第9回  日本の教育制度は変えられるか

 

 最近、日本の学校教育については、詰め込み型だとか、コミュニケーション力や発想力が育ちにくいなどと批判されているようです。
 そのためにアクティブ・ラーニングが推奨され、2020年の大学入試からは面接やディスカッションなどが導入されることになりました。
 今回は、こうした日本の教育について、少し考えてみましょう。

 僕は自分の子どもたちを日本の公立学校に通わせているんだけど、現在の日本の教育制度にもたくさん優れた点はあると思っています。
 日本の学校のどこが優れているって? それは以下の4点です。

 

①調査では常に世界トップクラス! 数値で表せる知能が高い。
 PISA(72カ国・地域における学力調査)の最新調査で、各分野で成績が良かったのは、シンガポール、香港、日本、韓国、台湾、エストニア、フィンランド、カナダなどですが、大国といえるのは日本だけ。人口が断トツ1位で、2位の韓国(5100万人)の倍以上ある。この人口を抱える日本はPISAランクで常に上位で、基礎的な学力保持は証明済みです。素晴らしい!

 

②全国的に均一的な教育が期待できる。
 実は前述のPISAで高成績の国・地域に共通していたのは、教育の公平性、つまり国民が公平に教育を受ける機会があるということでした。
 とりわけ日本は地域的な偏りが少なく、良質な教育が全国的に受けられます。全国どこでも標準語の読み書きができ、新聞を読める人がほとんどです。意外にも、先進国ならみんなできていることではありません。満足に字が読めないアメリカ人は14%もいると教育省が発表している。残念ながら、対象の方はその報告書自体も読めないってことだ。

 

③良い方向に変えようとしている。
 例えば、ゆとり教育など若干の迷走もあったけれど、各学校も文部省も普段から教育はどうあるべきか考え、改善点を探そうとしている姿勢は評価できると思います。

 

④モラルがある。生徒たちが学校を掃除している?!
 日本の学校を初めて訪れた時、掃除している生徒を見て、僕はこう思ったんです。すごい!日本人はこれを、自信を持って世界に広めるべきだ!って。
 アメリカの生徒は自分たちで掃除しないために、放り捨てのクセがつき、清掃員を見下すようになります。責任を持たない上に、掃除という行為を蔑視するようになってしまうのです。
 また、アメリカには制服がないために洋服競争が生まれやすいし、道徳の授業がないから、倫理観がばらばらで、自分中心の社会になりがちです。
 日本人は卑下するかもしれないけど、日本の教育制度すべてが悪いわけじゃない。むしろ、いい部分はどんどん世界に発信するべきだと思う。

 

■「正解は一つ」ではないかもしれない

 でも、その反対に日本の教育には弱い部分もあります。しかも、もしかしたらその弱い部分こそ、これからの社会で必要とされるのかもしれません。
 以前、竹中平蔵さんと対談した際、竹中さんは教育で「CCE」という以下の3つの要素を重要視されていると伺って、僕も納得したことがあります。

「C」クリティカル・シンキング=批判的思考で物事を捉え、本質に迫る力
「C」クリエイティブ・シンキング=自由な発想で新しいものを創り出す力
「E」エフェクティブ・コミュニケーション=相手に深く伝える力

 今後、日本でも終身雇用精度が崩れ去り、より実力主義になっていく可能性は高いでしょう。さらにAI化が加速することも考えられます。
 そんな社会で生き残るために、専門知識だけでは足りません。専門家は専門分野が廃れていってしまった時代には弱いのです。今から必要なのは、物事を批判的な面からも捉え、自由に発想するためには広い基礎知識や情報収集能力でしょう。さらに自ら学び、考え、問題を見つけ、伝える力が求められます。「経済の自然淘汰」の中で、専門知識があっても、専念しないで応用できる人が生き残るでしょう。
 僕は、これからの大学入試ではいっそのこと、スマートフォンや携帯電話で答えられるような問題はなくしてしまったらいいんじゃないかと思っています。
 「本能寺の変」が何年に起きたかは、調べればすぐわかるよね。
 「どの時代に、どんな背景で起きたか」という歴史的な流れを押さえることは必要だけど、正しい年号を選ばせるだけの問題は必要ないんじゃないかな。
 むしろ、スマホを試験室に持ち込んでもいいから、ある課題について1時間で調べ、1時間で論文を書き、また1時間でそれについてのディスカッションやプレゼンをするという試験なら、相手に反論された時の対応力や相手を説得する力、発想力や論理力など、その人の持つ総合力がしっかりわかると思うよ。
 日本人は、与えられた課題をこなすのは、とても上手です。「正解を選びなさい」という教育をずっと受けてきて、一つの正解を探してきた。だけど、世の中に出てみれば、答えはたった一つとは限りません。
 時には試験に「不正解なし」の問題があってもいいんじゃないかな。
 僕は、自分が受け持つ大学の授業で、発想力を鍛えるためによくブレーンストーミングをやるんだけど、これはとても楽しいですよ。例えば、こんな問題。

 「ゼムクリップを使って、何ができる?」

 ゼムクリップというのは、書類を挟む、あの簡単なクリップです。
 さあ、あなたもやってみて。1分間でどのくらいアイデアが出るかな?

 伸ばして爪楊枝にする? フックにする? いいね、どんどんいこう!
 リングにする。バネにする。人を突く凶器にする。目はやめようね!トングにして挟む。鍵としてピッキングする。ネイルにつける。髪留めにする。鼻輪にする。イヤリングにもできますね。
 ここまでが割と普通に出てくるもの。これからが勝負!ポイントは「思い込みを克服すること」です。
 あれ、誰も「1個だけ」なんて言ってないよ? たくさんつなげたら、ネックレスや自転車のチェーンにもなりますよね。
 誰も「金属の」クリップとは言っていないよ? パスタでできていたら食べ物になるよね。パスタでできたクリップだって、あり得るんじゃない?
 素材も大きさも限られていないんだ。巨大なクリップを折り曲げたらブランコができるかもしれない。巨大なクリップの隙間を埋めたらサーフボードができるかな?!

 ……こんな風に、どんどんルール破りを覚えていくんです。
 最初は「ずるい!」って思うかもしれないけど、一度この「ずるい!」への抵抗を乗り越えれば楽しくなってくるはず。意外な発想が次々に湧いてきます。

 

■ポテンシャルを活かした新しい教育を

 ところで、入試の話ではよくアメリカの一流私立大が引き合いに出されます。
 アメリカトップクラスの大学では、マークシート形式の試験結果は、入学審査の1/4にしか反映されません。残りの3/4で何を見ているかというと、授業での成績はもちろんだけど、そのほかにそれまで生徒が学外で行ってきた課外活動や面接、論文です。「数値化された学力」は、半分以下にしかカウントされていないのです。
 もちろん僕もアメリカの大学が絶対いいとは言わないけど、世界の大学ランキングではトップ20のうち10校以上がアメリカです。資金力を活かした研究で次々に特許をとっているし、世界中から一流の講師や生徒が集まってくる。日本にも立派な大学はあるけど、世界を見据えているかどうかはわかりません。

 だけど、アメリカの教育にも、大きな問題があります。
 教育格差が大きく、基礎的な学力が均一ではない点です。とびぬけた鬼才は育つが、平均値が低いということです。
 逆に、日本の方が底上げ教育が徹底しています。だからPISAランキングのトップに入る。天才でも飛び級ができないのがもったいないところだけど、全体の「品質管理」ができていますね。だからこそ、日本はそのポテンシャルの高さを活かして、基礎知識や倫理的なレベルの高さを保ちつつ、コミュニケーション力や発想力を持つ人材を育てることを考えるべきだと思うのです。

 「いやいや、授業時間はもう目一杯。新しい授業なんて無理!」
 そう言われるかもしれませんね。確かに、ただプラスするだけでは大変です。
 だから、今の時代に必要なものと、そうでもないものを整理すべきだと思う。
 例えば、古文・漢文。
 公立高校では週2時間は必修になっていて、センター試験では国語のうち、古文と漢文合わせて1/2の配点(それぞれ1/4の配点)があるそうです。
 言葉には国民性が表れるから、古文のシステムや、言葉が変化していく経緯などは知っておく必要があるでしょう。
 だけど、古文や漢文の読み方の習得に、週2時間も必要なんだろうか?
 漢文の試験に、国語の1/4の配点も必要なんだろうか?
 いや、もちろん古文・漢文の研究は大事です! 学者の皆さん、僕のことを嫌わないでくださいね。でも、他を犠牲にしてまで全員が長時間やる必要性はそこまでないのではないでしょうか。議論の余地があると思います。
 もう少し柔軟に、現代に合った授業内容を取捨選択してもいいんじゃないかな。

 

■完璧主義はやめて、先生も一緒に楽しんじゃおう

 さらに今、教育の現場では、アクティブ・ラーニングなどの新しい試みを、先生たちがどう教えたらいいかわからないという声もあるそうです。
 プレゼンテーションや交渉術なども、自分たちが教わってこなかったものを生徒に教えなきゃいけない。混乱するのもわかります。
 でも完璧にやろうとしないで、自分の成長の機会として楽しんじゃえばいいんじゃないかな。「先生も教わったことがないから一緒に学ぼう」という姿勢で。
 英語に関しても同じです。英語の発音って、今はクイーンズイングリッシュでなきゃダメという時代じゃない。フィリピン人の英語もあれば、インド人の英語もあるし、日本人の英語もある。もはや英語はイギリスのものじゃない。カナダのものでもないし、オーストラリアのものでもないし、ニュージーランドのものでもない。アメリカのものです!
 ……っていうのは冗談。英語はみんなのものです。
 先生たちが頑張ってネイティブに近い発音にしようとするのは素晴らしいとは思いますが、訛っていても構わないんです。完璧主義は捨てましょう。

 今後、日本の教育が変わっていったら、先生や生徒だって変わっていかなきゃいけないのは当然だけど、親も大変になるかもしれません。調べれば解ける問題ばかりでなくなれば我が子の宿題を見るのも一苦労だし、ディスカッションが入試に出るなら、家庭でも準備しておかないといけなくなります。
 新しい教育を受けた新入社員を迎える会社の皆さんだって、うかうかしていられませんよ。社員が会議に出るのは当然? いやいや、今後は「なぜ会議に出なければいけないのか」から、上司がプレゼンして説得なきゃいけなくなるかもしれません。

 日本はこれだけ国力が強く、多くの国民は高い知識もモラルも持っています。
 でも、今のところ国際社会をリードしているとは言い難いし、残念ながら、世界中の人を動かすような名言や名スピーチも生まれてはいません。
 だけど、今、日本は教育を改善して変わろうとしています。この姿勢は素晴らしいよ。ぜひスーパー人材を生み出して、世界を引っ張っていって欲しいな!