• パックンこと、パトリック・ハーランです。
    ここに骨を埋めるつもりの僕が、愛する日本の未来のために、
    毎回「皆さんと一緒に考えたい問題」をひとつ提示します。
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第18回  世の中から差別をなくすために、僕たちができること(前半)

 

 少し前の話になりますが、2017年の大晦日、「ガキの使いやあらへんで!『絶対に笑ってはいけない』シリーズ」で 、ダウンタウンの浜ちゃんがエディ・マーフィーのものまねをして顔を黒塗りにし、人種差別ではないかと批判されました。この件は、イギリスやアメリカのメディアでも報道されましたが、皆さんはこれについてどう思ったでしょうか。

 

 今回は、差別や偏見、マイノリティへの配慮などがテーマです。

 差別や偏見と一口に言っても、人種に対する差別、障がい者への差別、性的マイノリティへの差別、住む地域や出身地域に関する差別、女性に対する差別などさまざまありますが、今回は具体的にいくつかの問題を取り上げて考えてみたいと思います。 修辞学用語でいうと、具体例から一般論を見出す「帰納法」のアプローチですね。まあ、用語でいう必要はまったくないんだけど。

 

 

ペット可、ピアノ可、外国人不可!?

 まずは、人種や外国人に対する差別について考えてみましょう。

 日本の在留外国人の数は総人口の1.8%。100人に2人弱。

 他の先進国と比べると非常に少ない数です。国籍別の内訳では、中国が約3割、韓国が約2割、フィリピンが約1割。さらにブラジル、ベトナム、アメリカと続きます(法務省、2016年末における在留外国人数より)。

 

 最近では日本でも「ダイバーシティ(多様性)」という言葉が定着してきたのはいい流れだと思いますが、実際にはまだそれほど人種的な多様性に慣れていないのかなと思うこともたくさんあります。

 

 例えばそれは、日本で外国人がアパートやマンションを借りにくいという問題にも表れています。2017年に法務省が18歳以上の外国籍の1万8500人に行った調査では、外国人であることを理由に入居を断られた経験がある人は4割もいました。

 僕も20年程前に入居を断られたことがあります。不動産屋の窓で見る物件の張り紙にもはっきり書いてありました。「ペット可、ピアノ可、外国人不可」だって。外国人はペットや楽器より下なんだ! とビックリしました。憲法では人権を保障しているけどね。

 

 それから、日本ではいかにも外国人らしい外見をしていると、日本語や日本の事情がわからないと思われることが、とても多いです。僕もなんとか部屋を借りることができて、25年も日本で幸せに暮らすことができましたが、いまだに「わからないでしょ?」という接し方をされることがあって、「大学生より長く日本にいるのに」とカチンとくることもあります。お蕎麦屋さんで、何も言わないのにフォークが出てきたこともあるしね。

 もちろん、これはやさしさのつもりで店員が気を使っていることだってわかります。実際にお箸が使えなくて「無言フォーク提出サービス」に助かる外国人観光客もいるはずです。しかし、郷に入っては、一生懸命郷に従おうとしている僕にとっては、少し悲しい気分になる瞬間です。見た目だけで判断されるとショックです。日本で生まれ育ちながら外国人の顔をする人にはもっと衝撃が強いでしょう。

 そういうものに対する反発心は僕の中でもだんだん薄れてきたけれど、「日本人じゃないから、わからないはず」という考え方に触れることは、残念ながら今でも結構あります。

 

 「ハーフ」や「ハーフタレント」という言い方も日本独特かもしれません。

 アメリカでは「アジアンアメリカン」とか「ジャパニーズアメリカン」とか、ルーツを指して言うこともあるけれど、多民族国家のアメリカでは、白人だけが純粋なアメリカ人という考え方はありません。僕もアイリッシュアメリカンですしね。日本ではいわゆる純粋な日本人以外は「ハーフ」、「クォーター」、「外国人」。肌の色、顔立ちも含めて「日本人はこうである」という概念が、特定の狭い範囲に定まっている気がします。

 

 もちろん、アメリカにも根強い人種差別があります。

 人種だけじゃなくて、宗教や性別に対する差別もあります。それに、差別の度合いが日本よりも激しくて、リンチや暴行が行われることだってある。例えば、黒人男性がアメリカの人口に占める割合は約6%にとどまるのに、警察に射殺される4人に1人が黒人男性です。その根底に、無意識でも差別が潜んでいるといえるでしょう。日本ではマイノリティへの差別や偏見があっても殺される危険はほとんどありません。

 または、アメリカでは、女性への暴行事件も多いし、学校などでのいじめもあります。日本のようにクラス全員で無視するとかネットで誹謗中傷するといった陰湿なものではなくて、もっとストレートです。“Bullying”といって、何人かで一人に対して暴行を加えるものが主流。僕も学生時代、軽い程度だけどクラスのいじめっ子にいじめられたことがあります。

 

 だから、決してアメリカがお手本になるわけではありません。

 基本的にアメリカは日本よりずっと暴力的な社会だと思う。

 

 

日本の中の「見えない差別」

 そうしたことを前提にして、では、日本の差別や偏見は何が問題なのかを考えてみましょう。僕が思うのは、日本では、「外交人不可」の張り紙を除けば、他の国より目に見えにくい形で行われているということです。もしかしたら、当事者たちにも「差別している」という意識はそれほど強くない、いや、もしかしたら全然ないのかもしれない。

 でも、意識して差別するのは当然問題だけど、意識せずに行う差別もまた問題だと思う。

 

 日本では、顕著な差別が少ないので、差別に対する意識が低いかもしれません。前述の黒塗りの演出なども、他者から指摘されて初めて問題化することが多いようです。指摘されるまで、制作側はそれが差別とは考えない。差別するつもりはなかったから。

 

 でも、差別に敏感な国から来た僕からしてみたら、ゲイの男性を笑いものにするコントや、中国人の話し方を大げさにマネして笑いをとるコントなどを見るたびに、「これ、放送局は差別につながるどうかを審査してから流しているのかな?」と疑問に思うことがたびたびあります。「ブスネタ」や「デブネタ」などの身体特徴を使うものも同様。

 権力や強者に対する風刺は笑いの基本だと思うけど、そういう感じでもないしね。笑いものにされた側の人はどう思うかって、考えているのかな。見ている側に傷つく人はいないかな? 頭髪の薄い方はトレンディエンジェルさんの漫才をどう御覧になるのかな。

 

 普段から他人に気を使う文化で有名な日本だけど、案外、こんなところでは少し鈍感な気がします。ダイバーシティの少なさも関係しているかもしれないし、日本が「ハイコンテクストカルチャー」であることも関係しているかと思います。

 これは社会人類学の分類になりますが、コンテクストというのは「文化背景」、つまりコミュニケーションの基盤になる共通の価値観や知識などのこと。日本はこのコンテクストの共有性が高く、正確な言葉で表現しなくても、何となく相手に意図が伝わる社会です。日本人同士の会話でよく聞く「もしあれだったら…」みたいに、「あれ」をはっきりしないままでも意思の疎通ができるのが、ハイコンテクストコミュニケーション。

 日本はほぼ単一民族と言ってもいいと思うし、島国で長く閉鎖的な環境にありました。今もほぼ100%の人口がほぼ同じ言語をしゃべり、ほぼ同じ教育を受け、ほぼ同じようなテレビ番組を見ている。そのおかげで、仲間内で「和」を保つことが重視され、「言わなくても通じる社会」が成り立つのです。

 

 一方、アメリカのような多民族社会は、「ローコンテクストカルチャー」です。

 そうした社会では、価値観や知識の共有度が低いので、明確に言葉や態度で表現しなければ、相手に伝わりません。また、相手の価値観が自分と違うこともわかっているので、表現力や論理力などのコミュニケーション能力を重視し、幼い頃から自分の立場や考え方を伝える練習をするのです。

 

 日本人は、相手と価値観が違うと仲良くなれないと思うかもしれないけど、欧米でそれは当たり前。人間はそれぞれ違うのが当たり前、という意識が土台にあります。

 日本のような「言わなくても通じる社会」は、仲間うちでは過ごしやすいかもしれないけど、少数派やマイノリティの方々にとっては大きな障害になり得ます。大多数にとっては「当然」と思われるようなことを、できなかったり、やらなかったり、思ってもみなかったりする人がいると、そこで亀裂が生じ、人間関係が崩れてしまうのです。

 そうした同調圧力が強すぎると、仲間はずれやいじめ、バッシングにつながることもあります。

 

 でも、日本は今どんどん人口が減っていますから、今後は外国人の割合も増えていくでしょう。

 さらに、欧米から入ってきたダイバーシティという概念は、日本人の意識も変えつつあります。

 当たり前だけど日本にもさまざまな人がいるのだから、多様性を否定するのではなく、受け入れる社会の方が、外国人も日本人も、もっと気が楽になるんじゃないかな。自分とは違う価値観を持つ人々に対する違和感をまず自覚することが大事だと思うのです。

 

 

閉め出すのではなく、お互いを守る制度を作る

 その一方で、僕は大家さんが外国人には部屋を貸したくないと思う気持ちもわかります。

 日本の法律では賃料を滞納してもなかなか部屋から追い出せないし、部屋を壊した外国人が帰国してしまったら、弁償費用を請求しづらくなります。また、僕も昔、リサイクルショップで冷蔵庫を買おうとしたら、ものすごくキムチくさい冷蔵庫だったことがありました。当然、それは買いませんでした。僕は韓国もキムチも好きですよ。でも、冷蔵庫に臭いが付いているのは嫌。それと同じことで、部屋に何か強い匂いが残っていたら、次の人が借りにくくなるのも事実です。お醤油の匂いだったら、大多数に許されるかもしれませんけど。

 そして、銀行が外国人相手にローンを組みたくないという気持ちもわかるし、社員の行動の責任をとることになるから、簡単に就労ビザを出したくないという企業の気持ちもわかる。

 

 では、どうしたらいいんだろう。

 そんな時は、外国人が加入する保険や保障制度があるといいかもしれません。部屋は喜んで貸すけど、一括1000円で保険に入ってもらいます、というような。家賃の踏み倒しがあった時や、特別な清掃や補修をしなければいけない時には、保険が下りて大家さんの負担を軽減するのです。

 また、マイナンバー制がさらに普及すれば、就労ビザだけをもらって仕事を辞めてしまう外国人に対する経済制裁なども考えられます。

 単に「外国人お断り」と閉め出すのではなく、外国人ときちんと向き合うための制度作りが大切なのではないでしょうか。

 

 また、外国人のマナーの問題もあります。

 以前、公衆浴場に入ろうとしたアメリカ人とドイツ人、そして日本への帰化者が入浴を拒否されたため、憲法14条の平等権や国際人権に反しているとして、浴場経営者を相手に裁判を起こしたことがあります。経営者は「外国人のマナーが悪いから」という理由で外国人の入浴を全面的に拒否していたのですが、結局、経営者は敗訴。慰謝料を100万円ずつ払うことになりました。

 もちろん、外国人全員のマナーが悪いというのは偏見だと思うけど(少なくとも僕は気をつけていますよ)、日本は他の国よりマナーに厳しい国です。悪気がなくても、実際に銭湯のマナーをわかっていない外国人がいたかもしれないし、タトゥーなどの問題もありますよね。

 

 僕も以前、外国人の後輩に「どうして、外国人の自分は日本人に受け入れてもらえないのか?」と相談されたことがあるのですが、説明にはひどく苦労しました。

「君が“外国人”だから受け入れてもらえないんじゃなくて、まだ日本人のハートやマナーをわかっていないために“変人”に見られちゃうんじゃないかな。“郷に入れば郷に従え”って知ってる?」

 そんな説明をしたけど、日本はルールが厳しいし、それが明文化されていないこともあるよね。パソコンに埋め込まれたCPUのように、日本人にとっては当たり前の常識でも、日本で育った人でなければ理解するのが難しいことも多い。玄関で靴を脱ぐ、スリッパに履き替える。畳の部屋でまた脱ぐ。トイレで違うスリッパを履く。バルコニーはサンダル。履きもの一つでも、見えないルールがいっぱいあるけど、日本人はみんな自然に守れている。ハイコンテクストな国の生活には、落とし穴がいっぱいあります。

 

 

なぜ日本人は、中国人や韓国人をバッシングするのか

 多くの人が価値観を共有するハイコンテクストカルチャーでは、自分たちと価値観が違う者に対して非寛容的になることがあります。それが表れる例の一つが、同じアジア人に対する日本人の態度かもしれません。

 

 最近は減ってきましたが、一時期、中国人バッシングの番組が連日のようにテレビで放送されていたことがありました。たとえば、中国人観光客がごみを散らかして帰るとか、借りている家から変な匂いがするとか、騒音がひどいとか……。

 でも、アメリカ人だって、他の国の人だって同じようなことをやっています。散らかすし、騒ぐし、迷惑をかけているかもしれない。でも、同じ批判の対象にはあまりならないですね。

 なぜそんなに中国人を叩くのか不思議だったのですが、池上彰さんの話を聞いて納得しました。

 池上さん曰く、日本人は中国人や韓国人に対し、外見が似ているために日本人と同じような価値観や倫理観を持っているはずという「固定概念」を持っている。それが外れると無意識にも許せなくなる、と。

 白人や黒人は明らかに日本人と風貌が違います。だから価値観も違うはずだし、多少のことでは驚かない。欧米やアフリカの方は見た目から人種や文化の違いに気づくから行動が違っても「しょうがない」と、あきらめがつきます。

 一方、東アジア人は外見が似ているのに、日本人とは価値観が違う。理解できない…。

 

 もしかしたら、アメリカとの同盟関係や、明治維新から続く欧米へのあこがれも影響しているかもしれません。数世紀にわたる日中・日韓の付き合い方や、過去の軋轢などにも原因があるかもしれません。今も歴史問題で揉めていることや、相手国の政府の反日政策などに対する反感もある可能性も否めません。それでも、基本的にはこうした「似て非なるもの」に対する嫌悪感があるのではないか、という説には、僕も納得しました。

 

 でも、同じような外見をしていても、相手は自分とは違う文化、知識、マナー、価値観などを持っているものだと思った方が建設的ではないでしょうか。

 人間は一人ひとり違うのです。それなのに、皆が同じ考え方のはずだと思っていると、変わったことをする人を叩く社会になってしまいます。自分たちとは違う価値観の人や、「外の人」に対する偏見や差別感情、仲間はずれやバッシングが生まれます。議論も発生しにくくなります。

 十人十色。日本で有名な四字熟語だけど、その考え方が浸透しているかどうかには疑問があります。普段から、自分の先入観や他人の個性、一人一人の価値観の違いへの認識を持っておくことが、偏見のない社会の土台を作るんじゃないかな。

 

 次回は、性的マイノリティと、こうした「固定概念」の外し方について考えてみたいと思います。

 

 

次回、第19回  世の中から差別をなくすために、僕たちが今できること(後編)は、6月29日(金)公開予定です。

 

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