そのシキタリ、理解できません! 戦後初の外国人落語家、異文化修業に奮闘す!!

 
【担当編集者の新刊おすすめ情報】
 

 
 まだ外国人が珍しかった明治・大正期に、落語家として活躍したイギリス人がいたのをご存知だろうか。快楽亭ブラック、本名をヘンリー・ジェイムズ・ブラックという。ブラックは1858年、当時まだ英国領だったオーストラリアのアデレードに生まれる。幕末の慶応元年(1865)に来日、父親は横浜居留地の英字新聞『ジャパン・ヘラルド』の記者をしていた。日本の水に馴染んだのか、ブラックは日本で生きていくことを決意。明治17年(1884)、三遊亭圓朝や3代目三遊亭圓生らの三遊派に入り、日本初の外国人落語家として頭角を現していく。べらんめえ調の日本語を自在にあやつる青い目の落語家に、新しもの好きの江戸っ子たちは喝采を送ったに違いない。
 
 ちなみに、当時欧州ではレコード技術が開発され、明治36年に英国グラモフォン社の録音技師が日本に「出張録音」にやってきた。ブラックは初代三遊亭圓右など知り合いの芸人を誘って録音、これが日本最初のレコード録音といわれ、明治の名人の肉声を残す貴重な資料となった。
 
 快楽亭ブラックは大正12年(1923)に64歳でなくなるが、その後長い間、外国人落語家は現れなかった。
 
 そして、日本で二人目であり戦後初、さらに上方落語界初の外国人落語家として現在活躍しているのが、『空気の読み方、教えてください カナダ人落語家修業記』(小学館よしもと新書)の著者、桂三輝(かつら・さんしゃいん)だ。
 
 三輝(本名グレッグ・ロービック)は1970年、カナダのトロント生まれ。劇作家として活躍していたが、歌舞伎や能の勉強のために来日。日本で初めて聴いた落語に魅了されて落語家になることを決意し、大御所・桂三枝(現・六代桂文枝)に土下座して弟子入り志願する。快楽亭ブラックは7歳で来日したため、逆に言えば日本語も日本の習慣も体得しやすかったのではないだろうか。しかし、三輝の来日は29歳の時だ。日本語を習得するのも時間がかかり、体にしみ込んだ欧米風の考え方と日本の習慣とのギャップから、落語修業は大変だったという。
 
 例えば、「Thank you」はアメリカ大統領にも言える感謝の言葉なのに、日本で師匠に「サンキュー」というと失礼にあたる。そして弟子は目立ってはいけない……。そんな異文化修業のエピソードが本書にはふんだんに盛り込まれ、笑いと涙の奮闘記になっている。
 
 著者は本の中で日本や日本文化の魅力を数多く綴っているが、何より、落語という古典芸能の世界で異文化格闘してきた外国人だからこそ知りえた「日本人のこころ」を教えてくれる一冊である。
 

 

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