが引き金となって……。
「すいません、日本酒を冷やで二合ほど」
 出てきたのは「豊祝(ほうしゅく)」という奈良の銘酒。フォトグラファーはしわくちゃのハンカチを取り出した。
「またシシトウが辛かったんですか」
「本当に泣けてきたんだよ」
 小平さんが師と仰ぐ故・安西水丸氏が、生前に「世界でいちばん愛飲してやまない酒」と公言しておられたのが、新潟の「〆張鶴」。水丸師匠に対抗して、小平さんは「豊祝」でいくことをひそかに誓ったらしい。その特別な酒と、奇しくも宇陀の城下で出会ってしまったわけだ。
 古漬けとシシトウを当てに、ぼくたちは「豊祝」を飲みつづけた。小平さんは師匠を偲んでいるのかもしれない。二合が四合になり、さらに六合になり……いい加減にしておかないと、人麻呂が待っている阿騎野にたどり着けない。途中でそばが来た。もちろん美味い。最初に注文した天ぷらそばをぺろりと食べてしまうと、ご主人が姿を現した。紺染めの作務衣を着ている。色の褪せ具合が、じつに職人っぽい。もう少しそばが残っているから、よかったらおろしそばをつくってやるとおっしゃる。一も二もなくお願いした。呑兵衛であるばかりでなく、喰い意地もはっているのだ。
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