仕事とは人生そのもの――『死ぬほど読書』著者・丹羽宇一郎インタビュー

 
「読書はしないといけないの?」――今年3月、『朝日新聞』にこんな見出しの大学生からの投書が掲載された。これに危機感を覚えた伊藤忠商事前会長、元駐中国大使の丹羽宇一郎は『死ぬほど読書』を上梓。本との付き合い方はもちろん、読書によって培われた思考、そして人としての生き方にも言及している。今回、インタビューに応じた丹羽は、同書で著しきれなかった人生観を語った。
 
 

 
 
 棚から読みたい本を抜き、汚さないように注意しながら読んだ後、また棚に戻す。実家が書店を営んでいた丹羽宇一郎は、そのようにして幼少期から読書に親しんだ。童話と漫画に始まり、国内外の文学作品やマックス・ウェーバーなどの学術書、果ては“成人向けの本”に至るまで、ジャンルを問わず、好奇心にかられ読みふける日々を送った。
 
 後に伊藤忠商事の社長・会長、そして駐中国大使を務めた丹羽だが、読書はもちろんのこと、両親からの教えもまた成長の糧になったという。
 
「そんなに立派な親じゃなかった(笑)。普通の親です。ただ、今となっても尊敬できるのは、嘘をついたら徹底的に怒られたこと。『仏様は見てござる。お前が悪いことをやって隠しても、仏様はどこからでも見ている』ということを、両親も、爺ちゃん婆ちゃんも言う。一度、嘘をついたときに、親父から本気でぶん殴られたこともあった」
 
 幼い者にとっての大人といえば、自分の両親と祖父母くらいのものだ。だから丹羽は「嘘をつかない人間にならないと大人になれない」と考えていたと話す。
 
 しかし、大学生、社会人と成長するにつれて、疑問を感じたこともあった。周りに平気で嘘をつく人間がいれば、隠れて悪さをする人間もいる。どちらが本当に成長した大人といえるのだろうか、との迷いが生じた。
 
「それでも、やっぱり自分が受けた教育が正しいと思えたのは、組織の中で一度だけついた嘘で嫌な思いをしたからです。船会社への精算が滞っていて、上司からそれが終わっているかと聞かれたら、つい『終わっています』と答えてしまった。そうこうするうちに、請求先の中の1社が倒産しそうだ、という噂が聞こえてきて……」
 
 暗澹とした気分になった、と丹羽は神妙な面持ちで語る。結果的に、その会社は他社に吸収合併され債権は回収することはできたが、後ろめたい思いはもうしたくない、との思いが丹羽を正道から足を踏み外さない心持ちをつくった。
 
 
「動物の血」と「神々の血」
 
 
 なぜ人は、このように嘘をつくのか?
 
 それを説明するとき、丹羽は「動物の血」という言葉を使う。動物は食料を略奪してでも生存を図ろうとする。人間も所詮は動物の一種であり、金銭欲や出世欲が過剰になると本能的な動物の血が騒ぎ出す。また、不始末が露見すればやはり生き残ることができないから、こうしたときに嘘をついたり隠したりする、というわけだ。
 
「歴史を見れば、動物の血が騒いだ人間の醜い姿がいくらでも目の当たりにできます。たとえば戦時中の日本は、ミッドウェー、ガダルカナル、マリアナ沖、インパール……と無謀な作戦を繰り返しました。特にインパール作戦は、将官クラスの者でさえ、補給困難なため作戦の継続が不可能と訴えていた。一方で、開戦前から『マリアナ沖海戦で負ければ日本は確実に負ける』という研究報告書も出されていました」
 
 そのとき、嘘をついたのが指導者だったと、丹羽は熱く語る。
 
「明らかにまずい状況であるのに、1944年、天皇に対して『大したことありません』『戦闘継続』と報告した人間がいるはずです。それが誰かといえば、対米英開戦の最高責任者東条英機と言われています。東条さんも良いところがあったという人はいるけど、たとえそれが正しくても、決定的な間違いを犯したことは否定できません。」
 
 では、動物の血がたぎらないようにするには、どうすれば良いのか?
 
「今回出した本(『死ぬほど読書』)の中では、わかりやすく『理性の血』と書きましたが、私は普段、動物の血の対極にあるものを『神々の血』と呼んでいます。人間は神様にはなれないし、そもそも神に血が流れているのかもわからない。言い方はともかくとしても、野性的な動物の血が騒ぐのは抑制しなければならない。動物の血の反対にある神々の血に近づくためには、冷静になることが必要なのです」
 
 そして、冷静な心づくりには読書が不可欠との思いから上梓したのが、『死ぬほど読書』である。
 
 
 「丹羽大使・深夜呼び出し騒動」の真相
 
 
 昨年、喜寿(77歳)を迎えた丹羽は、現役世代に劣らない精力的な活動を続けている。先に挙げた『死ぬほど読書』の発売直後にも、『戦争の大問題』(東洋経済新報社)を上梓。また、日本中国友好協会会長、グローバルビジネス学会会長を務め、講演を依頼されれば各地に赴く。
 
 遡って、2010年には伊藤忠商事取締役相談役を退き、在北京大使館特命全権大使の任命を受けた。民間出身の者が駐中国大使のポストに収まったのは、史上初のことである。
 
 そんな大使時代は、自身の行動、言動が「中国寄り」だとの批判も受けた。たとえば、就任直後の2010年9月、尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船と中国漁船が衝突。中国政府は日本へ抗議すべく、深夜0時に丹羽を呼び出した。このとき、丹羽の体調を気遣う声があった一方で、なぜ中国の呼び出しに応ずるのかとの叱責も強かった。
 
「あのときは、私の前にアメリカ大使、後に韓国大使が呼び出されているんです。その3国が呼び出されているときに、私だけが『ふざけるな』と怒って呼び出しに応じなかったら、どうだろうか? もし、中国が呼び出した理由が日米韓に対する重大事項の通告だったら? きっと、なぜ日本の大使は行かなかったのか、という批判が起きたでしょう……そこまで考えていない安易な批判を聞いて、はらわたが煮えくり返る思いをしましたが、でも黙っていました。上司(外務大臣など)に迷惑がかかるし、国のためにと引き受けた仕事ですから」
 
 国のために、という言葉からは丹羽の仕事観が垣間見える。公職である大使は、さまざまな制約が課され決して自由には動けない上に、報酬も一般企業の役員と比べれば多額とはいえない。
 
 それでも大使になったのは、「社会に恩返しがしたかったから」との思いがあったからだ。
 
「私という人間は、社会に育てていただいた。その恩を社会に還元しなければならない。伊藤忠の相談役としてもそれはできたけれども、大使ならもっと幅広く還元できると考えたから、あの仕事を引き受けたんです」
 
 そして「仕事は人生そのものである」とも話す。
 
「ある作家が、こういうことを言った。『文章を書くということは、呼吸をする、息を吸うことと一緒だ』と。わざわざ『息を吸うぞ』と思って呼吸する人はいません。誰もが無意識に呼吸をしている。この作家は文章を書くのは生きることと同じだと言っているわけですが、仕事も呼吸することと同様に、どの人の人生にとっても不可欠なものだと思う」
 
「たとえば、ボランティアやNPOの活動なども、私は仕事と言ってもいいじゃないかと思う。でも、社会がそれを仕事と呼んでいるかというと、ちょっと違います。『仕事は対価を得るもの』とイメージする人が多いはずですから」
 
 かつて、マックス・ウェーバーは「仕事とは神から与えられた天職である」と述べ、伊藤忠商事の始祖・初代伊藤忠兵衛は「商売は菩薩の業」と説いた。金儲けだけに走る仕事は長続きしない。神や仏が見ているからだ――そう、これは幼少期の丹羽が両親から教えられたことに通じ、仕事は人のため、社会のためになされる行為ということになる。
 
 だから、丹羽は“仕事”を続ける。社会的に意義深いものであれば報酬のない仕事をすることもあるし、著書の印税は大学の研究資金や奨学金への寄付へ回す。
 
「こういうことも、私にとっては対価を求めない“仕事”なんです。どうやって成功するかよりも、その都度その都度、いかにベストを尽くすか。人に対して恥ずかしくないことをするか。“仕事”は人生そのものだから、死ぬまで“仕事”をするのは私にとって当たり前のことなんです」
 
 現在も会長として携わる団体での活動や言論活動を行っていく意向を、丹羽は持つ。その姿は、自分の子や孫と変わらない年の現役世代に、“仕事”のあり様を示しているようにも思えた。
 
 

(文中敬称略)

 

 

丹羽宇一郎(にわういちろう)・1939年生まれ。名古屋大学法学部卒業後、伊藤忠商事に入社。1998年に代表取締役社長、2004年に代表取締役会長に就任。2010年、民間出身者としては史上初の中国大使に就任し、在北京日本大使館に駐在。現在は、合同会社丹羽連絡事務所代表社員、日本中国友好協会会長、グローバルビジネス学会会長を務める。