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ママは帰って

文: クラークソン瑠璃
クラークソン瑠璃
クラークソン瑠璃

1982年生まれ。現代家族、女性学、ジェンダーなどのテーマを言葉と刺繍を用いて表現するアーティスト。本サイトの刺繍を含めた「悶悶WORDS」プロジェクトを中心に、ポストガーリーな小物のデザイン、雑誌・広告のビジュアル、コピーも手がける。2005年慶應義塾大学環境情報学部卒。東京、香港、アメリカ・ポートランドなどで展示多数。www.ruriclarkson.com

「帰って帰って! ママは帰って」

これは私が16時以降外出していると、幾度となくあらゆるシチュエーションで言われるセンテンス。発言者の脳内には「ママはこうあるべし」という像があって、「クラークソン瑠璃はママ→ママは家庭が一番→そういや、子供がいる人には気を遣って、帰りなよと言ってあげたら親切だよね」という思考プロセスがあるのかと思われる。

なんにしろ、悪気はなく、軽い親切心と社交辞令のミックスで「帰って」と言っているのでしょう。でも、こっちは、せっかく子供を人に任せて出てきて仕事なり社交なりをしているのに、他人に自分のタイムマネージメントスキルついて、とやかく言われているようでイラッとします。しかも「この場に私は必要とされていないのだ」と焦りも哀しみもわいてきます。私のハートにはこうしてモクモクと暗い雲がかかってきます。

まあ、大抵「帰って」と言われても、私は居座ります。でも飲み会の席で
「子供大丈夫? だれがみてんの? 寝かしつけとかあるんでしょ。帰っていいYO!」節が、まことしやかに誰かの口から流れると、本当に帰る時もあります。その人の頭の中に「ママはこうあるべし!」という確固たる像があって、私も「ママって外で酒飲んでちゃいけないんだっけ…私って悪いママ?」とか感化されてしまって、「じゃあ、もう遅いし」なんて言いながら帰ります。別に帰っても子供は寝ているからいてもいなくても同じなのですが。

その言葉、パパに言うか?

また、私が自発的に帰るときも、人はわざわざ私の行動を代弁しようとします。

「あ、ごめんねー、ひきとめちゃって! ママは大変だね。」「お子さん大丈夫?」「こんな遅くて旦那さんに悪かったね」「家庭があるからね。主婦はね。帰りなさい帰りなさい」
とか。これって、絶対に絶対に世のパパ達は言われないだろうな、めんどくさいな、と思いつつ、「女性差別だ!」とか言って怒るような内容でもありません。逆に、こういう風に気を遣ってもらうことで、仕事や付き合いがしやすい人も多いでしょう。しかし、人はなぜ「ママだからこういう行動をしている」と言いたがるのでしょう?

「家庭を大事にする日本人女性」に安心感を覚えるからでしょうか? ノスタルジックな。たぶんそうだと思います。白いエプロンで台所に立っているママ。でも、子供がいてもいなくても、私の周りの女性は自分の独立や生きる道を追求しようと頑張っている。

総じて「私」が帰るのは、複合的な理由からです。睡眠時間の確保とか、仕事が残っているとか、読みたい本があるとか、子供の晩ご飯とか。

「帰って」は、気遣いなのか

最近あるチャリティー活動の集まりで仲間の一人から、会った瞬間「帰って帰って〜!」をまたもや浴びせられました。私は亡霊のように部屋を出て、自宅にとぼとぼ一人、帰って膝に頭を埋めました。

でも私はかけました。その友人に電話を。きっと今頃ミーティングを終えて、みんなでピザを食べてるんだろうな。私が怒ったり傷ついたりしてこじらしている状態でかけたら、「なに言ってんの?」と思われるし、大人げないかな、とスマホのスクリーンを操作しながらも躊躇しました。でも「どうせわからないから」と思って、私は今まで、自分の思うところを仲間に説明してなかった。

プルルルル プルルルル

瑠璃 「あのね、私、帰んなくてよかったの」
友人 「え? ああ…そうなの???」
瑠璃 「ヨーコ、私と会うたびに、『帰って帰ってー!』って毎回言ってるの気がついてる? 私、自分でちゃんと時間の管理をしてるから出てこれてるんだよ。子供任せて。あと、会った瞬間に帰れって言われると哀しいよ!」
友人 「……。考えたことなかった。何も考えずに言ってた。」
瑠璃 「ごめんね、いきなり」
友人 「ううん。ごめんね。わかった。はじめて知った、そういう風に思うの。私は気を遣ってると思ってた。仕事のあとみんなで飲みに行くときも、ママの人には『帰って帰って』って言ってるわ」
瑠璃 「それ、パパの人に言う?」
友人 「言わないね、確かに」

「帰る」のは女でも男でもいい

昨今「女性の社会進出のためには?」といったディスカッションがメディアでも活発に行われていて、話題となっているのは喜ばしい発展だ。今後、政策や会社の制度の改訂において、人の意識の変革が伴わなくてはならないと思う。「女のみ、育児のために帰りやすい制度」では足りないからだ。「帰る」のは女でも男でもいいのである。

私も私で、「帰って帰って!」という気遣いに対して、悶悶と考えずに「ありがとう、でも今日は任せてきたから」と落ち着いて、傷つかず、怒らず、答えられるようになりたい。でも「女はこうあるべし」「ママはこうあるべし」という幻想が、言っている人の頭にちらついているのが見えるうちは、悶悶としたり、声を上げたりしていくのだろう。