60歳なら午後5時? あなたは「人生時間」の何時を生きているのか

 

 

子どもたちの夏休みも始まり、若者とシニア層がふれあう機会が増えるシーズンになった。

年代が違うという理由でお互いを理解する努力を怠ったがために、仲違いしてしまうことや、新しい知識を得る機会を失うこともあるはずだ。

シニア層にあるのは、「長く生きている」ということだけから来る小さなプライド、そして「もうそれほどできることもない」という諦め。それらがどれだけ人生をつまらないものにしているかも考えずに・・・・。

ちなみに、人の一生を24時間と考えたら、あなたはいま何時ごろを生きているのだろうか。

仮に84歳まで生きるとすると、35歳なら午前10時。昼までに終わらせておきたい仕事で、いちばん忙しい時間だろうか。60歳なら午後5時を回ったところ。定時が過ぎて、残業する人もいれば、ここからは趣味の時間と切り替える人もいるだろう。

『シニアの品格』(小屋一雄著・小学館)の主人公・東条は、順風満帆の会社員生活を送っていたが、アメリカ支社長時代に現地社員の不祥事で降格。59歳にして、「シニア人材」予備軍として扱われ、屈辱の日々を送る。

誰のために働くのか。そこに何の意味があるのか。

会社員なら誰もが一度は抱く問いかけに、東条は縛られる。頭では割り切ろうと思っても、プライドの引っ込みがつかず、怒りばかりが利息のように増えていく。

近年、社会問題になりつつある「キレる老人」も、こうやって出来上がっていくのかもしれない。

家庭もかえりみずに働いてきたつもりなのに、シニアになった途端、誰も自分を持ち上げてくれない。妻には妻の世界ができていて、そこには入れてもらえない。会社の同僚や部下以外と付き合ってこなかったので、退職したら友人もいない。

その怒りが、コンビニの店員や駅員や銀行の受付嬢に向かう。「オレをもっと大事に扱え」と、通り魔的なマウント行動に出る。理不尽な、通り魔ウンティングだ。

 

しかし、考えてみてほしい。70歳でも、まだ午後8時。映画だって、スポーツだって、なんならデートだって楽しめる時間なのだ。

昼には昼の。夜には夜の楽しみ方がある。

それでは、キレるしか能のない老人と、品格あるシニアは、どこで道が分かれるのだろうか。

 

本書は、シニア予備軍の東条と、不思議な老人・奥野の対話形式で進む。

「聞いてもらうだけで人生が変わることはある」

「走れなくなったら価値がなくなるのではなく、自分の限界を受け入れる勇気にも大変な価値がある」

「迷ったら、常に『これまでは何であったか、これからは何であり得るのか』を考えろ」

この本は、気づきと名言に満ちている。

主人公・東条は、自分なりの結論を出す。「シニアの品格とは知性である」と。「自分を受け入れ、自分の役割を知り、他者になりきって気持ちを考え、成長すること」が大切なのだと。

もちろん、それは立派な結論だ。

しかし、奥野老人は、決して正解を出さない。自分で考え、自分にとっての正解であれば、それでいいと言う。

 

老いは、誰にとっても他人事ではない。

「自分にとって、シニアの品格とは何だろう」と、立ち止まって考えるのは、決して無駄にはならないはずだ。

あなたが思っているよりも、シニアの時間はずっと長いのだから。

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