道南の旅で著者が発見した、ひとつの歴史資料

 東日本大震災を体験してからというもの、いままで見過ごしてきた歴史資料に目を向けるようになった。そのことが、私自身の研究にも大きな変化をもたらした。


 昨年(2016年)秋、北海道の道南を旅した。函館から松前、そして江差へと車でまわったのである。江戸時代、この地域はいわゆる北前船による交易がさかんに行われていて、その跡をたどることが目的だった。




 旅の最後に訪れた江差という町も、かつては北前船により繁栄を誇った町であった。北前船の船主や豪商が住む、活気に溢れた町だったのである。


 その面影を今に伝える、関川家旧別荘を訪れた。関川家は、17世紀末から19世紀末に至る200年にわたり、松前藩きっての豪商として江差で廻船問屋を営んでいた。最盛期には何隻もの北前船を所有して本州各地との交易事業を拡大していったという。


 豊かな財力を持つ関川家は、幕末期に灯台を設置したり、明治以降には小学校や公立病院に寄付するなど、江差の町づくりにも貢献したといわれる。関川家代々の主人は、俳句を詠むなど、文化人との交流も盛んに行った。

 いま、その関川家が別荘としたお屋敷は、資料館として開放されている。そこには、最盛期の頃の様子を伝える貴重な古文書や調度品が保存・公開されている。


旧関川家別荘外観(町指定有形文化財・撮影:著者。協力:江差町)


 さまざまなものが所狭しと置かれている中で、私の目を引いたのは、一つの広告看板であった。そこには、次のようなことが書かれていた。



震災義捐金募集広告


人間悲惨の事多しといへども、未だ去る十月二十八日の震災の如き甚だしきものはあらず。而して其の中心たる岐阜愛知両県下の如きは、到る処、地裂け水溢れ人畜死傷し其の惨況歴々新聞紙にあり、諸君のすでに熟知するところなり。今試みに両県下の戸数人口や其の罹災数とを挙げれば


愛知県

戸数三拾二万六千八百四十六戸の内、

 全潰四萬千四百九十九戸

 半潰拾万三千三百四十一戸、

人口百四十四万四千十一人の内、

 死亡二千三百五十一人、

 負傷二千九百三十一人


岐阜県

戸数拾八万二千四百九十九戸の内

 全潰四万四百七十四戸

 半潰壱万一千四百六十四戸

人口九拾一万六千三百三十四人の内

 死亡五千四百七十三人

 負傷六千五百二十七人


嗚呼誰か此の惨酷なる悲境を想像して為に流涕痛哭せざらんや。故に全国各地の慈善家は各々奮って義捐金を出せり。我が江差港の仁恵なる有志諸君願わくは左の方法により多少の金円を恵投して以て罹災者及び其の遺族の道路に呻吟彷徨せるものを救恤せよと云称

 一義捐金取扱事務所は姥神町関川茂平方に設く。

 一義捐金は一口金拾銭已上とす

 一義捐金募集期限は十一月三十日とす。

明治二十四年十一月   発起人(以下、18名の名)


震災義捐金募集広告(撮影:著者。協力:江差町)


 震災の義捐金を募集するための広告看板である。東日本大震災の体験がなかったら、見過ごしてしまった資料かも知れない。内容が文語体でいささか読みにくいと思われるので、簡単に現代語訳してみよう。


「人間にとって悲惨なことは数多いといっても、去る10月28日に起こった震災ほど甚だしいものはない。被害の中心であった岐阜県・愛知県の両県下の場合は、至るところ、地が裂け水が溢れ、人間や家畜が死傷し、その悲惨な状況は新聞に書かれていて、諸君のよく知るところである。いま試みに両県下の戸数人口やその被害状況を挙げれば、次のごとくである。


愛知県

戸数32万6846戸のうち、全壊4万1449戸、半壊10万3341戸

人口144万4011人の内、死者2351人、負傷者2931人


岐阜県

戸数18万2499戸のうち、全壊40474戸、半壊1万1464戸

人口91万6334人のうち、死者5473人、負傷者6527人


ああ!いったい誰がこの悲惨で残酷な状況を想像して、涙を流さない者がいるだろうか?故に、全国各地の慈善家はおのおの奮って義捐金を出した。わが江差港の恵み深い有志諸君よ、願わくは左の方法により多少のお金を寄付して被災者及びその遺族が路頭に迷うことのないよう、救済しようではないか。

 一つ、義捐金取扱事務所は姥神町の関川茂平方に設ける。

 一つ、義捐金は一口金10銭以上とする。

 一つ、義捐金募集期限は11月30日とする。

明治24年11月   発起人(以下、18名の名)



 阪神・淡路大震災(1995年)、中越地震(2004年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)といった大規模な自然災害が起こった際に、全国から多くの義捐金が集まったことは記憶に新しいが、それよりも100年以上前の1891年(明治24)に、大地震の被災者に対する義捐金募集が行われていたことを示す看板である。しかも、遠く離れた北海道の地で、愛知県と岐阜県の被災者を救済するための義捐金が集められていたことは、私にとっていささか衝撃的であった。