ユネスコ「世界の記憶」に登録された「上野三碑」とは?

 2017年10月、群馬県高崎市に所在する「上野三碑(こうずけさんぴ)」が、ユネスコの「世界の記憶」に登録されることが決定した。


 「世界の記憶」とは、人類の貴重な文書、書籍、写真などの資料(動産)を保存し、広く一般に公開するための事業で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「世界遺産」「無形文化遺産」と並ぶ遺産事業の一つとして実施しているものである。日本では「山本作兵衛炭鉱記録画・記録文書」をはじめ、5件が登録されていたが、2017年に上野三碑と朝鮮通信使に関する記録が加わり、7件となった。


 歴史の教科書にもほとんど登場することがなく、多くの人にとってあまりなじみのないと思われる「上野三碑」が、なぜ、「世界の記憶」に登録されることになったのか?


 「上野三碑」の「上野」とは、現在の群馬県にほぼ相当する地域のことである。群馬県には、山上碑[やまのうえひ](681年建立)、多胡碑[たごひ](711年頃建立)、金井沢碑[かないざわひ](726年建立)という古代の石碑が3点あり、これらを総称して「上野三碑」と呼んでいるのである。いずれも7世紀後半から8世紀初頭にかけて、近接した地域で相次いで建立されたものである。




 7世紀後半から8世紀初頭という時代は、日本列島において大きな画期となる時代であった。中国で生み出された「律令」という法律体系が導入され、律令にもとづく行政を行うようになる。律令制とは、手っ取り早くいえば高度な官僚制のことであり、煩瑣な手続きにもとづいて膨大な量の文書が作られるようになった時代であった。そのため、役人たちにとって漢字による記録技術の習得は必須となった。上野三碑は、そのような時代のまっただ中に作られたのである。


 この上野三碑が「世界の記憶」に登録されることになった理由について、高崎市が制作した「上野三碑」の公式ウェブサイトでは、次のように説明している。



<三碑の記録形態は、上野国に住み着いた朝鮮半島からの渡来人がもたらしたもので、かれらとの密接な交流の中で、当時の都(飛鳥、奈良)から遠く離れた地元の人々によって文字で刻まれたものです。山上碑は日本語の語順で漢字を並べた最古級の歴史資料です。多胡碑は、18世紀以来、中国の「書」の手本となってきました。金井沢碑は、この地での仏教の広がりを刻んでいます。これらの三碑は、東アジアにおける文化交流の実像を示す極めて重要な歴史資料です。
三碑に刻まれた内容は、中国を起源とする政治制度、漢字文化、インドを起源とする仏教が、ユーラシア東端の地である日本に到達しただけでなく、さらに遠く離れた東部の上野国に多数の渡来人の移動とともに伝来し、地元の人々に受容され、広まっていったことを証明しています。>





山上碑(写真提供:高崎市教育委員会)