イラスト/赤池佳江子
青沼陽一郎
侵略する豚
〜日本の食肉とTPP〜
牛肉であれば産地にこだわるのが日本人。では豚はいかがか。
肉食が根付いたのは明治期とされるが、江戸期にも好んで食した人々がおり、ときにそれは争いの種となった。
明治維新から150年、いまや圧倒的な量の豚肉や牛肉が太平洋を行き交い日本海を渡っている。安くておいしいのはありがたいが、本当にそれでよいのか。農を守れという前に、自らの食を忘れてはいないか。
世界各地に目を向け、過去と現代を往来する本格ノンフィクション。
開国か攘夷かで揺れる幕末をスタートに、アメリカ、日本、中国を巡った旅は終わりへと向かう。
第55回 第3の武器
 ホワイトハウス。見物に訪れた観光客が柵越しに見える場所に敷地内の菜園について解説する案内版が置かれていた。オバマ政権当時/いずれも著者撮影

 第45代米国大統領に就任したドナルド・トランプは、選挙中から自らの支持者を「サイレント・マジョリティ」と呼んだ。だが、この言葉を最初に使ったのは、彼ではない。第37代大統領のリチャード・ニクソンだった。
 長期化、泥沼化するベトナム戦争で、米国内には反戦運動が高まっていたさなか、1969年11月3日のテレビ演説で「グレート・サイレント・マジョリティ」と呼び掛けた。声高に反戦を叫び、活発に運動しているのは、実は少数派であって、国民の多くは声にしないだけで戦争には賛成しているはずだ。この戦争を勝利に導くと誓い、支持を求めたのだ。
 ベトナム戦争に反対するのは、都会に住むインテリやリベラルといった富裕層のホワイトカラーが多いのに対し、徴兵されベトナムに送られるのは田舎の白人ブルーカラーやその子どもたちが多かった。そこに兵役を巧みに逃れて過激な反戦運動に身を投じる大学生や、反体制的なヒッピーへの反感も加わる。
 72年の大統領選挙では、この「サイレント・マジョリティ」を選挙フレーズに掲げたニクソンが、50州とD.C.を合わせた51選挙区中49州で勝利する圧勝で再選を果たしている。
 73年、そのニクソンが大豆の緊急輸出禁止措置をとった。
「豆腐が食えなくなる!」
 いまでも国内自給率が6%しかなく、輸入も65%を米国に依存する日本国内は大騒ぎになった。
 この同じ73年には、もうひとつ日本をはじめ世界中を揺るがす事態が起こる。
 オイルショックだ。10月の第4次中東戦争に端を発し、原油産出国が生産調整をしながら、原油価格を操作し、世界の経済を混乱に陥れることに成功した。すなわち戦略物資としての石油が、そのまま武器となることを世界に知らしめた。同時に産出国に吸収される巨額のオイルマネーは、世界の金融相場を動かすまでになった。
 破壊と殺戮を目的とした通常の火力兵器が第1の武器とするならば、第2の武器は石油だ。
 マイノリティとは言え、ベトナム戦争は国内世論を二分し、反戦運動は過激になり、ヒッピーに象徴されるように若者は薬物に染まり、厭世的、自堕落に退廃し、映像報道によるジェノサイド(虐殺)、エコサイド(環境破壊)、バイオサイド(生物破壊)の現実は、あらゆる武力兵器の使用が国内により強く反発を招くことを米国は知った。
 ならば、その次をいく戦略物資はなにか。
 当時の気候変動と穀物市場の動向を見据えながら、翌74年夏には米国CIAが「世界の人口・食糧生産・気象傾向の潜在的意味」と題する報告書を作成している。その中にはこうある。
〈もし現在の世界的な気候の冷却化傾向が続くなら、ソ連、中国など高緯度地域の穀物生産は、生育期間が短くなっておち込むほか、アジア・モンスーン地域やアフリカも悪影響を受ける。その場合、アメリカとアルゼンチンだけが備蓄の余裕のある穀物生産国として残り、アメリカは全世界に対し第二次世界大戦直後をしのぐ経済的、政治的支配力を持つに至るだろう〉
 日本の戦国時代には「兵糧攻め」という戦法があったように、人は食料を奪われては生きてはいけない。食料供給を握ることによって、人の生死さえ左右できる。食料はそこにおいて「第3の武器」となる。
 むしろ、食料ならば援助という名目で人道的にも利用できる。火力兵器による残虐性も、武器としての本質も封印され、国内世論の反感を買うこともない。ベトナム戦争で失われた米国の威信も道義的に回復できる。そうだ、支援の名目で日本に生きた豚を送ったことに感謝こそされる。
 反対に食料を依存する国は、どうしても供給国に従属的、硬直的にならざるを得ない。
 米国それも共和党には、食料による支配構造の概念が脈々と続く。
 2001年7月27日、やはり共和党のジョージ・W・ブッシュ大統領は、ホワイトハウスに招いた将来の米国農業を背負って立つ「米国の未来の農業者を支援する国立機関(National Future Farmers of America Organization)」の若い会員に向けた演説の中で、こう語っている。
「君たちは、国民に十分な食料を生産自給できない国を想像できるかい? そんな国は、国際的な圧力をかけられている国だ。危険に晒されている国だ」(第22回に詳報)
 これがいったいどこの国を意図したものかは定かではないが、食料自給率39%の日本は、戦後の食料支援にはじまり、現在でも穀類を中心に米国に食料の3分の1を依存している。それでも日本は米国の食料支配のもとに対米追従型の経済発展を遂げてきた。
 そのことをとっても、食料が武器になることは、米国はもっと早くから知っていた。第3の武器と呼ばずとも、これを利用していた。
 ブッシュのあとにホワイトハウスに入ったのは、初の黒人大統領となった民主党のバラク・オバマだった。そのファーストレディのミシェル・オバマはホワイトハウスに菜園を造ったことで話題を呼んだ。
 ホワイトハウスに畑ができるのは、第二次世界大戦中にルーズベルト大統領のエレノア夫人が「ヴィクトリー・ガーデン」という農園を築いて以来のことだ。
 もっとも、2つの農園の存在は事情が異なる。ミシェル夫人が菜園を開いたのは、全米で問題となっている肥満対策のためだ。オバマ政権の掲げる医療改革、医療費削減には、野菜もしっかり摂る健康な食生活によって肥満を減らす、そのアピールが狙いだった。
 オバマも肥満対策には積極的で、バイデン副大統領とホワイトハウスの中をジョギングするプロモーションビデオで運動不足の解消を呼び掛けたほどだ。
 ミシェルは菜園で穫れた野菜をホワイトハウスの宴席で振る舞ったり、地元の子どもたちを招いていっしょに収穫して味わうなど、食育にも力を注いでいた。
 それに比べると、戦時中の「勝利菜園」は、明らかに国家を挙げての食料の増産体制に入ったことを意図していた。ホワイトハウスに農園ができたことは、それだけ国威発揚を促していた。
 同じ戦時下で、食料不足に苦しんだ日本人からすれば、それだけ必死に食料の確保に邁進したように推察できる。
 また、日米開戦によって、米国に暮らす日系人が収容所に強制収容されたことは有名な話だ。このとき、米国の農業就労者の大半を日系人が占めていた。強制収容によって、農業従事者が不足し、食料供給体制に影響が出たためと説く日本人もいる。
 だが、「その考え方は違う」と米国で教えられた。米国産食肉の世界的輸出戦略を担う米国食肉輸出連合会(USMEF)のフィリップ・M・セング会長兼CEOが私に言った。
「戦争が終わると同時に、世界は冷戦体制に入ることは知れていた。そこで米国はより多くの国をこちら側に付けることが必要とされた。そのときに食料が必要だった。戦勝国とはいえ、焼け野原になった欧州にも施して味方にする。そのために米国は世界の食料を生産する。そんなことは子どもの頃の教科書にも出ていたことだよ」
 戦後の欧州復興のために米国が立ち上げたマーシャル・プランが実証だった。その主要な部分は食料支援が占めていた。
 戦後の日本には、そのお陰で米国支援によるパンと牛乳(脱脂粉乳)が提供された。子どもたちは、そこで西洋の味を覚え、日本の洋食化が進んだ。気が付くと、パンの原料である小麦は米国に依存しなければならなくなっていた。
 それでも終戦から歳月が経ち、増産体制を維持し続けた米国では穀物生産が余剰になった。そこでその捌け口を、生きた豚を送ることで近代の畜産を根付かせた日本の市場に求めた。
 そして私はこの耳で聞いている。TPPの発効によって日本の養豚農家が壊滅的な打撃を受ける。そのことをどう思うのか。アイオワの養豚関係者に尋ねたときの答えだ。
「どうして農家が人のために食べものを作っちゃいけないんだい? 米国の農業従事者は自給自足を目的にしているわけではないんだよ。世界中の多くの人を食べさせていかなければいけない。そういう文化が根付いているんだ。ぼくは55歳になるけど、小さい頃から、自分たちだけでなく世界の人たちのために食べものを作るんだ、と両親に言われてきた。そう教わってきた。米国の農業従事者はみんなそう思って働いているよ。だってそれが農家の喜びじゃないか」(第30回)
 米国農業の矜持というより、もはや米国の戦後の食料戦略の遺伝子が現場の作業者にまで組み込まれている。それをあかす言葉だったのだ。
 食によって相手を支配する。
 だが、日本人もバカではない。
「豆腐が食えなくなる」
 日本がそういって大騒ぎした当時の首相が田中角栄だった。田中はこれを教訓に、外遊先のブラジルで、エルネスト・ガイゼル大統領(当時)に共同の農業開発プロジェクトを提唱している。それがいまでは世界の大豆生産の約3割を占める巨大生産地帯となっているセラード地域の農業開発協力事業だった。どうしようもない荒れ地だった総面積2億400万ヘクタールのブラジル中部のこの地域を大豆畑に変えることを79年からはじめたのだ。日本は米国に再び梯子を外された場合の食料庫──あるいは第3の武器庫を自ら開拓したのだ。
 ところが、21世紀になってこの穀倉地帯を実質支配しているのは中国だった。
 毎年の世界の大豆輸入量の伸びは、そのまま中国の需要と重なる。生産量の増加もあってここ最近は、5年前に習近平が大量買い付けを行った米国よりブラジルからの輸入が急増している。2015年の中国の大豆輸入は、前年比14.4%増の8169.4万トン。このうちブラジルから4007.8万トン、米国から2841.4万トンだった。
 相手国の輸出禁止による食料危機に備えて、田中角栄がブラジルの大豆生産に橋渡しをしたはずが、いまでは中国のために貢献している。田中が描いた日本の食料供給の理想を中国が実用している。
 その中国共産党の開祖ともいうべき毛沢東と同じように、豚肉が大好物だったのが江戸幕府最後の将軍となる“豚一殿”こと一橋慶喜だった。慶喜は1863年の八月十八日の政変で京から長州を追い出したあとに発足した「参預会議」をおもしろく思わず、酒宴の席で酩酊しながら中川宮に暴言を吐いていることは、この連載でも語った。(第6回)
 慶喜に仕えた渋沢栄一が後世にまとめた『徳川慶喜公伝』によると、そのときの言葉が以下のようにまとめられている。
「此三人は天下の大愚物・天下の大奸物なるに、何とて宮は御信用遊ばさるるか。大隅守へは御台所御任せなさるにより、余儀なく御随従にもあるべけれど、明日よりは某より差上ぐべければ、某へ御随従あらせらるべし、天下の後見職を、三人の大愚物同様には御見透あるべからず」
<この三人(伊達宗城、松平春嶽、島津久光)は比類ない大バカもの、この上のない腹黒い奴らあるのに、なぜ(中川)宮様はご信用なさるのでしょうか。大隅守(島津久光)に台所事情を任せておいでなので、仕方なく従っておられるのでしょうが、明日からはわたくしから(生活の糧を)差し上げますので、わたくしにお従いください。天下の(将軍)後見職を三人の大愚物同様に見てもらってはなりません。>
 台所を握られているから、それに従わざるをえない。そういう主旨のことをあの時代から慶喜は語っている。台所とは、財布やその中身のことと置き換えてもいいかも知れないが、現金があっても食料が買えなければ意味がない。
 いずれの時代の人間も、どこの国でも、食料が人を支配する武器になることを知っていた。
 その食料をもっと日本に売り込もうというのが、いまの米国のトランプ政権である。

※引用は現代かなづかいを原則としました。 ※一部、著者の判断で加筆した部分があります。 ※引用・参考文献一覧は連載最終回に掲載します。
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