• パックンこと、パトリック・ハーランです。
    ここに骨を埋めるつもりの僕が、愛する日本の未来のために、
    毎回「皆さんと一緒に考えたい問題」をひとつ提示します。
    難しい話はナシで、 ちょっとだけ「国内外両側からの視点」
    を知ってもらえたら嬉しいです。


第19回  世の中から差別をなくすために、僕たちができること(後半)

 

 前回は人種の問題を取り上げましたが、今回はLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)など、性的マイノリティに対する偏見や差別を考えてみましょう。

(ここで、「偏見」という言い方に異議を持つ読者がいるかもしれません。「もって生まれた身体を見れば、異性愛が恋愛のあるすべき姿でそれ以外がアブノーマルだとわかるはずだ。なのにこの自然な区別を指して偏見と決めつけるのがおかしいぞ!」と腹が立つ方もいるかもしれません。「気持ち悪いから、同じ会社で働いてほしくもないし」と、LGBTQの人が受ける実害につながるような思いを持っている方もいるかもしれません。ここで僕はその価値観を変えようとはしません。興味があれば、いい書籍 もたくさんありますし、近くの方とぜひ議論して、できたらLGBTQの方の実体験を聞いて、いろいろ考えてください。価値観や気持ちを変えるのに苦労する人も多いし、時間がかかることも多いですが、頑張ってみてください。応援します。でも、とりあえずここではこの表現を使わせていただきます。)

 これらの偏見を乗り越えるのは、もしかしたら外国人に対するものより難しいかもしれません。

 というのも、日本ではまだカミングアウトしている方は少なく、身の周りにほとんどいないという人がほとんどだからです。

 20〜59歳の約7万人を対象に行った2015年の電通ダイバーシティ・ラボの調査では、日本でLGBTの方々の割合は7.6%。約13人に1人の割合です。

番組で知り合った方などを合わせると、僕は千人以上もの知り合いがいて、その内、たぶん300人くらいの日本人を家族や恋愛の話をするぐらいの親しい仲です。確率で言えばそのうち20人程度はLGBTの人がいるはずだし、実際いると思うけど、カミングアウトしている人は数人しかいません。勇気を出してカミングアウトしても、生活しづらいのかもしれませんね。

 おそらくみんなも似たような状況ではないでしょうか。LGBTQの方があまり周りにいないことで、困ることはそんなにないと思われますが、普段からそうした方々に接していないと、それに対して真剣に考える機会を、あまり持つことができません。自分が差別感情や偏見を持っていることに気づけない可能性もあります。キリスト教徒の保守的な家庭で育った僕は15歳の時に先輩がカミングアウトしてくれたおかげで自分の偏見に初めて気づかせてもらいました。その話はまた後で。

 不思議に、日常生活でめったに知り合わないのに、日本のテレビにはたくさんのオネエタレントが出ていますよね。僕が初めて日本に来た当時、さらに驚いたのは、見た目で分かりやすいオネエタレントは連日のようにたくさん出ているのに、一見して分からないゲイやレズビアンの方が全く出ていないということでした。

 アメリカでも、一昔前はカミングアウトする人が少なかったけど、この25年で性的マイノリティを巡る状況は進化し、今やカミングアウトは一般的になりました。周りの”普通”、つまり異性愛者の人々もカミングアウトを受け入れるようになり、同性愛結婚も法律や裁判を通して認められるようになりました。今では、ゲイやレズビアンの大物司会者や大物芸人、俳優だけではなく、スポーツ選手、政治家なども日常的にテレビに出ています。

 日本で、なぜオネエは受け入れられるのに、“男らしい”ゲイは受け入れられないのか。

 もしかしたら、前回取り上げた、中国や韓国に対するような「似て非なるもの」への嫌悪感があるのかもしれませんね。”普通”の人から見て、きっと、オネエの皆さんはこの男なんだけど男が好きと言っている、自分たちとは全く違う人間だ。でも、自分たちとは全く違う風貌だから、違っても「許せる」と。でも、パパや課長、近所のおっさん、野球部のキャプテンと同じような恰好をして、同じような振る舞いをしている男が男を愛するのは、ちょっと受け入れにくい…。

(ちなみに、僕はこの章の言葉遣いに大変苦労している。上記の「普通」や「男らしい」のように、われわれが日ごろ何気なく使っている言葉には先入観が染み付いているためだ。いわゆる「オネエ」の方も男性。「男らしくない」と断言すると、男のあり方を決め付けることになり、読んでいる人にもその先入観を確認し、一層確固たるものにする効果もあるはず。「普通」も同様。しかしそれらを避けたくても、代替表現がなかなか見つからない。苦渋の選択として“”を駆使することにした。不器用ですみません。)

 実は、こうした性的マイノリティへの葛藤や嫌悪感は、アメリカ人にも付いてまわる問題です。ただし、それは宗教的な理由によるものが大きいとも言われています。

 日本では宗教の影響はそれほど強くありませんし、仏教でも同性愛を禁じていませんよね。たとえば仏教が深く根付いているタイは、同性愛に関して非常に寛大です。

 それなのに、日本にはなぜ性的マイノリティに対する偏見が根強く残っているのでしょうか。

 島国で、長く閉鎖的な環境で過ごしてきた歴史が影響しているのかもしれません。周囲や常識からはみ出したものに対する違和感が他国の倍、大きいのかもしれない。社会学者ではないから確かなことは言えないけど、育った文化から受けた影響の意識を変えるのは簡単ではないでしょう。

 

「理性の力」で自分の中の偏見に打ち勝つ

 では、どうしたらいいのでしょうか。

 アメリカでは、70年代からの1人ひとりのカミングアウトを通して世の中がすこしずつ変化していきましたが、日本ではそれはなかなか進みません。できれば当事者にはカミングアウトする勇気を持ってほしいと思うけれど、その後の生活を考えたら強要はできませんよね。

 僕は、人が自分の中の偏見に打ち勝つためには理性の力で向き合うことをまず勧めます。LGBTQへの考え方は何に基づいているのか、誰からの教え、どこからの影響からきているのかを分析することから始める。「異性愛が正しい」とは何か。それ以外の恋愛はだめなのはなぜか。繁殖できないから同性愛はアウト?じゃあ、生涯独身は?などと、その思い思いに一つずつ突っ込みを入れて審査すると、より正しい概念にたどり着けると信じています。15歳の時に先輩がカミングアウトしてくれたことをきっかけに僕もこの過程を踏んだが、頭の力で心も変えられると思います。

 もちろん、理性の力で各自の「心の中の変換」ができれば理想的ですが、できない人もいれば、そもそもやろうとしない人も多いはず。そこで力になれるのは政治家やセレブ、音楽家や芸能人などの著名人。偏見のない言動を見せることは。国民の意識改革の一助になるのです。大衆の意見を引っ張る力があるからこそ、こんな方々がオピニオンリーダーと呼ばれれていますよね。

  メディアにオネエタレントばかりじゃなくて、“普通”のゲイが毎日出ていたらどうでしょうか。それも変わったイロモノ扱いではなく、役者、司会、コメンテーターなどとして。LGBTQの人がでても、むろん性的アイデンティティーが話題にならないぐらい普通の接し方をされていれば、それがお手本となり、見ている人にとっての「普通」にもなっていくはずです。

 メディアがそこまで変わるのも、みんなの思いが揃うのにも時間がかかるが、もっと早い方法はあるかもしれません。日本では、前回述べたように法律や制度などの「枠組み」を整えると、社会の変化は素早い。前例はたくさんあります。取り締まりの強化で飲酒運転撲滅が進んだり、歩きタバコを禁じたり、分煙を義務付けたりすることで喫煙率が下がったりしています。日本はトップダウンで社会を変える国でもあります。そして、日本では欧米へのあこがれから自らを変えることもあれば、外的な圧力で政治や体制が変化していくことも多いです。近年のセクハラへの意識向上もその例の一つかもしれいません。BLGTにおいても今後、状況がガラッと変わることもあり得ます。東京の渋谷区が同性カップルのパートナーシップを認める条例を作ったようにね。

 もちろん、そう一筋縄にはいかないでしょう。偏見というのは無意識に持つもので、本人にとっては本能に近いほど「当然」に感じるものだから。信仰やアイデンティティーもかかわっている問題ですので、上記のような社会的な変換や動きがみえても、反発も必ずあるものです。現に、アメリカでも、トランプ政権下でトランスジェンダー保護政策が撤回されそうになったり、揺り戻しが起きています。

 でも、問題を隠しているだけでは何も進みません。アメリカでも反動はありますが、多くの著名人、権力者や企業は支援に回っています。性的マイノリティを受け入れる大きな流れは変わらないでしょう。

 日本も、多様な人が住みやすい社会にするために、制度や法律などの枠組み作りはどんどん進めてほしいと思うけれど、マイノリティではない人たちの「受け入れる勇気」も絶対に必要です。そして、自分の偏見を乗りこえられた方は、個人としても自ら環境改善に努めることが大事です。

 まず考えるべきなのは自分の子供に対する影響。差別や偏見は、基本的には作られたものです。親の考え方や教育で子どもの考え方は大きく変わりますよね。僕はそれを意識し、普段からなるべく自分の固定概念に注意を払って、偏見を直すよう心がけているし、我が子に対しても多様性を理解する環境を作るように心がけています。

 まず、子どもの英語の先生は、フィリピン人やドイツ人やアフリカ系アメリカ人など、いろいろな国の方にお願いしています。日々触れ合っていると、肌色や髪質だけではなく、考え方、しゃべり方、食生活も人それぞれだと、わざわざ子供に教えなくても、日々の交流でそれが「当然」という意識になりますね。

 同様に、ホームパーティには同性愛者の友人も呼ぶし、もちろん男同士のカップルにも“普通”の夫婦のように接しています。恵まれたことに、家族や親せきにもLGBTQの人が数人いるので、子供は「おばちゃんの彼女」がクリスマス・ディナーにいることなどにまったく違和感がないようです。「恋愛や家庭構成もさまざまだ」と、子供が自然に覚えている。こんな環境で育つわが子は、あとになって偏見を乗りこえる苦労はしなくて済むかと思います。ちょっと苦労した身として、ある意味うらやましい。 

 もちろん、世のお父さんやお母さんの、我が子のカミングアウトを受け入れたくない、受け入れられないという気持ちも、よくわかります。僕も、我が子はどんな性的アイデンティティーをもっても構いませんが、差別が社会にが残っているかぎり、マジョリティーに属する方が楽だろうな~と思います。僕は貧乏育ちで、お金がないことでどれだけ苦しい思いをするかがわかっているから、できれば我が子にはお金に苦労しない人生を歩んでほしい。それと同じような感じで、親として当然の感情だと思う。

 でも、ちょっと想像してみてほしいのです。もしも生まれながらの自分の性に違和感があったり、周りの友だちのように”普通”の恋愛で幸せになれかったりするとしたら。そして、それを自分の家族にも言えないとしたら、その子はどれだけ苦しいだろうか、と。

 日本の性的マイノリティの男性は、そうではない男性の約6倍もの自殺リスクがあるというレポートがあります。性的マイノリティの多くは差別や偏見を恐れてカミングアウトしていないから、もしかしたら、そのリスクは6倍以上かもしれません。

 もしも我が子が性的マイノリティだったら―。

 僕が一番心配なのは、我が子が死んでしまいたいと思うほど苦しみ、その結果、家出したり、自殺を考えたりすることです。親だからこそ、その子を支えてあげなきゃいけないと思うのです。子が外でいろいろ大変な思いをする分、家の中でまず守って、ケアをすることが家族の仕事でしょう。社会は未完成とはいえ、幸せになる道は絶対にあるはずだから!

 大事なのはその思いを「我が子」だけににとどめないこと。肌色も、性的指向も生まれた家庭の経済状況も選べるものではない。たまたま、わが子がそんな点で苦労しなくても、どこかで他人の子供が苦しんでいるならば、それも許せるものではない。そのために、貧困撲滅、教育の無償化などとともに、人種差別やLGBTQへの差別解消を呼びかけるべきだと思っています。

 

言葉には、その人の固定概念が表れる

 では、僕たちが外の社会で差別や偏見をなくすためには、一体どうしたらいいのでしょう。前回、差別や偏見をなくすためには、皆が自分の中の固定概念や先入観に気づくことが大事だと書きました。

 自分の先入観を試すための、こんなクイズがあります。ちょっとやってみてください。

 “ある親子が車に乗っていたとき、事故に遭い、運転していた父親が即死しました。子どもも大けがをして病院に運ばれました。そこで、外科医が手術をしようとしてオペ室に入りましたが、その子を見るなり叫びました。「この子の手術はできない、我が子だから!」。なぜ、その外科医は手術できないと言ったのでしょうか?”

 皆さんはわかりましたか? わかる人にはすぐわかるけど、わからない人も多いみたい。先日、知人に試してみたら、しばらく悩んだ挙句、「外科医は幽霊だった」とか「事故死したのは義理の父親だった」とか、ちょっと苦しい答えしか出てこなかった。そんな方は、正解を聞いたら「なぁんだ」と思うはずです。

 正解は………、オペ室の外科医はその子の母親、女医だったから! 

 なんて簡単なクイズなんだ! でも、答えに迷った方は何となく外科医は男だって、思い込んでいたんじゃない? 「外科医=男」という固定概念が思考を邪魔しているのです。

 その背景には、「女医」という言い方も関係しているように思います。他にも、女社長、女教師、女流作家などあるけれど、なぜ、いちいち頭に「女」を付けるのでしょう。医師も社長も教師も作家も「男」という固定概念があるからじゃないかな。

 昔、僕が日本語の教科書の「家族」の章で覚えた「ご主人」にも驚きました。英語で言うと「マスター」です。所有権、支配権が込められているニュアンスにやはり少し違和感がありますよね。その言い方に抵抗があって使いたくないという女性もいるけれど、特に疑問に思わず、意識もせずに使っている女性も多いですよね。

 意識せずに使っているといえば、「待機児童問題で困っているお母さんたちが…」とか、「育児に悩むお母さんたちが…」という言い方。いやいや、お母さんだけが困っているわけじゃないよね。本当はお父さんだって、おじいちゃんおばあちゃんなどほかの保護者だって困っているはずだけど、僕らコメンテーターも、つい子どもの面倒を見るのは母親という前提で話をしてしまうことがある。そういう固定概念をテレビで繰り返してしまう。

 その人の発する言葉は、その人の思考回路につながっています。言葉にはその人の固定概念が表れるのです。さらに、それを聞いている側の概念、考え方にも大きな影響を与えます。だから、自分が使っている言葉に対してもっと意識的になるべきです。僕もつい、無意識に言葉を発してしまうことがあるので、普段から気をつけなきゃいけないと思っています。

 「いつ結婚するの?」とか「子どもは産まないの?」という質問も同じです。相手が異性愛者で、結婚や出産が当たり前だと決めつけて話をしています。そして、それを相手にも押し付けています。

 いきなり通りすがりの人に「外人」と言って指を指すのも、できればやめた方がいいと思います(僕も幾度もされたことがあります)。その人は外国人らしい顔をしていても、外国籍ではないかもしれません。箸の代わりにフォークを出すのは親切心からだと思うけど、「この人はわたし達と違い、普通じゃない。」という概念の表れでもあります。それよりも、「何かお困りのことはありませんか?」と声をかけてくれた方が嬉しくなります。

 男性に対して「お仕事は何をされているんですか?」と聞くのに、その妻には何も聞かないのも、男が働くものだという固定概念があるからでしょう。もしかしたら、男性が主夫で、女性が仕事をしているかもしれないのに。

 誰に対しても、相手のことを決めつけず、「ご家族は?」とか、「普段は何をされているんですか?」、外国人っぽい方にでも「どこの国ですか?」ではなく「どこ出身ですか」といったニュートラルな言い方を心がけるといいんじゃないかな。

 僕ら芸人が特に注意しないといけないのはジョークの内容。例えば、恋愛について話している舞台から、観客の男性に「彼氏いますか?」と聞くと、男性は大体「いるわけないでしょ!」と突っ込んで、笑いはとれます。でも、この笑いは「男性は男性とつきあうなんておかしい」という固定概念に基づいたものだし、周りが笑うことでその概念を確認し、補強することにもなる。これが差別のもとにもなりうる。「ブス」、「デブ」、「バツイチ」などもオチに使いやすいが、どれも差別につながりかねないもの。気を付けないと。「ハーバード卒」とかは、いくら馬鹿にしてもかまいませんけど。

 他人に対する話し方や接し方を一つ一つ変えていけば、自分の思考回廊を書き直し、周りの皆さんの「当然」も少しずつ変えていくことができると思います。これが偏見解消の第一歩ではないでしょうか。

 一方、制度、組織、経済構造の変換も大切です。例えば、よく聞く「女性の社会進出」は概念とともに制度も変えないといけないでしょう。(ちなみに、この言い方にも意義があります。「会社勤めじゃないと社会に進出していないのか」っと突っ込みたくなりませんね。でも、それはおいておきましょう。)

 男女の役割を考えると、女性に「専業主婦」という選択肢はもちろん残すべきだと思うけど、男性にもその機会を与えて、やりたい人がやれるような優しい社会にできたら、もっといいと思います。もちろん、女性がバリバリ働くのも大歓迎です。だからこそ、性別による格差問題も早めに改善するべきでしょう。

 女性は少数ではありませんが、差別や構造によって社会的に弱い立場におかれている場合、マイノリティと呼ばれます。 そして日本は、学歴の高い女性が多いにもかかわらず、男女間の労働格差が大きな国です。OECDのデータによれば、韓国、エストニアに次いでワースト3位。

 労働基準法の男女同一賃金原則によって、女性であることを理由とした差別は禁止されていますが、現実には職務や技能などを理由にした差別も多いようです。また保育施設など、子どものいる人が働くための支援政策も他のOECD諸国に比べて少ないため、男女格差は縮まっていません。(上記の注意を踏まえて、決めつけに気を付けて書いていますが、男女間の意識が変わっても、男性の方が稼げるから母親が育児担当にする選択肢をとる家庭も多いから結局はやはり「困っているのはお母さん」状態になりますね。)

 こうした問題は、企業が自発的に直していくことはあまり期待できないかもしれませんね。日本の場合、まず自治体や役所から改善していくと、いいんじゃないかな。今は売り手市場で優秀な人材の取り合いになりつつありますから、まず自治体がこうした環境を整えれば、企業も足並みを揃えていくかもしれません。また、託児所が充実し、賃金や昇進率の差がない職場が好まれることがわかれば、その付加価値でよりよい人材確保を目指す企業も増えるはずです。

 男女格差がなくなれば、主夫をする男性や多様な働き方の家庭も増えるかもしれません。

 当然、働く女性も増えます。日本経済にとっても有益ですね。というか、少子高齢化による労働力不足で悩まされる中、これが大事な救済策になりうるかもしれません。安倍晋三首相は目標として「女性の社会進出」を高々と挙げているが、本腰を入れているとは、まだ思えません。

 もったいないです。LGBTQの問題もそうだが、伝統と異なる人道的な課題に対して解決を進めると、保守派からの反発が避けられない。その抵抗勢力となりうる人々を巻き込むことができる保守派政権が取り掛かると、成功率がぐんと上がるのです。稀に見る、安定している長期政権にとって、大チャンスです!

 もし政府が動かなくても、僕らは動くべきでしょう。個人個人の心の中、他人とのコミュニケーションの中、社会・経済活動の中、制度や組織の中で、様々な場所で変化が起きることが必要になります。でもそれができたら、性的マイノリティにとってはもっと暮らしやすい、働きやすい、リアルな人間関係がもちやすい世の中になっていくはずです。より公平で優しい社会とともに、より平等で活発な経済ができるはずです。偏見や差別を乗りこえるのは安易じゃないですが、我が子のためにも、他人の子のためにも、僕ら全員のためにも頑張ってみる価値があると思いませんか。

 

次回、第20回  信用が失われたメディアとどう向き合うかは、7月13日(金)公開予定です。

 

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