INDEX

第一回 石川五右衛門 公開終了

第二回 ユーリ・ガガーリン 公開終了

第三回 ビンラディン 公開終了

第四回 小野小町 公開終了

第五回 頭山満 公開終了

第六回 キュリー夫人 公開終了

第七回 フリードリヒ・エンゲルス 公開終了

第八回 アルフレッド・ノーベル 公開終了

第九回 武蔵坊弁慶 公開終了

第十回 バラバ 公開終了

第十一回 グリゴリー・ラスプーチン 公開終了

第十二回 クォン・デ 公開終了

第十三回 坂本龍馬 公開終了

第十四回 飯島ショッカー 公開終了

第十五回 アンドレ・ザ・ジャイアント 公開終了

第十六回 ブッダ 公開終了

第十七回 アドルフ・アイヒマン 公開終了

第十八回 江青 公開終了

第十九回 ベートーヴェン 公開終了

最終回


チェ・ゲバラ 前編
チェ・ゲバラ 後編

■著者プロフィール
森達也(もり・たつや)
映画監督、作家。1998年、テレビ・ディレクター時にドキュメンタリー映画『A』を公開。世界各国の国際映画祭に招待され、高い評価を得る。2001年、続編『A2』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書に、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『A3』(集英社インターナショナル)、『下山事件』(新潮社)、『死刑』(朝日出版社)、『いのちの食べかた』(理論社)など。映画監督、執筆活動の他、テレビ、雑誌、講演、大学教授など幅広く活躍する。映像・活字両面で、いま最も注目を集める作家。
2011年7月15日、『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞!!



最終回 チェ・ゲバラ

前編3


 チェ 本日は忙しいところ、時間を割いていただいてありがとう。ところで、フィリピンは日本にクォータ(割当て)以上10%も余計に、つまり4500トンも余分に砂糖を売っていると聞いたので、それについて抗議する。
 牛場 そういう事実はない。
 チェ 提案があったと聞いている。
 牛場 提案はないし、あっても受ける用意はない。
 チェ 日本は百万トンの砂糖の買付け量のうち、なお20万トンを残している。もし30万トン買付けの約束をしてくれるならば、うち15万トン分の代金を円貨で受取る用意がある。
 牛場 それはキューバ政府の提案か。
 チェ そのとおり。
 牛場 これは大事な問題なので、いますぐには返答できない。
 チェ すぐに返答できない事情はよくわかるので、検討してもらいたい。

 最後の最後まで、チェは優秀なタフ・ネゴシエイターだった。経済や外交についても相当に勉強もしていたようだ。日本から帰国してすぐにチェは、カストロから農業改革機構工業部長と国立銀行総裁に任命され、農地改革と企業の国有化を進めている。さらにその翌年には工業相も兼任した。つまり革命後のチェは、どこからどう見ても優秀な政治家そのものなのだ。反体制やゲリラ的な雰囲気はまったくない。

 ベッドの横のサイドテーブルに置かれていた電話のベルが鳴った。しばらくためらってから、チェは静かな動作で受話器をとった。
「ゲバラさん。お早うございます。今日の予定です。9時に国会に初登院です。メディアからの取材もあると思います。服装はどうなさいますか。いつもの戦闘服でよろしいでしょうか。ベレー帽はいくつか用意したので、車の中で選んでください」
「君は誰だ」
 チェは唐突に言った。電話の相手はしばらく沈黙した。
「……中津川です」
「君と私はどのような関係だ」
 再び数秒沈黙してから、中津川は少しだけ低いトーンで言った。
「私はあなたの秘書です。失礼ですが、エルネスト・チェ・ゲバラさんですよね?」
「よくわからないのだ。おそらくそうだと思うが……」
「そのお声は私の知るゲバラさんそのものです」
「ここは日本だと思うが間違いないか」
「そのとおりです」
「私は日本で何をしている」
「あなたは、先日行われた国政選挙で衆院議員に当選したのです」
「……少し時間をくれないか」
「具合が悪いのですか」
「とにかく時間がほしい」
 そう言って受話器を戻しかけたチェは、思い直したように再び耳に当てた。
「これだけは教えてほしい。私たちはいま、日本語で会話していると思うのだが」
「そうですよ、もちろん」
「なぜ私は日本語をしゃべれるのだ」
「勉強したからでしょう。とても熱心でした」
「わかった。……グラシアス」
 受話器を置いてから、チェは窓の外に視線を送る。高層ビルが乱立している。かつて見た東京の光景とはかなり違う。でもビルの向こうに鬱蒼と木々が茂る広大な一角がある。あれなら見覚えがある。エンペラーが住む皇居だ。ならばやはりここは日本のようだ。
 トイレに入る。奇妙な便座だ。壁にはスイッチがたくさんついている。よく確かめないままにその一つを押せば、現れた妙な棒からお湯がいきなり噴き出した。
 不思議な国だ。とにかく着替えなくては。中津川と名乗る男にあってもう少し説明を聞きたいし、その前にシャワーも浴びたい。直前の記憶ではボリビアのジャングルで政府軍のレンジャー部隊と銃撃戦を行っていた。もう何日も身体を洗っていないはずだ。でも洗面台の鏡を見て気がついた。髭の先が整えられている。髪の長さも程良いし血色もいい。ならばやはり自分は、ボリビアのジャングルにいなかったのだろうか。ずっとこの国にいたのだろうか。
 熱いシャワーを頭から浴びながら、チェは静かに目を閉じる。

参考文献:『チェ・ゲバラ伝』三好徹(原書房)


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