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権利主張

文: 中野円佳
中野円佳
中野円佳

1984年東京生まれ。女性活用ジャーナリスト/研究者。東京大学教育学部卒業後、日本経済新聞社に入社し、金融機関を中心とする大企業の財務や経営、厚生労働政策などを担当する。現在は、株式会社チェンジウェーブで企業のダイバーシティ推進サポートに携わる。著書に『「育休世代」のジレンマ』(光文社)がある。

 

権利主張という言葉で思考停止してないか

「なぜ女は権利主張ばかりするのかね」

子供を産み育てながら働いていて、たびたびぶつかるのがこのようなセリフである。

たとえば、私自身が以前、女性を中心に「キャリア展望が描けないから」という理由で若手が離職してしまうことを解決できないかと、職場にちょっとした提案をしたときのこと。離職者へのヒアリング結果などから、多様な働き方をしている社員がいることを知らずに「キャリア展望が描けない」と思いこんでいる若手が多いのではないかと考えた。

そこで、内定者や新入社員向けの研修で登壇する先輩社員の中に最低1人はワーキングマザーを入れてはどうか、という提案をした。これは自分自身やワーキングマザーのためというよりは、むしろ企業や後に続く後輩たちにとって離職を減らし、利益をもたらすための提案のはずだった。

ところが、中身も見ずにこう言った人がいた。「なぜ女は権利主張ばかりするのかね」と。女の「義務」は増えこそすれ、研修の登壇者に加えてはどうかという提案の一体どこが権利主張なのだろうか。

また同じように働くワーキングマザーたちに、なぜ思っていることや要望を上司などにうまく伝えられていないのかを尋ねると、これまた頻繁に聞くセリフがこれだった。

「権利主張と思われたくない」

どうしてこれほどまでに「権利主張」は忌み嫌われているのだろうか。

権利とは主張しなくても行使できるべき

モヤモヤするのは、まず「権利」は行使できてしかるべきものであるはずが、そもそも声を大きくあげて「主張」しないと多くの権利が使えない状況にあるということ。

たとえば有給休暇や育児中社員の深夜業務免除などは、もともと個人が請求してはじめて企業側に取らせる義務が発生する枠組みで、そもそも請求をする必要がある。それを「権利主張」と表現しないといけない背景には、「使いたい」と大声を上げないと実現できないような風土が透けて見える。

「なぜ女は権利主張ばかりするのかね」で「女」をひとくくりにするのも違和感があるが、ここではむしろ、なぜ他の人たちが権利行使しないのかと問う必要がある。欧州などでは男性が育休を取ると有休を取れる日数が増えるという政策を導入し、男性の育休取得比率が向上しているが、日本では同制度がほぼインセンティブとして機能しない。

権利を殊更主張しなくても会社が社員に終身雇用と家族の扶養や福利厚生まで提供していた時代の名残だろうか。今は残念ながら、そういった暗黙の了解は崩れつつある。にもかかわらず、日本はいわゆるシチズンシップ教育や労働法教育が弱く、権利意識が醸成されていない。そのこと自体が社会の1つの課題なのではないか。

権利は貢献度合いで付与されるものなのか

また、私もかつて「権利主張」という言葉の中に「義務を果たさず権利だけを主張する」というニュアンスを感じ、悪い意味でとらえていたことがあった。でも、多くの場合、中身を見れば、この言葉が投げられる対象者は少なくとも最低限の義務は果たしていると思う。

労働法の専門家によると、本当に本来やるべき業務をしていないのであれば、「それは雇用契約違反」だそうだ。雇用契約の範囲内ではそれなりには仕事をしているにもかかわらず、「義務を果たさず権利だけを主張する人がいる」と言われるとき、そこで言う「義務」には「結構高い貢献」「ちゃんとした成果」までが含まれているように思う。

権利は「それなりに」働いていれば当然行使できるものであって、貢献度の大きさによって付与されるものではない。契約違反の社員を放置している職場があるのなら、それはむしろマネジメントや会社の問題なのではないのか。

もちろん、私も日本の職場のあいまいな関係性とあいまいな仕事の割り振りの中で、仕事の仕方や権利行使の程度にばらつきがあれば不公平感が出てしまうのはよくわかる。でも、ここでさらに突っ込みたいのは、そんな中、実際には「高い貢献、成果をだしている人ほど結局権利を行使しない」カルチャーもあるのではないかということだ。

つまり、権利主張する前に会社に貢献せよ、と言いつつ、会社に尽くすことで評価されるメンバーシップ型の日本型雇用において、貢献しているような社員に対しては実態的には権利主張しないということが規範化されていないかということだ。

これでは結局、誰も権利を行使できない。導入しておいて使った人を非難するような仕組みは制度として設計時点から失敗している。ものによってはそんなことならはじめから制度をいれなければいいとさえ思う。

異質な意見を排除していないか

最後に、非常に気になるのは、「権利主張」をネガティブワードにすることによって、周りと違う意見を言う人を排除していないかということだ。冒頭の私の提案のケースも含め、子育て中の女性が「権利主張」と言われるとき、その発言の中身は、おそらく従来型の「標準型」社員、つまり新卒採用から生え抜きの男性正社員で専業主婦の妻がいるYESマンが、そもそも疑問に思ったり改善したいと思ったりしないようなことを指していることが多いと思う。

「子育て中の女性」という立場でなくては気付かなかった視点は、本来貴重だと思うのだが、その中身を精査せずに頭ごなしに「権利主張するな」と否定して、多様な意見に蓋をしていないか。そうやって出てくる声を封じていると、まわりまわって職場はモノを言えない雰囲気となり、優秀な人ほど黙って退出していき、企業はリスクに太刀打ちできなくなる。

今企業に「ダイバーシティ」が必要なのは、イノベーションやリスク管理上、多様な視点が競争優位性につながるからだ。多様な意見を封じていると、不祥事が起こったり、経営が立ち行かなくなったりする。それで結果的に外資系に買収されたり吸収合併されたりすれば、様々なダイバーシティを受け入れざるを得なくなる。たぶん外国人は子育て女性よりもずっと、正当なものとして「権利主張」をする。

「権利主張」という言葉でお互いに思考停止するのはもうやめよう。もっと言いたいことを言いやすく、「異なる意見」が正当に受け止められる社会になってほしいと切に願う。