• 古く蝮をくちばみといった。毒を持つその長虫は、親の腹を食い破って生まれてくるという。戦国時代、非情なまでの下剋上を成し遂げ、「美濃の蝮」と恐れられた乱世の巨魁・斎藤道三。その血と策謀の生涯を、父子の宿命とともに描き出す、花村萬月渾身の新時代小説。


第4回 

前回までのあらすじ

 北面の武士の家系に生まれながら、職を失い、妻にも逃げられた松波基宗は、残された乳吞み児の峯丸(斎藤道三の幼名)を自分の手で守り育てていく決心をする。油売りの行商で生計を立て、芸能者の村に身を寄せた基宗は、自分と同じ痣を持つ我が子に並々ならぬ愛情を注ぎ、勉学にも励ませた。賢く美しい子供に成長した峯丸は、幼くして人の心を手玉に取る非凡な才を現わし始める。

 

   03

 

   08〈承前〉

 (あざ)(たし)かめさえすれば父は納得するが、漠然と見やっただけでは承知してくれないから淡い青紫の指し示す三方それぞれに視線を投げ、天地人と胸中で念じてそっと父を窺う。父が頷いたので、鷹揚な手つきを意識して股間を隠す。あわてて仕舞ったと受けとられると、ふたたび凝視を強いられるからである。長閑(のどか)といえば長閑な、峯丸(みねまる)七歳の春の朝であった。
 鬱陶しい梅雨空も去った六月七日、応仁の乱で途絶えていた()(おん)()(りょう)()が三十年ぶりに復興され、山鉾(やまほこ)巡行が行われた。峯丸は父と一緒に見物に出向き、他人の目のあるところでは(かお)を輝かせ、誰も見ていないときは醒めた眼差しで欠伸(あくび)をこらえていた。山鉾巡行は山十五、鉾一という乱以前からすれば寂しいものではあったが、それでも復活に尽力した下京(しもぎょう)町衆はじめ、いよいよ大乱の跫音(あしおと)も遠のいたと皆が肩から力を抜いてふた月もせぬうちに上京(かみぎょう)から火の手があがった。
 午後の日射しに夕暮れの気配がにじみはじめたころだった。商いを終えた父子は高倉小路をゆるゆる上がっていた。冷泉小路と交差するあたりで女房から油を求められたが売り尽くしてしまっていた。こういうときは峯丸の出番である。
(とと)。桶を引っ繰り返して、少しでも入れて差し上げよう」
 基宗(もとむね)()(しゃく)に汲みあげるほども残っておらぬのだから面倒臭いといった面差しを隠さない。峯丸が親身な顔つきでさらに促す。すべては打ち合わせなしの芝居である。結局は大仰に桶を抱えて油壺に残りわずかの油を垂らしてやる。女が鐚銭(びたせん)を差しだす。
「桶の底に残っていたもの。()(あし)はけっこうでございます」
 柔らかな声音で基宗が言い、峯丸が満面の笑みで女を見あげる。あらためて父子の貌を見やった女の頰が染まる。峯丸が朗らかに、しかも甘えかかるように言う。
「またの御用命、お待ちしております」
 見送る女の気配が消えてから、これで御得意が増えたな──と基宗が呟いて、峯丸の頭を軽く叩くように撫でてやる。誇らしげに見あげた峯丸だったが小首をかしげ、鼻をひくつかせる。
「父。なにやら妙に焦臭(きなくさ)い」
 基宗がひくひくさせるまでもなく、木の燃える臭いがあたりに充ちた。
「焚き火──ではないな」
 峯丸は眉間に縦皺を刻んだ基宗を凝視してから、その眼差しをさらに天に投げ、西日が目に刺さらぬよう左手で顔の横に(ひさし)をつくって、高所を流れゆく帯状の青褪めた煙を目で追いつつ呟いた。
「一条大路か、もっと上のほうかも」
 空を覆い隠す煙はまちがいなく北の方角から流れてきている。まだ明るいので目立たぬが、あわせて火の粉も舞っている。
「手過ちか──」
 基宗は峯丸の背にそっと()をやって、だいぶ低くなった西日が煙に遮られて平たく歪んでいくのを見つめた。火事は北だから南に引きかえして冷泉小路から逃げるべきか。一瞬思案したが、素早く広い場所にでるべきであろうとごく間近にまで至っている大炊(おおいの)()(かど)大路を右に折れ、春日(かすが)小路から鴨の河原にでた。
 河川敷は這々(ほうほう)(てい)で逃げてきた人々であふれかえっていた。相当に火の回りが早いようだ。家財を持ちだせた者はほとんどいない。身一つで茫然と立ちすくんでいる。火元に近かったのだろう、頰や額を煤で汚しているばかりか、焦げてちりちりになった蓬髪を雑にはたいて周囲に散らしている男の顔は、泣きかけているような途方に暮れた苦笑いだ。手の尽くしようがないとき、人はとりあえず笑顔らしきものをつくるのである。周囲の遣り取りを綜合すると、どうやら(しょう)(こく)()の西側あたりから出火したらしい。
「絵に描いたような青北風(あをぎた)だ。しかも火元は(やなぎ)(はら)。これは相当に燃えるぜ」
 顎の先を弄ぶようにして煙を追いつつ、諸々を勘案したあげく思わず洩れてしまったといった態の近くの者の呟きに、基宗は眉を(ひそ)め、俯いた。相国寺の西に隣接する柳原散所(さんじょ)には(しょう)(もん)()のつながりで知人が幾人かいる。京で火事がおきれば密集した(あば)ら屋ほど盛大に燃えあがり、延焼する。寺院などは火除け地としての庭園などが設えてあるし屋根は瓦葺きだから火の粉にも強い。けれど草葺きや杉皮葺きの柳原散所は壊滅だろう。
 黄昏時になり、立ち昇り充満する煙も黒々としたものに変わってきた。北西の空が血の色じみた緋色に染まっている。夕焼けと焰の照り返しが重なって濁りきった赤だ。まだ多少なりとも明るいのと河川敷が一段低いのとで、焰自体はほとんど見えない。実際に燃え盛る焰が見えるのと見えないのでは心持ちに大きな差が生じる。黒煙がおさまってきて誰もが肩から力を抜いた。
 絶妙の間があって、そろそろ鎮火か──と人々が願望を込めて(いぬ)()の方角を申し合わせたようにいっせいに見やったときだった。夕空に焰の壁が立ちあがった。
 焰それ自体のつくりだす上昇気流で錐揉み状態となって天翔(あまがけ)る無数の紅蓮の龍が、反り返るかのように天地四方八方に烈しく背丈を伸ばしていく。 嗚呼──という嘆息と響動(どよ)めきが拡がり、河原にいる者すべてが焰の照り映えで顔を朱に染めて息を詰めた。やがて誰かの溜息が伝染して、皆が切ない吐息をついた。家を喪うだけではない。燃え落ちてしまえば生業を喪ってしまうのだ。溜息はすぐに投げ遣りな気配に取ってかわられた。
「この勢いだと、立売組や中筋組は焼け野原だな。小川組も危ういぞ」
 それを受けた男がぼやき声ながら妙に解説口調で返した。
「こないだの戦で相国寺が焼け落ちてるから河原のほうには逃げやすかったが、(とり)の方角に逃げた者は釘貫(くぎぬき)がじゃまで黒焦げになっているだろうな。いやはや防壁というもの、場合によっては檻となる」
 男は間近で聞き耳を立てている峯丸を意識しているようだ。組とは町組であり、立売組は二十九町、中筋組は十二町、小川組は十町の集合体である。こないだの戦とは応仁の乱だ。峯丸は町が()ぜる音を左の耳で、男たちのぼやき声を右の耳で聞きながら、暮れた空を染めあげる焰に昂ぶりを隠さない。
 このころの京の町衆は惣町(そうまち)として上京と下京に分かれ、まったく別個の都市を形成していた。下京上京の各町は町の構えとして他町よりの攻撃、乱暴者や盗賊を防ぐために土塀を巡らせ、唯一の出入り口として釘貫と称する強固な木戸門が設えてあった。
 それは父子が暮らす声聞師村も同様で、自衛のために頑丈な塀に覆われていた。けれど火がでれば、出入り口が釘貫のみであるということで塀は障壁と化す。閉ざされた町内を逃げ惑いつつ焼死していく者の姿が基宗の脳裏にありありと(うか)ぶ。父に感応して裾を握っている峯丸の手に力がこもる。
「今出川小川に鳥屋があったろう」
「うむ。いまごろは、うまい具合に焼き鳥になっておるであろうな」
 このような群衆のなかでも父子の顔かたちは目立つ。とりわけ息子のほうである。美童の極致である。それが耳を(そばだ)てているのだ。聞き手を得た男たちの会話はあらぬ方向に脱線して危うい気配を孕んでいく。
「ま、焼けちまえば人も鳥も同じよ。とりわけ匂い。見分けが、いや嗅ぎ分けがつくか」
「つかぬ。が、人の焼けた匂いといえば、とりわけ塩した鮭を焼いた匂いがじつによう似とるというな」
「そうか。塩した鮭か」
「鮭はたまらぬ美味よ。とはいえいかに匂いがそっくりであろうとも、人を食う気にはなかなかなれぬ」
「黒焦げはともかく、程よく焼けたのがあちこちに転がっておるだろう」
「程よく焼けて転がるは、人か。鳥か」
「鳥に決まっておろうが」
「よし。白馬(しろうま)持参で覗いてみるか」
 今出川小川の鳥屋は軒先に雉などが逆さまにたくさん吊されて、台の上の捌いた鳥肉には蠅が舞って、それを追い払うように白地に屋号を染め抜いた長暖簾がせわしなく風にはためいていた。雄雉の眼のまわりの赤い肉垂れが鮮やかだった。絞めた直後の肉垂れは血の紅だが、鮮度が落ちるに従って黒ずみ、くすんでいく。
 いままで今出川通を行くときは漠然と逆さ吊りの鳥を目の当たりにしていたが、焼けちまえば人も鳥も同じ匂い──という言葉は峯丸になんともいえぬ命の実相を押しつけてきた。鮭を食したことはないが、いつか口にしてみたいものだ。それらを反芻(はんすう)しつつ、峯丸はいよいよ猛り狂って終わりの見えぬ永遠の夕焼けを見つめる。
 頃合いをみて声聞師村の様子を慥かめにいこうと思案している基宗であったが、いかんせん焰は弱まる気配を見せぬ。北風にあおられて河川敷にまで派手に火の粉が降りかかる始末である。あちち──と(ひょう)(きん)な声があがって、火の粉をはたき落とす姿が影絵になって見える。火の粉の動きにはまったく規則性がなく、気儘に舞い踊る。峯丸が『あちち』とならぬよう基宗は両腕を覆いにして包みこむ体勢をとった。
 腕の中の峯丸がなにを思っているかは判然としないが、その瞳はあきらかに昂ぶりで濡れている。基宗は峯丸の黒目に映る緋の焰を一瞥し、溜息を呑みこんだ。
 上京と下京は室町小路が唯一の連絡路として機能していた。釘貫の位置からしても上京の者たちは室町通に集中して逃げ惑ったはずだ。それに出くわしていれば、幼い峯丸は踏み殺されていたかもしれぬ。北上していたのが高倉小路でよかった。
「父」
「うん」
「熱い晩だ」
「地獄絵だ」
「いつ消えるか」
「さあな」
居屋(いや)は」
「どうだろう」
「川沿いを村にもどろう」
「そうだな。様子を見にもどろう」
 父は油桶を担ぎ、子は迷子にならぬよう父の袖を摑み、火事の様子を窺いつつ、人垣を避けてときに川面に足を突っ込みながら北上していく。もしきれいさっぱり燃え落ちていたら、こんどはどんな家を建てようかと案外愉しげに語り合う。どのみち掘建小屋であるから気楽なのだ。なによりも商売道具がこうして肩にあることが心強い。