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フェミニスト

文: 牧村朝子
牧村朝子
牧村朝子
まきむら・あさこ

タレント、文筆家。株式会社オフィス彩所属。2013年、フランスでの同性婚法制化を機に結婚。将来の夢は「幸せそうな女の子カップルに"レズビアンって何?"って言われること」で、性について考え、書き、話すことを続けている。著書にセクシュアリティ入門書「百合のリアル」。ツイッター@makimuuuuuu(まきむぅ)

「セルライトより、脳みそのほうがオンナっぽいでしょ?」

こちらは、フランスの有名女性誌『Causette(コゼット)』のキャッチコピーです。
さて、これっていったい、どういう意味だと思いますか?

私は最初、こう思いました。

「やっべえ意味わかんね」

ですが解説を読んで、なんだか胸が熱くなりました。この雑誌は女性読者に向けて、こんなメッセージをもって作られているものなんだそうです。

「あなたを女たらしめているものは、お尻や太ももにボコボコ浮かぶ脂肪の塊(セルライト)じゃないでしょ。むしろそういうところばっかり問題にされがちな、女と呼ばれるカラダをもって、したたかに生き抜こうとするあなたの脳みそこそが、あなたを女たらしめているんでしょ?」

参考:『Causette』 58号6ページ

『Causette』 58号
『Causette』 58号

いかがでしょうか。私は理解するのにちょっと脳みそ使ったけど、そのぶんじわじわうれしくなりました。

「女が、バカでいつづけなくていい。そんな時代が来つつあるんだ!」って。

だって、うんざりしてたんだもの、私。

「女は『すご~い☆』『知らなかった~☆』って言ってればいいんだよ」
「男は論理的、女は感情的だからね」
「変に高学歴だと男が引くよ」

とかなんとかマジで言っちゃってる人と、なんだかんだでそれを信じちゃってる自分に。

だから、そういう「女はバカなほうが可愛い論」みたいなやつを「ふーん」で済ませてアクセル踏める、せっかく使える自分の脳みそにブレーキかけなくていい、助手席じゃなくて運転席で自分の人生を走れる、そういう時代がやっと来つつあるのを感じるのはやっぱ、気持ちよかったです。

だって、飽きるし。「えーっ☆ すごーいっ☆」しか言ってない自分でいつづけるのなんて。

「セルライト撃退! 簡単エクササイズ」みたいなことしか言ってくれない女性誌を尻目に、「セルライトより、脳みそのほうがオンナっぽいでしょ?」と言ってくれる。そして、アイメイクを涙で溶かして泣くモデルを表紙にしたり(『Causette』7号)、「セクシズム・アンド・ザ・シティ」なんてタイトルの特集をやってくれる(『Babette』創刊号)。こういう種類の女性誌は、冒頭で紹介した『Causette(コゼット)』を代表に、フランスでひとつのジャンルをなしています。

イメイクが涙で溶けているモデルが表紙の『Causette』7号
アイメイクが涙で溶けているモデルが表紙の『Causette』7号
「セクシズム・アンド・ザ・シティ」という粋な(?)特集を組む『Babette』創刊号
「セクシズム・アンド・ザ・シティ」という粋な(?)特集を組む『Babette』創刊号

このジャンル、実は、こう呼ばれるものです。

「フェミニスト雑誌(Magazine féministe)」と。

どうでしょう。私はぶっちゃけ、びびりました。だってなんだか、売れる気がしないもの。「なんか基本的にキレてそう」とか「読んでるだけで非モテ扱いされそう」とか「白黒ページに漢字ばっかりの文章が続いてそう」みたいなイメージ持っちゃうもの。

そしてそういうイメージを持ってしまうのは、たぶん、私が1987年の日本に生まれたからだと思うんです。すなわち、少女マンガのキザな花輪君キャラが「ボクはフェミニストだからね(キラーン)」みたいなことを言い、テレビ番組では田嶋陽子氏が「これも女性差別ですかあ?(笑)」とおちょくられている、そういう時代に育ってきたからだと思うんです。

私にとって「フェミニスト」とは、ずいぶん長い間、こういう意味でした。

「女のためにいつも優しい男」の自称。「女であるがためにブチギレている女」の蔑称。

フェミニスト、っていう言葉に、良いイメージを私は持てなかったんです。オンナ、オンナって叫ぶからこそ、オンナが余計生きづらいのよって、正直ずっと思ってました。「悪いことは全部、男のせい」。そういうことにしちゃうのが、フェミニズムってものだと思っていました。

でも、28年女をやって、やっと私は気が付いたんです。

女である私が、そんなにもフェミニズムについて無知なまま女として生きられたことこそ、まさにフェミニストたちのおかげなんだ! って。

フェミニズムとはそもそも、「男女同権と性差別のない社会をめざし、女性の社会的・政治的・経済的地位の向上と性差別の払拭を主張する」思想です(『大辞林』第3版の定義による)。具体的に言えば、女である私が、行きたきゃ学校にも行ける、行きたきゃ投票にも行ける、行きたきゃ議会にも行ける、そういう自由を生まれた時から当たり前のものとして享受できる環境を作ってくれた人たちこそ、フェミニストたちだったってことよね。

だからこそ、私は生きたいんです。「女がバカでいつづけなくていい自由」を。

私は、女です。そして私はもう、「えーっ☆ わかんなーい☆」って言わなきゃいけないプレッシャーを感じていません。いや、正確に言えばまだ感じてはいます。だけど、それに従うことはせず、背中で聞き流して好きなように歩いてるんです。

知らないことはたくさんあります。ですが、知ろうとすることができます。本を読み、人と話し、自分の意見を持つことができます。「女は黙ってろ」とか「女にはわからない」とか「それは女の役割じゃない」とか「女はバカなほうがモテる」とか言われようが、人として、こう聞き返すことができます。

「何を根拠にそう思っていらっしゃるんですか?」

脳みそ、入ってんのよね。

使えばいいのよ、あるものは。人にはそれぞれカラダがあって、それを男だとか女だとか決められて生きている。だけどそういういわゆる性別ってもんにかかわらず、脳みそ、入ってんのよね。考えられるし、学べるのよね。

バカなフリして男を立ててこそいい女だ、みたいな思い込みは、私にとって損なだけじゃなく、人類にとっての損失だって気づいたんです。せっかくアクセル踏めるのに、なんでブレーキ踏んで合わせなきゃいけないのよ、って。前に行きたい男の人は、女を減速させることより自分が加速することを考えればいいじゃない? っていうかそもそも、男女どちらが前を走ってるかってことばかり気にしてるようじゃ、男も女もそうでない人も、自分の好きなところに走ってなんか行けないじゃない?

私、だいぶ生き心地がよくなりました。イメージだけで「フェミニスト? ダサい、恐そう」って思ってた昔より、勉強してフェミニストに感謝できる今の方が。自分のお尻のセルライトばかり気にする人生より、脳みそ使って生きたいものね。「女はバカな方が可愛い論」は放っておいて、私、勉強します。だって、知りたいんだもん。