TOP > 記事一覧 > ヒステリー

ヒステリー

文: 小川たまか
小川たまか
小川たまか

1980年生まれ。ライター、編集プロダクション・プレスラボ取締役。大学院在学中にライター活動を開始。2008年から現職。取材分野は働き方、教育、性暴力など。Twitterアカウントは@ogawatam

 

瞑想と座禅とモヤモヤと

年が明けて瞑想をするようになってから、モヤモヤすることが減りました。瞑想といっても本を読んだだけの独学なので正しいやり方ができているかイマイチ不明だが、とりあえず覚えたのは「棚上げ」のスキル。

座禅を組んで精神統一しようとしても、どこからか雑念が湧いてきてしまいますよね。真面目な人ほど、「ダメだダメだ、雑念を封じたい!」と思うものだけど、そうして無理に押し込めないようにすることがコツ。考えちゃダメと思うほど考えてしまうから。「ああ、雑念が湧いとるな」と見守り、「まあ、それは後で考えよう」と棚上げする。

思えば数年前に京都で座禅を組んだときのお坊さんも言っていた。「座禅している間に足がしびれてきたなと思ったら、そのしびれを無理にごまかそうとするのではなく、『しびれとるな、はいはい』と見つめてください」と。ポイントは「はいはい」。そのぐらいの気軽さで棚上げして見送る。「ほいほい」でもいいかも。

こんな調子で、日常でモヤモヤしたことがあっても「モヤモヤしとるな、はいはい」と見送る。そうしたらモヤモヤすることが激減。これはいい、今年はこの調子で行こうと思っていたところ、新年早々「モヤモヤすることを書いてください」という依頼が来た。小学館様から。そうか、ライターとか文章を書いたり表現したりする人は、定期的に自分の中のモヤモヤと向き合わねばならないのかもしれない。面倒くさいけども。できればモヤモヤせずに生きたいのだけれど。

「女のヒステリー(笑)」という文脈

モヤモヤする言葉といえば、ヒステリー。とはいえ言葉に罪はない。この言葉の使われ方にモヤモヤする。なぜか、(笑)をつけるようなニュアンスで使われることが多くないですか? 「女のヒステリー(笑)」みたいな。

もう5年以上前、こんなことがあった。今でもしょっちゅう言い合いになる共同経営者の男性と、軽い口げんかをしていたときのこと。どちらも不機嫌な口調で言葉を交わし合っていたのだが、その場に居合わせて聞いていた若い女性が私に背を向け、男性経営者の方に向かって言ったのだ。「まあまあ、女のヒステリーはまず受け流さないとダメですよ」。そして急に喋り出した。「私の妹の夫は、女のヒステリーに慣れてるから扱い方がうまくて~」とかなんとか。

なんでこの人は、お互いに不機嫌な口調で言い合っている私と彼を見て私だけを「ヒステリー」と言うの? 百歩譲って私の方が感情的に見えたとして、それを本人の目の前で「ヒステリー」と言うことに何の疑問も感じなかったの? それで私が「だよね! 女はヒステリーな生き物だから男は受け流さないとダメだよね!」と言うとでも思ったのかーい!

「女=ヒステリー」というレッテル貼り

ヒステリーという言葉は、ときに怒りや憤りや主張を無効化してしまう。不思議なのは感情的にわめき散らす男性なんていくらでもいるのに、女性が怒るとすぐさま「感情的」「ヒステリー」と言われ、取るに足りないものにされてしまうこと。ハイディ・ハワード実験(全く同じビジネス成功ストーリーでも、主人公が男性名「ハワード」である場合と、女性名「ハイディ」である場合とでは、男性名の方が好ましいと見なされた実験。詳しくは『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』シェリル・サンドバーグ・日本経済新聞出版社)じゃないけれど、いくら怒っても、感情的にわめき散らしても「ヒステリー」と言われることのない男性が本当に羨ましい。

私は昨年から性暴力関連の取材をしてたびたび記事を書いているが、ごくまれに「お前みたいな女にはわからないだろうが、男は性欲を止められない生き物なんだよ!」というような感情的な絡まれ方をする。「男は性欲を止められない」とは、なんと主語が大きいことか。「俺は」でいいのにね。そこまで言うなら「男は理性で性欲を止められない」と言う男性と、「女は感情的、男は理性的」と主張する男性とでひとまず議論してほしいのですが。

もちろん、こんなことを言う男性はごく一部の人。でもこうやって強い言葉で「お前は男性差別主義者だ!」とかレッテルを貼りつけられると本当に男性全部をまるっと嫌いになりそうな瞬間があり、2015年はちょっと困ったのだ。そんなときは夫に「夫、大好きやで~」と言うことで自分を取り戻し、カピバラ似の夫は淡々と「人にレッテル貼りをするのはレイプと同じなんだ」と言った。決めつけることで発言を無効化させ、議論をストップさせ、勝ち誇る。その暴力性。

怒るのはみっともないこと? 我慢すべきこと?

ちょっと話がずれました。私はヒステリーと言われることが全く好きじゃない。なぜこんなにヒステリーとか感情的とか言われることを恐れるかといえば、それは「怒ってはいけない」という教育を受けてきたからだろう。怒るのはみっともないこと。そう思って生きてきた。「女はすぐ怒る」や「女はすぐ泣く」という言葉もよく聞いたから、そうはなるまいと。

しかし昨年生まれて初めて心理カウンセリングというものを受け、私の「こうこう、こういうことで怒ってしまう私はおかしいんでしょうか」という話を聞いた男性のカウンセラーは言った。「それは正当な怒りですよ」と。

世の中には正当な怒りというものが存在するのですか。そんなの初めて知ったような気がする。カウンセラーの方だからカウンセリングする相手に甘くしてくれるのかなとも思ったが、それでも楽になった。そして怒ってもいいことを知ってから、私は前よりも怒らなくなった。怒りを、「怒っておるな、はいはい」と見つめて見送ることができるようになったのだ。少しだけ。

怒りは抑えつけることでは消えない。「ヒステリー(笑)」と受け流しても消えない。「怒っても、いいんやで~」と自分で知って初めて消えることがある。そうしたらもうずいぶん楽だ。できればモヤモヤせずに生きたいけれど、ときどきモヤモヤしても、「そりゃモヤモヤするよね」と受け入れたい。そうすれば、自分が言いたいことを言うとき、躊躇しないでいられる。強い主張を楽しそうに口にすることができると思うのだ。