歴史の中の「砂糖」

 山形県酒田市の亀ヶ崎城跡から出土した「さたう一斤」と書かれた円形容器の蓋は、現代の私たちにとって身近な存在である「砂糖」について、歴史的に考える必要があることを私に教えてくれた。


 砂糖の原料となる甘蔗(さとうきび)は、インド原産の多年生植物で、砂糖は南蛮貿易を通じて日本に輸入されたと言われている。こうした砂糖はいつごろから、どのようなルートで日本にもたらされ、贈答品として広まっていくのだろうか。古文書や記録から、そのことがうかがえないだろうか。いくつかそのことがわかる史料がある。


 一つは、慶應義塾大学図書館所蔵の相良家文書である。中世、肥後南部の人吉盆地を支配していた相良氏は、天文8年(1539)に外洋航行が可能な「市木丸」を建造し、八代の徳渕の津を拠点として中国の明や朝鮮、琉球との交易にのりだした。


 天文11年(1542年、明の嘉靖21年)には琉球に交易船を出し、琉球王から返礼として黒砂糖が贈られている。その古文書の内容は、次のようなものであった。


 嘉靖壬寅閏五月廿六日(天文11年5月26日)に、琉球円覚寺の全叢は、肥後の相良義滋(よししげ)に次のような書状を送った。



 そちらの商船(市木丸)が無事にこちらに到着したことは喜びに堪えません。進献物は琉球王に一つ一つご覧に入れ、大変感激されておりました。私自身にもさまざま珍しいものをいただき、どのようにお礼をしてよいかわかりませんが、ひとまず砂糖百五十斤を進上いたします。



 この当時の琉球王は、第二尚氏王統の第四代国王である尚清王の時代で、琉球円覚寺は、琉球における対外通交の窓口の役割を果たしていた。この文書を書いた僧の全叢は、薩摩出身の臨済宗の禅僧で、京都の南禅寺などで修行した後に琉球に渡り、琉球天王寺の住持を経て円覚寺住持となった。


 この文書によれば、このとき琉球王は返礼品として相良氏に砂糖150斤(現在の約90キログラム)を贈ったというのである。


 当時琉球王国は、中国、日本、東南アジアなどとの中継貿易を盛んに行っており、砂糖は中国の江南地方産であったとされている。琉球が第一の返礼品として砂糖を贈ったことからもわかるように、この当時砂糖はきわめて貴重な産物と認識されていたのである。肥後の相良氏は琉球との貿易を通じて、貴重な砂糖をいち早く入手していたのである。



 次に紹介するのは、宮崎県の都城盆地を支配した北郷(ほんごう)氏、いわゆる都城島津氏の史料である。


 天正3年(1575)に、大隅国肝属(きもつき)郡(現在の鹿児島県肝属郡肝付町、旧内之浦町)が、 都城領の飛地として、北郷氏の支配下となった。このころ、内之浦には多くの船荷を積んだ明船が入港するようになり、北郷氏のもとに交易の品がもたらされるようになった。


 天正18年(1590)、当時の都城領主・北郷時久は、明船の積載物から砂糖をはじめとする数々の交易品を豊臣秀吉に献上している。そのときの文書によれば、「唐船(明船)が到着し、目録の通りに品々が届けられた。いろいろと取り揃えたこと、秀吉様が大変喜んでいらっしゃる。なお、石田正澄(石田三成の兄)から報告するものである」とあり、さらにそのときの目録には、献上品のリストの筆頭に「砂糖五百斤」と書かれている(重永卓爾編集・校訂『都城島津家史料 巻三』都城市立図書館、1989年、32号・33号文書)。目録の筆頭に砂糖があげられていることからも、砂糖が贈答品として重視されていた様子がうかがえる。


 砂糖は、琉球や明の貿易船を通じてもたらされることもあれば、直接中国で購入した事例もある。たとえば、臨済宗の禅僧・策彦周良(さくげんしゅうりょう)は、天文8年(1539)度には遣明船の副使として、天文16年(1547)度の遣明船の正使として、2度入明しているが、そのときの詳細な記録を『初渡集』と『再渡集』にまとめている。そこには、周良が寧波(ニンポー)などで購入した物品が詳細に記録されており、それによると、嘉靖20年(1541)4月15日に、寧波において「砂糖四十斤〈一両一匁〉」を購入したとある(牧田諦亮編『策彦入明記の研究 上』法蔵館、1995年)。


 ヨーロッパ船との貿易においても、砂糖が輸入された。16世紀末に記録されたと思われるポルトガル船の日本貿易品に関する報告によると、ポルトガル船は、このころ白砂糖6000〜7000斤、黒砂糖15000斤〜20000斤、合計で20000〜27000斤の砂糖を日本にもたらしていたという(岩生成一「江戸時代の砂糖貿易について」『日本学士院紀要』31-1、1973年)。


 また、徳川家康の政治・外交政策のブレーンとして知られる金池院崇伝が著した『異国日記』には、慶長14年(1609)7月、薩摩の坊津に入港した10隻の章州(中国・福建省南部)船の船主等が提出した積荷目録の中に、「白糖 しろさ たう」「黒糖 くろさたう」があげられている(辻善之助校訂「異国日記」『史苑』1−2、1928年)。16世紀後半から17世紀初頭にかけて、砂糖は九州の各港に入港する貿易船によりもたらされたのである。


 中世の砂糖購入や贈答に関する史料はきわめて断片的であり、その全体像を明らかにすることは難しいが、これまで確認されている史料から、大まかな傾向を知ることができる。


 16世紀半ばの天文年間ごろから、琉球や明、さらにはポルトガルとの貿易を通じて、最初は九州各地の大名のもとに砂糖が入ってくるようになる。そしてそれらは、16世紀後半の天正年間に、織田信長や豊臣秀吉らに献上されることで、贈答品としての砂糖が認知されるようになる。


(文中の「章」は章の左にさんずい)