100歳の医師が生きてきた激動の戦前、戦後

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 『そっと無理して、生きてみる』(小学館)の著者、高橋幸枝さんは現在100歳。生まれは1916(大正5)年です。100年前と言われても、ピンと来ない方が多いと思います。どんな時代を生きてこられたのか、ほんの少しですが、ご紹介したいと思います。
 
 1916年はまだ、第一次世界大戦の最中です。高橋さんはこの年に新潟県で生まれますが、当たり前ですが、この戦争の記憶はないそうです。
 
 もう少し、後の時代から始めます。高橋さんは女学校を出ると、東京の海軍省にタイピストとして就職します。
 
 「海軍省」といってもイメージが沸かない方が多いでしょう。高橋さんのお話によると、軍服を着た人はほとんどおらず、他の官庁と同じような雰囲気だったそうです。「普通のお役所だと思ってください」とのこと。いわゆる「制服組」の官庁だったのでしょう。
 
 このころ、二・二六事件(1936⦅昭和11⦆年)が起きています。二・二六事件は陸軍の一部将校と民間人が起こしたもので、海軍の軍人は加わっていません。だからでしょうか、高橋さんは、この日も普通に東京・虎の門にあった海軍省に出勤しましたが、そんな大きな事件が起こったことなど、まったく気がつかなかったそうです。
 
 知ったのは、帰宅後か翌朝のラジオのニュースによってではなかったか、とのこと。二・二六事件といえば、軍部の独走を政治が止められなくなっていく大きな節目のような事件ですが、起こった当初は、東京に勤めている人でさえ気づかないような出来事だったのかもしれません。
 
 このあとしばらくして、高橋さんは中国・青島にあった海軍省の出先機関に移ります。まだ20代前半の頃のことです。「東京から青島に移るのは勇気がいりましたか?」と高橋さんに尋ねたことがあります。高橋さんは、「このころは、日本全体が『狭い日本を出て、大陸に渡ろう、満州に行こう』という風潮がありました。青島は満州ではありませんが、似たようなものですよ」と、おっしゃっていました。
 
 「大陸でひと旗あげたい」という男性や、農家の次男坊・三男坊が満州などに渡ったことは知識としては知っていましたが、高橋さんのようなOLにも、そんな気持ちがあったのかもしれません。
 
 ちなみに青島は、以前はドイツの租借地でした。高橋さんによると、「街並みがヨーロッパみたいでした。日本にはそのころパン屋さんなんてなかったけど、青島にはあって、そのパンの美味しかったこと」といった感じだったようです。
 
 その後、高橋さんは、日本人牧師に感化され北京でのボランティア活動に身を投じ、そのボランティア団体に医師が必要であることから、日本に戻って医学の専門学校に進みます。
 
 この日本人牧師、清水安三さんは北京で救護施設をつくり、中国や韓国の貧しい子供たちの面倒を見ていました。日本の戦争責任問題は今も議論されていますが、こういう篤志家がいたことも忘れないようにしたいものです(尚、清水さんは日本の敗戦により帰国し、後に桜美林学園を設立しています)。
 
 高橋さんはその後開業医の道に進み、いろいろと苦労もありましたが、果敢に道を切りひらいていきます。
そのあたりのことは『そっと無理して、生きてみる』をお読みいただければ幸いです。激動の時代を明るく目向きに生きてきた高橋さんの言葉に、きっと励まされることと思います。

 

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