広開土王碑の拓本の来歴に迫る

 勤務先の大学の図書館の書庫でひっそりと眠っていた広開土王碑の拓本に出会ったことがきっかけで、広開土王碑の拓本の持つ近現代史的な意味、というものを考えたくなった私は、広開土王碑研究の第一人者である武田幸男先生のもとで調査の手法を学ばせていただくことになった。




 武田先生にご一緒して拓本調査を進めていく中であらためて驚いたのは、広開土王碑の石灰拓本が、全国各地に広く残っているという事実である。いまのところ、北は山形県から南は宮崎県まで、50点ほどの拓本の存在が確認されている。長い年月を経て失われてしまったものもあるだろうから、実際にはそれ以上の数の拓本が、日本にもたらされていたことは想像に難くない。


 武田先生とご一緒して、宮崎県総合博物館、岡山県の金光(こんこう)図書館、大阪市歴史博物館、山口県文書館、群馬県館林市の田山花袋記念文学館などに所蔵または寄託されている拓本を調査する機会を得た。その一つ一つの拓本が、それぞれの来歴と物語を持っているのである。もちろん、すべての拓本の来歴が明らかになっているわけではないが、ここでは、来歴がはっきりとわかる事例を二つほどあげよう。