イラスト/赤池佳江子
青沼陽一郎
侵略する豚
〜日本の食肉とTPP〜
牛肉であれば産地にこだわるのが日本人。では豚はいかがか。
肉食が根付いたのは明治期とされるが、江戸期にも好んで食した人々がおり、ときにそれは争いの種となった。
明治維新から150年、いまや圧倒的な量の豚肉や牛肉が太平洋を行き交い日本海を渡っている。安くておいしいのはありがたいが、本当にそれでよいのか。農を守る以前に、食は生き方を選ぶこと、というあたりまえのことが忘れられてはいないか。
世界各地に目を向け、過去と現代を往来する本格ノンフィクション。まずは、幕末の江戸城桜田門から、TPPを巡る旅に出よう。
第1回 桜田門外の変
大老井伊直弼襲撃の図。安政7年(1860)3月3日朝、雪のなかを登城する井伊を18名の水戸・薩摩両藩士が江戸城桜田門外で襲った場 面を描いたもの。月岡芳年画『安政五戊午年三月三日於テ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図』 六枚続、うち左二枚 ©国立国会図書館

 白濁の空から、淡い影が浮かび上がると、それは柔らかい形になって、見上げた顔面に降り注ぐ。
 雪だ。それも結晶がいくつも連なるように、重たい塊となって舞い降り、やがて地上の風景を白に変えていく。
 なぜ、この時季に雪なのだろう。
 江戸に暮らす人々は、一様にそう思ったに違いない。
 今日は3月3日。ただし、それは旧暦だから、現代の暦に置き換えると、3月24日になる。平成の東京ならば、桜が咲き乱れていてもおかしくはない。そこに雪が降ったのは、安政7年、西暦に直すと1860年のことだった。
 予想もしなかった天候に驚かされたのは、江戸城桜田門の前で、その時を待つ水戸藩士たちもいっしょだった。いや、前日には脱藩状をしたため託していたから、もはや身分は浪人を自覚していた。ここに薩摩藩士だった有村次左衛門が加わった18人は、城のほり側と松平大隅守の屋敷の塀の前と二手に分かれ、さらに松平邸と道を挟んだ東側の上杉邸の前には、関鉄之介と岡部三十郎が立っていた。関はいわば現場指揮・監督役、岡部は事態を見届けて報告に走る役回りだった。ここに平成の地図を重ねるのなら、警視庁の正面玄関の前に、内堀通りを挟んで二手に分かれ、法務省の赤レンガ棟の角に関と岡部がいたことになる。
 空を見上げても雪は一向に止む気配はない。
 春の牡丹雪は、道を踏みしめる足裏にこびりつく。暖が恋しい。
 昔もいまも、3月3日といえば、上巳じょうしの節句、俗にいうひな祭り、桃の節句にあたる。大名にとっては登城日だった。城内へは大手門、もしくは桜田門から入城する。水戸の浪士たちは、その大名行列の見物を装い、手には「武鑑」をそれぞれ持っていた。いまでいうところの「タレント名鑑」「プロ野球選手名鑑」のようなもので、大名の情報がすべて載っている。それとつきあわせながら、大名を見物するのが、江戸の流儀だった。
 午前8時。登城を伝える太鼓が江戸城で鳴らされた。大名たちは、午前10時までに入城するのが決まりだった。浪士たちは、決行の時刻を午前9時と定めていた。その頃に、相手は桜田門をくぐるはずだ。
 来た!
 北西に大きく曲がる堀沿いの坂道を、こちらに下ってくる大名の行列だ。
 だが、それは浪士たちの目当てのものではなかった。装いや武具の特徴からして、明らかに尾張藩のものであることがわかった。その行列が、目の前を通り過ぎ、桜田門の奥に消えていくのを見送る。
 違う。これではない。
 すると、尾張家がやって来た方角に見える大名屋敷の門が開いた。いまの憲政記念館、内堀通り沿いに首都高が併走するあたり一帯にあった彦根藩主の井伊家の屋敷だ。そして、行列に交じってゆっくりと豪華な駕籠が出てきた。間違いない。大老、井伊直弼を乗せている駕籠だ。
 駕籠を囲む従者たちは、笠を被り、雨合羽を着込んでいる。槍には黒い布が被せられ、刀のつかは柄袋で覆われていた。雪支度が彼らの動きの自由を奪っている。
 直弼の一行は、浪士たちに近づくにつれ、春の牡丹雪が重くのしかかり、すべてが白く覆われていった。
 あの駕籠の中に、宿敵がいる。だが、顔も見たことがない。それでも、憎むべき相手。
 やがて、行列の先頭が浪士たちの前を通り過ぎ、桜田門に通じる濠の橋にかかろうとしたときだった。その前に、ひとりの男が立ち塞がった。水戸の森五六郎だった。
「直訴!」そういう声がしたが早いか、抜いた刀で、行列の先頭を歩いていた者にいきなり斬りかかった。たちまち白銀の世界に、赤い血潮が飛び散った。
 手はずどおりだった。そして、予測していたとおりに行列は滞り、駕籠の脇を固めていた供回りたちが、混乱の起きた先頭へと向かう。直弼の駕籠は無防備になった。
 その瞬間だった。
「パーン!」
 乾いた音がした。なにかが弾けるようなその音は、水戸の脱藩浪士が手にしていた短銃の発射音だった。彼らはこの襲撃に備えて、5丁の拳銃を携えていた。そのうちの1丁が火を噴いた。
 これを合図に、通りの左右で待ち構えていた浪士たちが一斉に斬りかかった。
 なかでも稲田重蔵は、抜いた刀の切っ先を前に向けて突進すると、そのまま駕籠を扉から突き抜いていた。手応えはあった。
 だが、稲田はすぐにとって返した彦根藩士が振り下ろした刀で、顔から肩にかけて切られた。すぐに他の浪士たちが、この彦根藩士に斬りかかる。
 すると、こんどは稲田の刺したのとは反対側に薩摩の有村が取り付いた。扉を力ずくで開け放つと、なにやら叫びながら中にいた人物を引きずり出し、そして次に有村が立ち上がったときには、その刀の先に切り落とした首が刺して掲げられていた。井伊直弼の首だった。
 なにか叫んでいる。だが、薩摩弁だったのか、なにを言っているのか判然としない。しかし、元来の目的を成し得たことは十分に理解できた。
 浪士たちは、そのまま東に向かって遁走をはじめた。
 これが世に言う桜田門外の変である。わずか数分の出来事だった。

※引用は現代かなづかいを原則としました。 ※一部、著者の判断で加筆した部分があります。 ※引用・参考文献一覧は連載最終回に掲載します。
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