イラスト/赤池佳江子
青沼陽一郎
侵略する豚
〜日本の食肉とTPP〜
牛肉であれば産地にこだわるのが日本人。では豚はいかがか。
肉食が根付いたのは明治期とされるが、江戸期にも好んで食した人々がおり、ときにそれは争いの種となった。
明治維新から150年、いまや圧倒的な量の豚肉や牛肉が太平洋を行き交い日本海を渡っている。安くておいしいのはありがたいが、本当にそれでよいのか。農を守れという前に、自らの食を忘れてはいないか。
世界各地に目を向け、過去と現代を往来する本格ノンフィクション。
開国か攘夷かで揺れる幕末をスタートに、TPPを巡る旅はアメリカをへて60年代の日本へ。
第26回 ホッグ・リフト
山梨県からアイオワ州に贈られた鐘(上)と当時の県知事の謝辞が記された案内板。地元の豚肉生産者団体によって数年前に全面改装された。アイオワ州デモインにて/著者撮影

 日本の畜産の歴史を変えた前代未聞の空輸プロジェクトを「ホッグ・リフト(Hog Lift/hog=大人の豚)」と呼んでいる。それまであり得なかったことが現実となって、日本の豚は本当に空を飛んでやって来たのだ。
 だが、人々が情熱と希望といっしょに受け入れたこの35頭の豚の陰には、支援を通り超したもっと壮大な目論見があった。35頭の豚はその大きな戦略においては、ほんの1コマに過ぎず、それに比べたら豚の空輸などは、本当に「些細なこと」だった。
 ひょっとしたら、銀翼の下で涙したトーマス曹長は、その策略を知っていたのかも知れない。純粋な援助だけでは済まないもうひとつの構図が隠されていたことを。
 そこに横たわるもうひとつの――というより、こちらが本筋であったはずの戦略の正体を知るカギは、1冊の絵本の中にある。
 2010年4月、オバマ政権で農務長官を務めていたトム・ヴィルサックは夫妻で山梨県を訪れていた。
 ホッグ・リフトから50年を記念した行事に出席するためだ。
 ヴィルサックは、農務長官に就任する前は、アイオワ州の知事だった。1998年の初当選から2期務め、バラク・オバマが民主党候補として当選を果たした2008年の大統領選挙に出馬を表明。資金面の問題で選挙戦からは早々に撤退したが、オバマ大統領の就任に伴って、現職にあった。
 山梨に向かう前には、東京で当時の鳩山由紀夫内閣の赤松広隆農林水産大臣と会談している。日本のTPP交渉参加を政策課題に取り上げるのは、この年の秋に発足する菅直人内閣だが、訪日前の記者会見でヴィルサックが「究極の目標は市場の完全な開放だ」と述べているように、その感触を探る前哨戦に近いものだった。会談では、BSE(牛海綿状脳症)による米国産牛肉の輸入制限の緩和を求めている。菅内閣では、ほとんどの閣僚が留任したが、この会談のおよそ2週間後に宮崎県で発生した口蹄疫の対応の遅れから、赤松農相は交代させられている。
 東京から山梨へは、新宿発の特別列車が5両編成の貸切で用意された。ここには、ヴィルサック夫妻の他に、農務省の高官から、当時のジョン・ルース駐日大使をはじめ大使館関係者と、それにアイオワ州の畜産関係者が同乗していた。
「ぼくもいっしょに行ったよ。山梨の……えっと、あれは確か……“K”ではじまるところだったな……、なんと言ったかな? あの街の名前」
 おそらく列車の到着駅である”甲府”のことを言いたかったのだろう。それから4年後、“豚のロビイスト”と同じアーリントンのホテルで出逢ったアイオワ州の養豚業者のコーリー・ネルソン(Couley Nelson)が言った。彼は同州の豚肉生産者の団体の幹部を務めていた。
「とってもいい経験だったよ。街は、どこへ行っても整理されていて、ゴミは落ちていないし、綺麗で感心した」
 アイオワの養豚家には、“侍”のパレードの記憶が残っていた。毎年、この時季に行われる「信玄公祭り」の「甲州軍団出陣」の催しを見たのだ。地元の人々からは、上辺だけでなく、友好的で、もてなしを大切にしている印象を受けたという。
「いまでも山梨の人との交流はある。頻度は覚えてないけど、人が交換で来るんだ。それに、デモインには山梨が贈ってくれた“カネ”が置かれている」
 実は、ホッグ・リフトの35頭の豚のお礼に、山梨県では大きな青銅の梵鐘をアイオワ州に贈っている。
「最近、大規模な改装作業をしたんだよ。養豚業関係者の寄付によってね」
 州都デモインの官庁街に建つ州最高裁判所の脇には、そこだけ空気が違うように日本の鐘楼が建っている。この支援に対する感謝と友情の証として、山梨県が当時贈った鐘がいまもぶら下がっている。
「それに山梨にいっしょにいったヴィルサックは元アイオワ州知事だし、夫人は図書館協会の会長だったんだ。それでこのホッグ・リフトについて絵本を作って、州のすべての小学校に配布したんだ」
 ソファが並んだ応接室はもとより、マッサージ機の置かれた休憩室まであった新宿発甲府行きの貸切特別列車には、山梨の小学生たちに配るために、この絵本が積まれていた。ヴィルサックがアイオワ州の知事だった2004年に、ファーストレディーのクリスティ・ビルサックがつくったものだ。
 その絵本には、表紙にふたつの表題が付いていた。
 ひとつは横書きの英語で、
『Sweet Corn and Sushi / THE STORY OF IOWA AND YAMANASHI』
 とある。直訳すれば「トウモロコシと鮨」となりそうなところだが、もうひとつの表題には縦書きの日本語でこうある。
『海の向こうの特別な友だち アイオワと山梨の物語』
 その表紙絵には、見るからに米国と日本の少年とわかるふたりが互いに背中を寄せ合い、漢字の「人」をつくり、その足と足の間に挟まるように1匹の子豚が顔を出してこっちを向いている。
 そのまま表紙を開くと、珍しいことに、英語と日本語で同じ文面の記載がある。
 その書きだしには、こうある。
〈遠くはなれた、たくさんの違いのある、二つの美しい土地それぞれに、誇り高い人々が住んでいました。
 これは、その人たちの間にめばえ、大きく花開いた、すばらしい友情の物語です。〉
 戦後はじめて州と県レベルでの姉妹都市関係を結んでいるアイオワと山梨。その経緯をまとめた“友情”の物語だ。

※引用は現代かなづかいを原則としました。 ※一部、著者の判断で加筆した部分があります。 ※引用・参考文献一覧は連載最終回に掲載します。
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