イラスト/赤池佳江子
青沼陽一郎
侵略する豚
〜日本の食肉とTPP〜
牛肉であれば産地にこだわるのが日本人。では豚はいかがか。
肉食が根付いたのは明治期とされるが、江戸期にも好んで食した人々がおり、ときにそれは争いの種となった。
明治維新から150年、いまや圧倒的な量の豚肉や牛肉が太平洋を行き交い日本海を渡っている。安くておいしいのはありがたいが、本当にそれでよいのか。農を守れという前に、自らの食を忘れてはいないか。
世界各地に目を向け、過去と現代を往来する本格ノンフィクション。
開国か攘夷かで揺れる幕末をスタートに、アメリカ、日本、中国を巡った旅は終わりへと向かう。
第51回 米国食肉輸出連合会
米国食肉輸出連合会(USMEF)総会の豚肉委員会。年次報告に耳を傾け、さらなる輸出促進戦略を練る。前方のスクリーンには豚肉輸出の主要相手国のデータが映し出されていた/撮影著者

「“YAKINIKU”(焼肉)というのは、もはやアジアの共通語なんですよ」
 セング会長兼CEOが続けた。
「いま、アジア各地に行ってみると、どこでも“YAKINIKU”の看板を見ることができる」
 韓国を凌ぎ、もはや日本を発祥とした独自の牛肉の食べ方は、アジア諸国でも人気を呼んでいる。みんな美味いと思う。それだけ、日本の食文化は世界へも影響を与える。
「だから、そこへ米国産の牛肉を持っていけばいい。こうすれば売れる、ということを日本が教えてくれる。日本が米国に考える機会を与えてくれる」
 彼がいうように、基礎となる情報が世界中から本国に伝えられ、分析され、そして出資者に伝えられる。ビーフ・ボードのCEOが“YAKINIKU戦略”を語っていたのも、世界中にネットワークを持つ彼らの諜報と戦略があってのものだった。
 その連合会が年に一度、総会を開く。
 世界中から職員が集まり、全米から食肉関係者や会員が参集し、米国農務省(USDA)の役人も出席する。
 首都ワシントン。アーリントンのホテルに私が向かったのは、この総会のためだった。そこにやって来ていた、豚のロビイストに会い、ビーフ・ボードの最高経営責任者の話を聞く機会を得た。そこで知るのは、すべてにおいて分業制が確立していることだ。役割分担と専門性が明確になりながら、それがひとつの大きな組織となって効率的に躍動する。そこで打ち立てた戦略に基づいて、いつしかオールアメリカンで世界に向かっている。
 日本のように農家の単体に“6次産業化”を求めたり、各自治体がバラバラにブランド牛を立ち上げて競合し、独自の海外販売路線を求めるようなことはしない。
 ここに集う人々は情報を共有し、戦略を立てる。
 総会では、牛肉と豚肉の各委員会に分かれて、年次報告が行われる。
 さすがカウボーイの国だけのことはある。牛肉委員会の会合では、普通にカウボーイハットを被り、先の尖ったブーツに、色鮮やかで派手なジャケットを纏った体格のよい男たちの姿もある。
 地方からやって来た牧場主たちだった。いまでも田舎に行くと、カウボーイスタイルの人が多い。ブーツのデザインや、ジャケットの派手さをみんなで競う。
 だからといって、考え方まで保守的であることはなかった。
 そして、もうひとつ別室の豚肉委員会。こちらでは、さすがにカウボーイ姿はなかったが、スクリーンに映し出される豚肉輸出のグラフを見つめ、輸出の動向についての報告に耳を傾けている。
 グラフには、メキシコが豚肉の輸出量で、もっとも多いことが示されている。2番目は日本だ。だが、これが取引額となると、逆転し、日本がメキシコを抜いてトップに立つ。
 豚肉の工場で見たように、豚の脳みそまで食べるメキシコへは内臓や脂など、安い部位が輸出される。日本には、ヒレやロースといった高い肉が送られる。トンカツを連想すればよい。それだけ高級部位肉に需要がある日本は、米国にとって最大のお得意様なのだ。
 そして順次、世界各国の取引事情について報告がなされていく。
 その中で議題は中米に向かう。
「ホンジュラスの人たちは、豚肉をほとんど食べない。それはどうしてなのか、現地の人々に聞いてみました」
 報告者は、パワーポイントを示しながら、真剣にそんなことを語っている。
「すると、一番多かった答えは、
『豚を食べると、脳に虫が湧くから』
 というもの。次に多かった答えは、
『豚を食べると、その夜に悪夢を見るから』
 というものでした」
 これを委員会幹部はじめ、聴衆の食肉関係者が笑いもせずに聞いている。そして、報告者はこう結論づける。
「従って、ホンジュラスでの市場拡大には、まず教育からはじめるべきです。しっかりした教育を与えることで、豚肉の需要はもっと伸びるはずです」
 こうした年次報告の中に、いうまでもなく日本の市場についてのものもある。
 報告者は米国の大学教授だった。そのレポートが、日本が独自で豚肉にかけている「差額関税制度」について触れたときだった。聴衆から女性の大きな声が響いた。
「NO!」
 長い金髪の女性で歳もまだ若い。彼女はコロラド州デンバーにある同連合会本部の職員だった。彼女は大学教授の説明に「その解釈は間違っている!」「正確ではない」として、毅然と意見表明しているのだ。
 真剣だった。まるで喧嘩でもしているような声の張り方だった。だが、彼女は日本の養豚関係者ですら理解に苦しむほどの関税制度をしっかりと熟知していた。そんなスタッフたちが輸出拡大の戦略を着々と練る。
 それが確実に功を奏す。
 ポーク・ボードの公式サイト『Pork Checkoff』には、この翌年(2015年)の米国の豚肉輸出相手国のランキングが掲載されている。それを見ると、相変わらず日本は取引額で、メキシコは重量でトップだったが、それよりも驚かされたのは、前年までトップ10にも入っていなかったホンジュラスの輸出取引が第10位に入っていたことだった。それといっしょにドミニカも急上昇している。中米戦略が確実に成功しているのだ。

参考:第20回「逆転の構図」に前年2014年の米国豚肉輸出相手国トップ10を掲載
出典:http://www.pork.org/pork-quick-facts/home/stats/u-s-pork-exports/top-20-markets-for-u-s-pork-exports/

 その同じ議論の中で、委員長に発言を求めて、やたらと日本を悪く言う人物がいた。TPPが発効すればもっと豚は売れる! なのに合意に至らないのは、日本のせいだ! そう豪語して会場を静まり返らせたのは、豚のロビイストことニックだった。

 総会は3日間の予定で開催された。
 その最終日。全体のビジネスセッションとして、パネルディスカッションが行われていた。壇上にはパネラーとして、在ワシントン・アイルランド大使、米国農務省海外農務局局長次官補、それに大手海外コンサルティング会社社長が並ぶ。
 その冒頭、まずは司会進行役からのこんな発言からはじまった。
「いま、世界の秩序が崩壊しつつあります。まさに日本では新しい経済振興策(アベノミクスのことだろう)を打ち出しているところであり、加えてISIS(イスラミックステイト)の問題、ウクライナ情勢も深刻です。そこへ来て問題なのは中国です。新しい世界状況にどう対応していくのか、そこがはっきりしない……」
 つまり、台頭する中国の脅威を話題に取り上げるところから話がはじまっていく。
「中国はこれまで世界の標準を作る国ではなかった。開放政策をとっていく中で、世界に顔を出す国ではなかった。WTOへの加盟でも、先に決まったことを中国が受け入れる形で行われてきた。ところが、金融危機以降中国は国際舞台に顔を出すようになってきた。軍事的にも強く、政治的影響力を持つようになり、世界のルールを変える、あるいは策定する力を持つようになってきた」(農務省局長次官補)
 そこから、食の安全のグローバル化、標準化の難しさについて話が向けられた時だった。そこでも躍進する中国の存在が事態を複雑化させている。
「それは『ラクトパミン』のことを言っているのですか」
 パネラーのひとりが口にした。
 ラクトパミン(塩酸ラクトパミン)とは、興奮剤、成長促進剤としての作用があり、主に赤身肉を多くさせる目的で、米国では豚の肥育最終段階(出荷前45〜90日)で使用される。
 この安全性について、国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が共同で組織し、食品の国際規格を設定するコーデックス委員会は2012年7月5日に、動物組織に使用する場合の最大残留基準値を設定している。つまり、豚肉や牛肉における安全とされる残留基準値だ。だが、これは米国の提案による参加国の票決による決定で、しかもその内訳が賛成69票、反対67票という僅差によるものだった。これに猛反発しているのがEUだった。
 その翌日、EUは早速声明を発表し、「データが十分でなくヒトへの健康影響が除外できない」として、使用肉の輸入すら断固拒否している。
 これとまったく同じ立場をとるのが中国だった。
 もともと中国では、豚肉の脂身を減らし赤身肉を増やす「痩肉精」(第45回 毒食の系譜)と呼ばれる添加物が使われていた。
 そう、習近平が福建省の省長の時代に、食の安全について言及した肉赤身化剤だ。
 中国はとにかく肉赤身化剤は一掃したい。全国で中毒を引き起こしたトラウマがある。国家主席がそのことをよく知っている。
 だが、米国ではそうは受け取らない。
「中国はEUのやり方を真似ている。EUの規制に中国が傾いている」
「動物防疫上の理由から貿易を阻害している国」
 そんな意見がパネラーから飛び出すほど、米国にとってみればEUと中国が歩調を揃えて映るのだ。
 そして、台頭する中国の脅威をこう表現する。
「これからは、中国が食の安全のルールを決めていく」

※引用は現代かなづかいを原則としました。 ※一部、著者の判断で加筆した部分があります。 ※引用・参考文献一覧は連載最終回に掲載します。
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