イラスト/赤池佳江子
青沼陽一郎
侵略する豚
〜日本の食肉とTPP〜
牛肉であれば産地にこだわるのが日本人。では豚はいかがか。
肉食が根付いたのは明治期とされるが、江戸期にも好んで食した人々がおり、ときにそれは争いの種となった。
明治維新から150年、いまや圧倒的な量の豚肉や牛肉が太平洋を行き交い日本海を渡っている。安くておいしいのはありがたいが、本当にそれでよいのか。農を守れという前に、自らの食を忘れてはいないか。
世界各地に目を向け、過去と現代を往来する本格ノンフィクション。
開国か攘夷かで揺れる幕末をスタートに、TPPを巡る旅はアメリカをへて60年代の日本、そして中国へ。
第45回 毒食の系譜
湖南省の名物料理、豚肉の醬油煮。ニンニクがごろごろ入っている/著者撮影

 米国のホームステイから帰国した習近平は、その直後に父親が経済特区にした厦門市の副市長になる。
 そこから15年後の2000年には当時の最年少で福建省の省長にまで出世すると、翌01年8月にテレビ番組に出演し、こんなことを語っている。
「私が福州ふくしゅう(=福建省の省都)に着いて最初にしたことは、ちゃんとしたレストランを見つけることでした。正直な話、いま、ものを食べたり飲んだりするのは実に煩わしいことです。コメを食べるときは有毒米かどうかを心配し、野菜を食べるときは残留農薬を心配しなければならないんですからね」
 いきなり自国の“毒食”について、はっきり公言してのけたのだ。01年といえば、日本でも中国産の冷凍ホウレンソウから基準値を上回る高濃度の残留農薬が検出され、中国産食品の安全性が疑われはじめた時期だ。
 習省長は続けてこう語った。
「私の友人に画家がいるんですが、彼は豚のレバー料理が大好きで、酒の肴はきまって豚レバーでした。ところがあるとき、絵筆を握る手が震えだし、描けなくなったというのです。病院で診察してもらった結果、肉赤身化剤、つまり塩酸クレンブテロールが原因だとわかりました。その後豚レバーを食べるのをやめたら、よくなったそうです。肉赤身化剤は非常に危険なものだと思いますよ」
 中国で“肉”と言えば、豚肉のことをさす。世界でもっとも牛肉が消費されているのが米国ならば、豚肉は中国が世界一の消費国だ。
 その中国では、赤身の多い豚肉が高額で取引される。そこで、中国国内で豚肉の脂身を減らし赤身肉を増やす『痩肉精ショウロウジン』(「痩肉」は中国語で赤身肉)と呼ばれる添加物が餌に混ぜて使われるようになった。習省長のいう「肉赤身化剤」だ。
 ところが、90年代後半からこの『痩肉精』による中毒事件が相次いで起こる。
 まず、98年春に香港で発生する。これにより、飼料への同剤の使用が禁止されるのだが、00年1月には浙江省杭州市で数十人の集団中毒が発生。
 さらに、01年3月には広東省順徳市で630人以上が、同年8月には広東省信宜北界で約530人、06年9月にも上海市で浙江省海塩県産の豚肉を食べた336人が中毒を起こす事件があった。その事例を並べたらキリがないほどだ。
 この『痩肉精』の主成分は、喘息の治療にも使われる「塩酸クレンブテロール」が主流だった。人体に入ると吐き気、目眩、無気力、手が震えるなどの中毒症状が現れ、毒性が高い。だが、これを与えた豚は一種のドーピング効果により、急速に赤身肉が増す。
 実は、これより早い時期に中毒が問題になったのが、欧州だった。90年にスペインで報告され、次いでフランス、イタリアでも同じ中毒事件が起きている。主に内臓料理を食べたことによるものだが、その頃から、EU圏では警鐘が鳴らされていたのである。
 この問題について、中国で最初に言及したのが、当時の習近平だった。テレビ番組で彼は続ける。
「私たちは、外国から検査機器設備を入れました。この機械は尿サンプルで調べますが、陽性と出れば塩酸クレンブテロールが含まれていると判断できます。私たちは今、近代的な屠場を建てています。全国で初めてです。屠場をコンピュータ化して、毎日、屠畜する豚の頭数、市場に流れる頭数を随時、検査センターにフィードバックします。ラインの数より多くの頭数が出たら、ヤミとわかり、追跡調査できます。私たちは各クラスの役所に法の遵守を強化せよとハッパをかけているところです」
 もうこの頃から、食の安全に強い関心を抱き、施政に反映させていたことがわかる。
 中国の毒食の歴史は、人民公社の廃止にはじまるとされる。
「人民公社がなくなって、作ったコメが自分のものになるようになってからは、みんな備蓄するようになった。相場を見て売る。ところがかびが生えてしまうから、もう一度精米をして売ろうとする。だけど削り過ぎて見た目が悪くなる。だから、艶出しに工業用ワックスを塗って販売した」
 度重なる中国取材で、私が現地で聞いた実話だ。
「食品の問題で有名なのは、白酒パイチュウに工業用のアルコールを混ぜて販売して、みんな目が悪くなっちゃったこと。85年くらいのことだった」
 他にも、四川省などでは牛脂を使うはずの鍋に、見た目がいいからと工業用ワックスを使っていたことや、湯葉を漂白剤で白くしていたこともあったという。
「中国人でもそんなのは信じられないよ」
 無知と欲望がいっしょになって、人為的に毒食が拡散していく。そこに経済発展に伴うカネ儲け志向によって、他人の健康を顧みない確信犯的な毒食が氾濫する。豚の赤身肉が高く売れるからと、赤身を増強する『痩肉精』がそのいい例だ。
 それがいまでは、人為的な毒食だけではなくなった。健全な農業を営もうにも、収穫される作物が毒にまみれてしまう。土地が穢れてしまった。中国の大地に限界が来ている。
 その中国で再び毒食問題が顕著化し、世界中で中国食を不安視する声が高まったのは、習近平が国家主席に就任した2013年の夏のことだった。
 上海の川では死んだ豚が大量に流れ着いて大騒ぎとなり、かつて習近平の父が省長を務めた広東省広州市圏では、基準値を遥かに超えるカドミウム米の流通が発覚して問題になった。広州市の食品薬品監督管理局が、1〜3月に同市の市場で行った18種のコメの検査で、半分近くがカドミウムの含有量が許容限度を超えていたという。カドミウムは、癌や腎機能障害を引き起こすとされ、日本では四大公害病のひとつイタイイタイ病の原因物質としても知られる。
 この汚染米は、そのほとんどが隣の湖南省で収穫され、出荷されたものだった。
 湖南省は「魚米の里」と呼ばれ、古くから水資源が豊富な、淡水魚と米の産地として知られた。
 しかも湖南省といえば、中国人が必ず思い付くことがある。

 毛沢東──。

 奇しくも湖南省は習近平が回帰路線を掲げる毛沢東の生誕の地だった。
 そんな土地が鉱毒で汚染される。
 ならばその現場を見てみたい。その思いを強くしたのは、もうひとつ理由がある。

 豚の醬油煮──。

 毛沢東は豚肉料理それも「醬油煮」が大好物だった。中国を巡るこの旅も、どこか豚に縁がある。

※引用は現代かなづかいを原則としました。 ※一部、著者の判断で加筆した部分があります。 ※引用・参考文献一覧は連載最終回に掲載します。
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