日本古代史研究者、
三上喜孝(国立歴史民俗博物館准教授)
がおくる
歴史に埋もれた人々の
リアルな声を聞くエッセイ。
表舞台では語られることのなかった
いにしえ人たちの独り言。
それを解読する作業は、あたかも
迷宮をさまようかのようだ…。
気鋭の歴史学者・三上喜孝が、
今回もまた、いにしえ人たちが残した
迷宮へと進んでいく…。

日本古代史研究者、
三上喜孝(国立歴史民俗博物館准教授)がおくる
歴史に埋もれた人々のリアルな声を聞くエッセイ。
表舞台では語られることのなかった
いにしえ人たちの独り言。
それを解読する作業は、あたかも迷宮をさまようかのようだ…。
気鋭の歴史学者・三上喜孝が、
今回もまた、いにしえ人たちが残した迷宮へと進んでいく…。

 私が専攻している古代史の文献をひもといてみても、火山噴火は社会を揺るがす自然災害として、記録にとどめられた。

 東日本大震災を体験してからというもの、いままで見過ごしてきた歴史資料に目を向けるようになった。そのことが、私自身の研究にも大きな変化をもたらした。

 「貞観(じょうがん)地震」は、東日本大震災とよく似た被害をもたらした地震として知られるようになったが、実は東北地方では、この時期、このほかにも大きな地震を経験している。

 東日本大震災から6年がたった。あの震災を体験してから、私自身、歴史に対するとらえ方が、ずいぶんと変わったような気がする。

 前回まで4回にわたって、「物部守屋大連之碑」という明治時代の石碑をとりあげ、歴史上の人物の評価が時代の要請によって変わっていく様子を見てきた。

 さらにこの石碑の拓本を調べていく過程で、この拓本とまったく同じものが、別の場所に存在していることがわかった。

 山形大学の小白川図書館の書庫で見つかった「物部守屋大連之碑」やその拓本をめぐって調べていくうちに、さらに興味深い事実がいくつか浮かび上がってきた。

 明治26年(1893)に山形で作られた「物部守屋大連之碑」という石碑の碑文の内容は、次のようなものだった。