ビジネスの本質は“うまくいかないこと”――『九十歳まで働く!』著者・郡山史郎が語る仕事観と高齢者の働き方(前編)

 
近年、潜在的労働力として高齢者のビジネス参画が叫ばれている。ソニーの元常務で、現在は人材紹介会社「CEAFOM(シーフォーム)」社長を務める郡山史郎は、その方向性に同調しつつも課題を感じている1人だ。著書『九十歳まで働く! こうすれば実現できる!』(WAC)を上梓したばかりの郡山に、ソニー時代に学んだビジネスの考え方、そして現実的な高齢者が行えるビジネスとは何かを聞いた。

 

「英語でタンカをきれる日本人求む」――いわゆる“三種の神器”が普及するきっかけとなった岩戸景気(1958~1961年)に湧くさなか、『朝日新聞』にこんな求人広告が掲載された。広告主は、ソニー。東証一部に株式上場を果たした直後とはいえ、まだまだ町工場の面影が残る企業だった。

 

 同社がウェブ上で公開している社史「Sony History」には、この経緯が次のように記されている。

 

《1958年に「東京通信工業」から「ソニー」へと社名を変え、世界のブランドとして羽ばたくべく、まさに本格的な海外展開を推し進めようとしていた。トランジスタラジオとテープレコーダーの海外販売体制強化が急務である。「すぐにでも英語を使いこなして、実務のできる人材が欲しい」。新入社員を、落ちついてのんびりと教育している余裕はないというわけだ》

 

 つまり海外営業の経験がある商社員などをターゲットにした中途採用で、同じ社史には続けて「第1期生に卯木肇(註・後にアイワ社長などを歴任)、郡山史郎たちが……」と、採用された者が実名で挙げられている。

 

 郡山史郎は当時、24歳。大学卒業後、得意な語学を活かせる職場を求めて伊藤忠商事に入社したものの、希望した貿易業務には就けず悶々とした日々を過ごしていた。そんな中で、過激なキャッチコピーを目にした郡山は、すぐさまソニーの求人に応募する。

 

「その頃のソニーの社屋は、木造の建物でねえ。採用が決まった後、伊藤忠の上司に辞意を伝えたら『そんな会社は3カ月で潰れるぞ!』と、ものすごく怒られました。同僚にも心配されましたしね」

 

 そう述べた上で、現在82歳になる郡山は「僕の人生は運が良かったんです。努力して出世したと思われているとしたら、全然違いますよ」と笑う。草創期のソニーに入社できたことも運であり、さらに社内外でさまざまな人にも出会えたことも運だというのだ。

 

 たとえば、郡山が社長を務めるCEAFOMの共同創業者・平松庚三(元ライブドアホールディングス社長)とはソニーで出会ったし、社外では辻晴雄(シャープ第3代社長)や澤田秀雄(エイチ・アイ・エス創業者)といった名だたる経営者とも知己を得た。

 

 そして何より郡山の人生に最も大きな影響を与えたのが、井深大、盛田昭夫という歴史に名を残す創業者から直接、薫陶を受けたことだ。もし20年、いや10年でも遅く郡山が生まれてきたとしたら、規模拡大期のソニーに入社してもこの2人と直接話を交わす機会は少なかったかもしれない。「運が良かった」という言葉には謙遜の意も込められていると感じるが、自身を顧みて率直に出た言葉なのだろう。

 

不調に悩む社員に投げかけた、盛田昭夫の言葉

 

 では、井深、盛田の2人から、郡山はどんな指導を受けたのか?

 

 先ほど、ソニーを「3カ月で潰れる」と“予言”した郡山の元上司の話があった。それは外れたとはいえ、近年のソニーが苦戦を強いられたのも事実だ。2016年4月~2017年3月期決算でようやく業績改善の兆しが見られ、今年度(2018年3月期)の決算で長年の目標だった「営業利益5000億円」を達成できそうな見通しだと、報じられている。

 

 だが、郡山に言わせれば「浮き沈みするのは当たり前」だという。それを教えてくれたのは、ほかならぬ盛田昭夫だった。

 

「僕がソニーに在籍していたときだって、何度も危機はあったんです。大きなところでいえば1つはソニービルを建設したときで、町工場がいきなり銀座の一等地にショールームをつくったものだから、資金繰りに窮してしまった。もう1つはご存じの方も多いと思いますが『VHS対ベータマックス』のビデオ規格戦争です。そんなときに、盛田さんに『うまくいきません』と説明しに行くとね……」

 

 盛田は「当たり前じゃないか」と、いつも語っていたという。以下、郡山が盛田からの教えとして聞いた言葉をそのまま記す。

 

「ビジネスというのは大概うまくいかないんだ。何かの拍子で、たまにうまくいくものなんです。あんたたちは『うまくいかない』としょげているけど、ビジネスをやっているんだろう? それがビジネスの本質なんだよ」

 

 井深大からの教えも書かねばなるまい。それは「選択肢に迫られたときは、必ず難しい方を採れ」というものだった。

 

(後編に続く。文中敬称略)

郡山史郎(こおりやましろう)・実業家。一橋大学経済学部卒業後、伊藤忠商事を経て、1959年にソニー入社。1973年、米コングロマリットのシンガーに転職した後、1981年にソニーに復職。1990年、同社常務取締役。退任後はソニー子会社社長、クリーク・アンド・リバー社監査役などを経て、2004年にCEAFOM設立。82歳を迎えた2017年、『九十歳まで働く! こうすれば実現できる!』(WAC。写真)を上梓した。