「騎馬民族征服王朝説」とは?

 手塚治虫の漫画『火の鳥』は、時代を過去や未来に縦横無尽に設定し、人間の生と死、欲望と葛藤を壮大なスケールで描きあげた傑作中の傑作である。


その『火の鳥』の第一作にあたる「黎明編」は、ヤマタイ国の女王ヒミコの時代を舞台としている。物語は、中国の史書『魏志倭人伝』にみえる邪馬台国の女王卑弥呼のイメージや、『古事記』や『日本書紀』などの日本神話に登場するさまざまなエピソードを巧みに織り交ぜながら、実にドラマチックに進んでゆく。


 『火の鳥 黎明編』の中でヤマタイ国は、騎馬兵団を組織したニニギ率いる高天原族に攻撃され、その圧倒的な軍事力の前に滅亡する。ニニギが率いた高天原族は、海の向こうから渡ってきた渡来人であった。


 そもそも3世紀に日本列島に実在したとされる邪馬台国が、その後どうなったのかについては、実際のところはわからない。しかしながら手塚治虫は想像の幅を広げ、渡来人の騎馬兵団の圧倒的な軍事力のもとに滅ぼされた、と描いているのである。


 さて、手塚治虫のこのイメージのもとになった学説がある。それが、これからお話しする「騎馬民族征服王朝説」である。『火の鳥 黎明編』のこの部分は、1967年に描かれたとされるが、「騎馬民族征服王朝説」は、手塚治虫を魅了するほどに、興味深い学説として、戦後の歴史学界を席巻したのである。では、どのような学説だったのか。



 1948(昭和23)年5月、東京・お茶の水の喫茶店で「日本民族=文化の源流と日本国家の形成」と題する座談会が行われた(後に同名タイトルで『民族学研究』13-3、1949年に掲載。『日本民族の起源』平凡社、1958年として刊行された)。このときの出席者は、文化人類学者の石田英一郎、東洋史学者の江上波夫、民族学者の岡正雄、考古学者の八幡(やはた)一郎であった。この座談会の場で、江上波夫による「騎馬民族征服王朝説」が初めて発表された。


 その学説の内容を簡単にまとめると、次のようになる。


「ツングース系の北方騎馬民族の一派が朝鮮半島を南下し、半島南部を征服。さらに4世紀の初めに九州に上陸、やがて大和(近畿地方)に入り、1世紀足らずの後(4世紀末~5世紀初め)に強大な王権を大和に確立した。」


 東北アジアで活躍していた騎馬民族が、朝鮮半島を南下し、さらに海を渡って九州に上陸し、そのまま近畿地方に攻めあげていって、最終的には倭王権を確立する、という、なんとも魅力的でダイナミックな学説である。手塚治虫が、この学説に魅了され、『火の鳥 黎明編』の中に取り入れたのも、無理はない。