はじまり

平成23年3月11日。とてつもない津波が押し寄せ、とてつもない大震災が起こった。日本は変わってしまった。西暦2011年は、自然の力によって日本が大きく変化した年として、後世の人々に記憶されることだろう。

あの地震の被害は、都市部での液状化は見られたものの、地震の揺れそのものによる被害はそれほど甚大ではなかった。被害のほとんどは、あの大津波によってもたらされた。東北の人びとの尊い命も、人びとのくらしもあの美しい景色も、そして福島第一原子力発電所の機能も「海の力」によって失われたのだ。

これから書くエッセイは日本が、復興を考える時に知っておくべき視点について考えていくものである。その視点とは、海からの視点である。そう、海の力によって変わってしまった日本は、海から見直さなければならないのだ。

海からの視点とは何か。それは海と山のつながりを、もう一度考えること。とりわけ陸にある鉄分の働きについて知ることである。

実をいうと、このエッセイは2009年から書き始めていた。「平成の大変」前から、僕は日本の現状を憂いていた。それは、日本があまりにも海からの視点を忘れた人びとが作る国になってしまっていたからだ。なぜそんなに憂いていたか、それは僕がカイジンだからだ。カイジンは「海人」。ガイジンじゃない。海の人だ。

海人は「あま」とか「かいと」とも読めるが、その本来の意味は「海に生きる人」である。沖縄では「うみんちゅ」という。「うみあっちゃー」という言い方もある。こちらは海歩人となる。海を歩く人、つまり舟を漕いで海に出る人のことである。

ボクシングの世界チャンピオンだった具志堅用高さんが、父親の職業を聞かれ「海を歩いています」と言って笑われたというエピソードがあった。漁師など、舟を漕いで海に出る人は、海を歩いている感覚で生きている。笑った人は、そんな感覚を知らなかったのだろう。

ずいぶんと長い間、シーカヤックを漕ぎ、歩くように僕は海を旅してきた。シーカヤックで旅をしながら物書きをして生きてきた。そんな男も、海人の部類に入ると研究者から言われた。海人は海をリスペクトして生きる。もっとも「職業は海人です」といっても、誰にも分かってもらえないので、肩書きは海洋ジャーナリストとしている。

2008年から、僕は東京海洋大学という国立大学(かつての東京水産大学と東京商船大学が合併して開学された)で、非常勤講師としてシーカヤックを使った水圏環境リテラシー学の実習授業を担当している。水圏環境とは主に海の環境のこと。リテラシーというのは、ある分野に関する事象を理解して活用する能力のことで、最近の教育界が好んで使う語句だ。

海の環境に関する知識を得るために、シーカヤックという小舟が持つ意義を指導するのが僕の役割だ。それは、学生たちにシーカヤックからの視点、つまりは海からの視点を育んでもらいたいがために始まった実習である。何しろ海洋の大学なのだから。そして2010年からは、同じような授業を横浜国立大学や横浜市立大学でも始めた。

 

next >