谷原章介さんも絶賛! 主人公の熱い思いが胸に残る、実在の人物を描く傑作小説!

【担当編集者の新刊おすすめ情報】

 
 植松三十里さんは、江戸時代から昭和の近現代までを舞台に多くの小説を上梓されている時代小説作家です。この度刊行した『千の命』は、江戸時代に活躍した賀川玄悦という実在の人物の生涯を描いた長編小説です。
 
 元禄13(1700)年、近江に生まれた賀川玄悦は、他の兄弟と違って母に厳しくされ、自分が実の子ではないと感じていました。下働きの八重が突然にいなくなり、玄悦は八重が母であることを知らされます。訪ねていくと、八重はお腹の子が出てこられずに亡くなってしまいました。八重の死を契機に医者を志したものの許されず、玄悦は独力で鍼や按摩の技術を取得し京都に出ていきます。その後、同じ長屋の女性がお産で苦しんでいるのを聞き、自らの技術で女性の命を救うのです。
 
 玄悦の技術は評判となり、自ら「回生術」と名づけ、多くの女性の命を助けることになります。そして、山脇東洋を始めとする一流の医者からも認められることになったのです。
 
 近代産科の祖とも言われる賀川玄悦。杉田玄白や前野良沢らが『解体新書』を出版するのが、安永3(1774)年です。その少し前になる明和8(1771)年に、山脇東洋の次男、東門が日本で初めての人体の解剖を行いますが、同じ年に杉田玄白たちが江戸で囚人の解剖を見学しています。玄悦は、明和2(1765)年に自らの産科術の本『産論』を刊行します。
 
 杉田玄白らが『解体新書』で触れたイギリスの産科書は、ウィリアム・スメリーの著書でした。スメリーは、ヨーロッパで初めて胎児の正常位置を発見し、『産論』の11年前に自らの産科書に図示していました。しかし、玄悦は『産論』刊行のはるか以前から、胎児の正常位置を正確に把握していました。玄悦の発見は、日本が誇るべき業績なのです。
 
 玄悦の死後ですが、文政6(1823)年に来日したシーボルトが、日本に優れた産科術があることを知り、『日本産科問答』という論文を、インドネシアのバタビアで発表します。『日本産科問答』はドイツ語とフランス語に翻訳され、玄悦の名はヨーロッパに伝えられました。
 
 さて、『千の命』は玄悦と周りの登場人物との人間ドラマに感動させられる作品です。
妻のお信や、玄悦が後に心を寄せるようになるお糸、3人の子供との関わりに悩みながらも、女性と赤子の命を救うために全力で生きた男。
 
 俳優の谷原章介さんも、「お産は女性にとって命がけ。それを助けた賀川玄悦、僕は尊敬します」と絶賛のお薦めコメントを寄せて下さいました。
 
 「千の命があれば、千の生きていく意味がある。みんな、その意味を探して、精いっぱい生きなあかん。誰でも、おかあちゃんが命かけて産んでくれはったんやから、大事に生きなあかん」(本書より)という作者の思いを、是非お読み下さい。

 

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